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報恩抄 その15

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月25日(火)06時33分30秒
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  「設(たと)い慈覚、伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも、智証、義真和尚に口決せりといふとも、伝教・義真の正文に相違せば、あに不審を加えざらん」

天台宗の叡山に立派な坊さんが続けば真言宗が蔓延ることありませんでしたが、伝教の滅後、義真・円澄は伝教大師の通りであったにも拘わらず、慈覚・智証に至っては真言の方へ傾いて行きます。慈覚大師は金剛頂経の解釈七巻と蘇悉地経の解釈七巻の併せて十四巻の書物を書きましたが、それは法華経と大日経が説く真理は同じであるけれども、法華経には印を結ぶことと、口にムニャムニャ唱える真言が無いから、大日経の方が優れているというものでした。しかしながら、そうは書いたものの未だ気が進まない、あるいは他人の不審を晴らそうと思ったのか、「これで間違いはありませぬか」と御本尊の前でお祈りをしたのです。そして慈覚大師は、五日目の明け方頃に夢を見た、一天澄み渡って晴れたる大空にお日様が出て居られ、その晴天の日輪に向かって自分が弓を以て矢を射ると、矢の当たったお日様がグラグラと動転して地面に落ちようとした。そこでビックリして夢から醒めた慈覚大師は「悦んで云く、我れ吉夢あり」と言った、そして法華経に対して真言が優れていると言ったことは、仏様の思し召しに叶っていると考えて真言を日本国に弘めることに傾いて行ったのです。

そこで日蓮聖人は、この事についても非常に憤慨された、何人と雖もお日様を射て、お日様が落ちたというのならば非常に驚かなければならない不吉なことであるのに、「是は吉夢だ」などと言い出すのは、慈覚大師は神経衰弱にでもかかったのではないか、そういう馬鹿なことを言い出すから真言宗の如き誤った議論が蔓延るのだと批判したわけです。嘆かわしいことは、慈覚大師は伝教大師のお弟子であり、日蓮は伝教大師の御入滅になってから四百年の歳月を隔てて生まれているものであるから、如何に日蓮が「それは伝教大師の考えではない」と言っても、直弟子の慈覚大師が眼の当たり聴いていたとなると、人はどちらを信じるかと言えば、慈覚大師を信じることになるであろう。しかしながら、ここが古来仏教を研究する人の忘れてはならない所、よくよく注意しなければならない大事なことである。その人から直接習ったとか、特別に相伝したとか言っても、そんなことは当てにはならない。必ずや大事な事柄というものは書物に書き留めるものである。伝教大師ともあろう人が、大事なことを書物に書かずに置いて、弟子にそっと教えるなどという、その一人の人間が誤解すれば自分の議論が間違っていくというようなヘマなことをするものではない。その人が精神を込めて書いて置いた大事な書物に、ありありと背くことを言ったならば、それは全く当てにはならないと言わざるを得ない。これは日蓮聖人の主義に奉じている者ならば、よく考えなければならないことです。それにも拘わらず、「こっちには日蓮聖人からの特別な相伝がある、口伝がある」などと虚仮威しの事を言って、屁理屈を捏ね回しているような宗派が日蓮門下にもあるというのは、実に愚かしいことです。


 

明解「法華経要義」 随喜功徳品第十八 その3

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月24日(月)10時08分31秒
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  (現代語)
弥勒よ、汝暫くこの事を思念せよ。一人の者に勧めて法を聴かせる功徳でさえ、この如くである。ましてや、一心に聴き・説き・読誦し、大勢の人々の中でそれぞれに筋道を立てて説き、説の如く修行する者の功徳は言うまでもない。

(要文)
阿逸多、汝且く是れを観ぜよ。一人を勧めて往いて法を聴かしむる功徳此の如し。如何に況や、一心に聴き説き読誦し、しかも大衆に於て人の為に分別し、説の如く修行せんをや。

(要義)
この所は、五品の修行を随喜功徳品の場合にも捨てないことを示しています。一人に勧めて聴かせた功徳がこれ程であるから、一心に聴き、一心に読誦し、そして今度は大勢の者に法華経の意味を説き聞かせるならば、無論広大な功徳である。これは先の初随喜と読誦と説法、それから「説の如く修行する」というのは前に詳しく述べた兼行六度、正行六度を加えて修行すれば無論広大な功徳があるということです。信行の為に他の行を排斥するのではなく、如何に況やと他の善根を加えることを奨励するのは、これ皆一切経に共通していることです。日蓮聖人が「檀戒等の五度を制止して、一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを」と言われるのは、寿量品に対する一念信解・初随喜が智慧行に代わる信行であり、初心の者がこれを得ずして他の菩薩行を交えるならば、それは偽善ともいうべきものとなって台無しになるからです。そして観心本尊抄に無量義経の「いまだ六波羅蜜を修行することを得ずといえども、六波羅蜜自然に前に在り」を引用するのは、一念信解・初随喜を得るならば、自ずと六波羅蜜の修行をその身に具えることになるからです。信行が如何に尊いからといって、ただ南無妙法蓮華経と唱えれば良い、他の善行は許さぬというようであれば、それは教えとして非常に弊害のあるものとなります。信行を強く主張して、成る程それが為に罪深き者が信仰に入れることもありますが、それだけでは永久にその人の人格の向上が出来なくなってしまうのです。

 

報恩抄 その14

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月18日(火)20時28分11秒
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  (弘法大師は)一代の勝劣を判じて云く、「法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども、華厳経・大日経に望むれば戯論の法なり。教主釈尊は仏なれども、大日如来に向うれば無明の辺域」

真言宗の宗旨がもたらされたのは、第四十四代・元正天皇の御宇に大日経が、そしてその後に玄昉という僧侶によって大日経の注釈である「義釈」十四巻が渡されたことによります。これらの経釈を御覧になって、法華経よりも大日経の方が尊いような書き方がしてあるのは怪しからぬことであると考えられていた伝教大師は、その後延暦二十三年に留学のため入唐された時に、国清寺の道邃和尚と仏滝寺の行満和尚に就いて、天台大師の書かれた法華経に基づく「止観」の大事な所をお聴きになり、法華経の思想によって定められた円頓の戒法を伝授し、また霊感寺の順暁和尚に会われて真言をも相伝されて、延暦二十四年に日本にお帰りになりました。そして桓武天皇に御奏聞されると、止観の行と真言の行とを、比叡山に於いて一緒に習わすことにしたのです。日蓮聖人によれば、伝教大師が法華と真言の相違を十分にお書きにならなかったのは、比叡山に延暦寺を創立され、殊に法華の円頓戒壇を建てる事業が忙しかったため、そして南都六宗を法華経に統一して日本の仏教全体の僧侶を比叡山で教育するには、寧ろ宗旨の違いなどを論じているよりも総合的な教育機関を完備することを優先したためであろうということです。また弘法大師は伝教大師よりも八年も後に日本に帰られ、伝教大師の存命中には真言宗云々のことは特に言わなかったため、大日経の真言も学科の一つに加えて学ぶことにして置かれたわけです。

しかしながら、伝教大師の真言に対する御意見は全く分からないかというと、そうではありません。伝教大師の「依憑天台集」という著書には、真言であろうが華厳であろうが、他宗の教義は、天台大師が説いた所の法華経の思想に基づいて、似通った解釈を立てたものである、名前を変えたり焼き直しをしたりして、分からないように継ぎ接ぎをしているものであることを、一々証拠を挙げて暴露しています。特に序分には、「新来の真言家は則ち筆授之相承を泯(ほろ)ぼし」とあって、近頃日本に渡ってきた真言は、書き伝えられている所の事柄とは違ったことを言い出していると明白に批判が述べられています。それは、毘盧遮那如来(意訳して大日如来)は、本来は釈迦如来の徳を讃歎したる名であって、大日如来と言っても異名同体である、名前は違ってもそれは釈迦如来のことを指しているのにも拘わらず、それを偽って釈迦如来とは体が違ったもののように思わせ、とうとう終いには釈迦如来は大日如来の履取にも及ばぬというようなことを言い出したからです。今でも大日如来と釈迦如来は違うように思っている無学の者が多く居ますが、それはみな誑かされているのです。それを伝教大師が「筆授の相承を泯(ほろ)ぼし」と一言にして素っ破抜かれたわけです。ところが伝教大師が入滅されると、弘法大師は嵯峨天皇の御帰依を得て真言宗を立てて、段々と勢力を得ます。そこで弘法大師は、法華経は戯論であると言った、法華経は釈尊出世の本懐であり、一切経の真髄であるのに、それを戯言だと論じたのです。その上、釈迦如来を「無明の辺域」、未だ悟りを得ない田舎者だと侮蔑したのです。そうであるのに、「天下第一の大凶なり」と悲憤慷慨の涙を流した日蓮聖人を、「そんなことを言うのは気が狭いからだ」と言って嘲り、自分達は気が広いと言って喜ぶような日本の宗教学者の馬鹿さ加減は一体何処から来るのでしょうか。狭い広いと言っても、事と次第によります。正義というものは、狭い広いというような問題ではありません。日本の国民の思想を、日本の国家の運命を左右するものであることを決して忘れてはならないのです。


 

明解「法華経要義」 随喜功徳品第十八 その2

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月16日(日)16時32分4秒
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  (現代語)
教えを講じている所に坐している人が、後から来た人に坐って聴くように勧め、或いは座席を分けて坐らせたとしよう。この人の功徳は、生まれ変わった時に、帝釈天の座、梵天王の座、或いは転輪聖王の座を得るものである。

(要文)
もし復人あって講法の処に於て坐せん。更に人の来ること有らんに勧めて坐して聴かしめ、もしは座を分って坐せしめん。此の人の功徳、身を転じて帝釈の坐処、もしは梵天王の坐処、もしは転輪聖王の所坐の処を得ん。

(要義)
ここは、随喜の功徳より少し低い所を説明したものですが、法華経寿量品の話を聞きに来た者が、後から来た人に「まあ貴方も座りなさい」と勧めただけで、或いは自分の席を分けて座らせただけでも、その功徳は広大なものであって、その者が生まれ変わった時には、帝釈天王、梵天王、或いは転輪聖王の位を得ると説かれています。護法の善神である梵天王は色界の主、帝釈天は欲界の主、そして転輪聖王は人中の王ですが、これは世俗の者、仏に成ると言われて喜ばぬ者のために、天に生まれて主となる、人に生まれて王になると称揚したものであって、法華経の真意によれば、その功徳は果報として仏位を得ると解釈されても良いでしょう。

 

報恩抄 その13

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月10日(月)08時19分6秒
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  「最澄上人は六宗の人々の所立一々に牒を取りて、本経本論並に諸経諸論に指し合わせてせめしかば、一言も答えず、口をして鼻のごとくになりぬ」

聖徳太子以後には、南都六宗といって、華厳・法相・倶舎・成実・三論・律宗の六宗が日本では盛んとなります。聖武天皇によって造られた大仏のある東大寺を始め、奈良には大きな寺が七つありました。そこに非常に秀才なる伝教大師が現れて、法華経を本にして行きさえしたならば、一切の仏教は分裂することなく一つになると結論し、二十三歳の時に桓武天皇に申し上げて、高雄寺において南都六宗を対手に法論をされたのです。そして南都六宗の有力な学者十四人を相手に、一人伝教大師は法華経を拠り所にして論を進め、彼等の主張する教義の一々を論破されました。このことを日蓮聖人は「口をして鼻のごとくになりぬ」、六宗の人は何一つまともに答えることが出来なかった、即ち物を言わぬ有様であったと書かれています。今日の坊さんは、宗教の大事な本尊を論じても駄目、我々の信仰意識を論じても駄目、宗教と道徳、宗教と国家の関係を論じても全く駄目で、しかも我執ばかりは強いですから幾らやられても降参しませんが、その時代の坊さんは中々偉いものでした。桓武天皇の御前では誤魔化すことも出来なかった六宗十四人の学者は「承伏の謝表」という文書を奉って、今までの疑いは伝教大師のお説によって氷の如く解け去りました、如何にも法華経を根本として一切経の統一を図らなければなりませんと、正直に法華経に降伏したのです。そして桓武天皇が奈良から都を遷された京都の丑寅の方、即ち鬼門にあたる比叡山には延暦寺が建てられて、日本中の坊さんは悉く比叡山に上らなければ袈裟を掛けることが出来ないという制度になったわけです。ところが、伝教大師が御入滅になった後に、伝教大師と共に入唐して帰られた弘法大師が真言宗を弘めて次第に勢力を増し、この仏教統一は再び破壊されることになります。そこで弘法大師の罪は非常に重いということが次の節に述べられるのです。

 

明解「法華経要義」 随喜功徳品第十八 その1

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月 8日(土)14時10分55秒
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  (現代語)
仏は弥勒菩薩に告げました。私は今、汝に明らかに語ろう。あらゆる世界の六道の衆生に願う所の物を悉く施し、また教えを説いて阿羅漢の果報を得さしめた者があるとしよう。その得た所の功徳は、法華経を伝え聞いた五十番目の人の、一偈を聞いて心から喜びを感じる功徳には及ばないのである。

(要文)
仏、弥勒に告げたまわく、我今分明に汝に語る、この人一切の楽具を以て四百万億阿僧祇の世界の六趣の衆生に施し、また阿羅漢果を得せしめん。所得の功徳は是の第五十の人の法華経の一偈を聞いて随喜せん功徳には如かじ。

(要義)
随喜功徳品は、分別功徳品における五品の初随喜について特に説明を加えられたものです。初随喜は一番大切なことですから、寿量品の意味を聞いた者が随喜して人に話し、それを聞いた者がまた随喜して他に話をという風に、展転して第五十番目の者に至って、その最後の者が「嗚呼、有り難い」と僅かな随喜を起こした功徳が如何程であるのかを説いています。それは、四百万億阿僧祇の世界、そこに居る地獄から天上界までの一切の者に欲する所のものを与えて、その上に阿羅漢の悟りを得せしめる広大な功徳にも勝るものなのです。このような経文を読んで、何故に法然や親鸞が法華経は難行と言ったのか底意は分かりませんが、これすらも難行だというような事を言えば、凡そ人間として修行に携わる道は無いことになります。



 

報恩抄 その12

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 7月 2日(日)15時36分38秒
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  「用明天皇の御宇に聖徳太子仏法を読み始め、和気の妹子と申す臣下を漢土に遣わして、先生(せんしょう)の所持の一巻の法華経を取り寄せ給いて持経と定め」

次に仏教の日本伝来が述べられます。日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇十三年十月十三日に、百済国の王が「真に有り難い教えであるから信心なさったら良かろう」と一切経と釈迦仏の像を貢献して来ました。さて、これをどうするかと色々と議論のある所に、彼の有名な聖徳太子が出られます。最近では、教科書における聖徳太子の表記を改めるかどうかで随分と揉めていましたが、聖徳太子は用明天皇の第二皇子で、小さい時分から学問が出来る実に非凡な方であり、八耳の皇子と言われるが如く、八人の話を一遍に聞き分けたと言われる偉い人として知られています。歳の若い時分から非常な博学で、七歳から学問を始めて、儒教などの本を大抵は読み、そして仏教を学ばれて、前世で所持しておられたという法華経の講釈と維摩経・勝鬘経の講釈を書かれました。この方が「篤く三法を敬え、三法とは儒・仏・神なり」と示されて、日本の文明はここに花が咲いたのです。儒教と仏教と神ながらの教えを日本においては大事にしなければならない、もし将来日本において教えを学ぶ者が、神道を学んだが故に儒教、仏教を敵にするとか、仏教を学んだが故に神ながらの教えを忘れるという者があったならば、それは道を学ぶ者にあらずして道を損する者なり、道を益する者にあらずして道を破る者なりと言われたのです。神道をやれば仏教の悪口を言う、儒教をやれば仏教の悪口を言う、坊主は阿弥陀経をやれば神ながらの道は忘れてしまって、ただ念仏を唱えているようなことでは駄目だ、それは日本の文明を学ばない者であると言う訳です。

ところが明治維新の時には聖徳太子を葬ると同時に、廃仏毀釈と言って仏教を嘲り排斥し、戦後はそれまでの思想が間違っていたから日本は侵略戦争を犯したのだと占領国から一切を否定され、日教組などが道徳教育は価値観を押しつけるものだと強引に反対し続けたがために、日本人は論語も仏教のことも学ばなくなってしまいました。全く儒教も仏教も加わらない以前の文明に戻った所へ、自由主義や社会主義と一緒に欧米の思想が襲ってきたのですから堪ったものではありません。仏教なり儒教なりが日本の文明に加わって、初めて日本の文明は大進歩を為して来ました。それを今日忘れてしまったから、日本の文明は非常な動揺を起こしているのです。思い起こして下さい、中国共産党が宗教を否定し、「文化大革命」によって儒教を排斥し論語を根絶やしにしたために、中国のその後の道徳心や倫理観は一体どのようなものになったのかを。それでも、これまでは国民の道徳は、昔の人ならば教育勅語の例えば「克く忠に克く孝に」という所で踏み止まる力が残っていた、あるいは時代劇が好まれ武道も盛んであったように、武士道を称えるような国民性によって今日の日本の道徳は保たれて来ました。戦後の日本を立て直した偉い人達も皆、論語や仏教の言葉を座右の銘として奮闘してきたのです。しかしながら、今後は一体どうなるか分かりません。そのようなことを考えるならば、欧米の思想を進歩したものだと有り難がるばかりでなく、そしてそれらの思想の善悪を分析する以前に、私たち日本人は儒教でも仏教でも有るたけ文明を復活して、その上で彼等の文明をも吸収しようということでなければなりません。この順序を考えない人は、到底今後の思想界を善導啓発する所の任に堪えない者となります。日本の将来を考えるならば、どうしてもそこに着眼を戻さなければならない時に至っていると思うのです。


 

明解「法華経要義」 分別功徳品第十七 その6

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 6月28日(水)09時35分41秒
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  (現代語)
仏の子がこの地に住するならば、仏はこれを受用し、常にその者と共に在って、経行し、坐しては臥すであろう。

(要文)
仏子此の地に住すれば、則ちこれ仏受用したまう。常にその中に在して、経行し若しは坐臥したまわん。

(要義)
「仏子此の地に住すれば」というこの文は、法華の行者と仏とが一体となって働く事、段々と修行を積んで深信解に至れば、仏がその人を用いられて、仏が世に出でて為さんとする活動を、その人を通じて為すという事を説いています。仮にこれを日蓮聖人とするならば、日蓮聖人に釈迦如来が乗り移ってお働きなされるのです。「仏受用したまう」というのは、本仏釈尊がその人を使う、「天に口無し人をして言わしむ」というが如く、仏の為さんとする所をその人を通じて為すということです。この信念、実在は我に在りというか、天地と我とが一体となるというか、仏と我とは一体であるという信仰ほど、私達が歓びと力を得られるものはありません。人間の世の中には、これ以上の強さは無いのです。日蓮聖人に現れし強みは此処から出ています。それ故に、日蓮聖人が龍の口で頸を切られんとした時も、野垂れ死ねばと佐渡に流された時も、愈々の時には必ずこの意味を言い現して、そして自らを慰め自ら力付けたのです。その人の心の中において、仏は経行し座臥したまう、要するに仏と法華行者とは一体となって働くことが出来るという事です。撰時抄の「釈迦如来の御神、我が身に入りかわせ給ひけるにや。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。」というのはこの意味です。いよいよ大事を成し遂げようとするならば、まさに此の境地に至らねばなりません。ただ空疎な経文に憧れる、或いは妙という字は不思議だとか、阿という字は偉いとか言うような事ではいけません。宗教の妙味として、大人格者たる本仏釈尊と自己とが、意匠的に、精神的に一体となるということ以上のものはないのです。

 

いつも有難うございます

 投稿者:giniro_syounen  投稿日:2017年 6月24日(土)12時14分0秒
  すべての次元でご教導くださっている、本仏の仏様からの御教え法華経に背かぬよう心掛けています、と云うと憚られますが、いつも感銘を受ける説教を頂きまして有難うございます。不徳者としてただただ感謝感謝しかありません。
南無釈迦牟尼仏 南無妙法蓮華経 合掌
 
    (shamon) 法華経に説かれているように、有り難いということは、困難であるけれども非常に尊いことを意味します。常に心掛けること、本当にとても大事なことですね。  

報恩抄 その11

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 6月22日(木)07時28分4秒
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  「此の人々の義にいわく、華厳・深密・般若・涅槃・法華経等の勝劣は顕教の内、釈迦如来の説の分也。今の大日経等は大日法王の勅言なり」

次に真言の中国における状態が述べられます。法相宗の後には、善無畏三蔵と金剛智三蔵が天竺からやって来て、次の三代目に不空三蔵が現れました。この不空三蔵の流れを汲むのが、中国に渡って色々と教えて貰って帰って来た日本の弘法大師です。彼等は「大日経」、「蘇悉地経」、「金剛頂経」という三つを真言の三部の妙典と称していますが、無論大日経と言っても釈迦牟尼仏が説かれた経典であったにも拘わらず、この大日如来というものが釈迦如来より偉い、その偉い大日如来が説いたものだと妙なことを言い出したのです。この世に出て仏法をお説きになった方は、釈迦牟尼仏より他に無いのは人類の歴史上も明白なことです。仏様というのは、釈迦如来より他には実際に居られません。この世に現れていない仏が説いた御経などがあるはずはありません。ところが、宇宙には大日如来という釈迦如来よりも偉い仏がいると言い出した。最初は中々はっきりとは言っていませんでしたが、弘法大師に至ってそれは一層明確になって来たのです。

当初中国で彼等が言っていたのは、法華経には印と真言が無いから大日経の方が優れているということでした。印とは指を色々と組み合わせて妙な形に結ぶこと、真言とは呪文や陀羅尼を口に唱えることで、これはバラモン教で行われていたことが取り入れられたものです。そして法華経にはそれがない、その点において大日経の方が良いと言い出した訳です。しかしながら、釈迦如来の仏教は、寧ろそういう形に囚われた宗教を改革したるものでした。バラモン教の印を結ぶとか断食するとか、あるいは妙な言葉を唱えるとか、山の中に入って素っ裸で石の上に座るとか、そんな事はやっても仕様がない、形において色々なことをするよりも、宗教の本領は先ず精神において正しき心を持ち、正しき道徳観念を有することであると釈迦如来は説かれたのです。弘法大師はそこが分からなかった、最新の仏教と思って持ち込んだ密教は、実はバラモン教の影響を著しく受けた本来の仏教とは異なるものだったわけです。中国では後に天台大師に次ぐ大学者である六祖妙楽大師が出られ、天台大師の「摩訶止観」「法華玄義」「法華文句」に対して、「摩訶止観輔行伝弘決(ぐけつ)」「法華玄義釈籤(しゃくせん)」「法華文句記」という各々十巻の講釈を書かれて、法華経の卓越したることを再び発揮し、天台大師以後に頭を持ち上げた法相宗・華厳宗・真言宗の三宗を悉く粉砕されました。しかしながら、日本では特にこの真言密教が次第に大きな影響力を持つようになったのです。


 

明解「法華経要義」 分別功徳品第十七 その5

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 6月20日(火)10時28分42秒
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  (現代語)
また、如来の入滅の後に、もしこの経を聞いて毀ることなく、心の底から喜びを感じるならば、当に知らねばならぬ、既に深信解の相を得ているものであると。ましてや、読誦し受持する者は言うまでもない。この人は、即ち如来を頭上に頂いているのである。

(要文)
又また如来の滅後に、もしこの経を聞いて毀訾せずして随喜の心を起こさん。当に知るべし、すでに深信解の相となづく。如何に況や、これを読誦し受持せん者をや。この人は即ちこれ如来を頂戴したてまつるなり。

(要義)
四信五品という位を分けて詳しく説いたけれども、その中の妙旨は随喜と信念に存するが故に、信仰というものは決して難しいものではない事を上記の文は明らかにしています。この事を日蓮聖人は、「一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを、一念信解・初随喜の気分となすなり。これ則ちこの経の本意なり」と言われている訳です。その随喜も「毀らず」とあるのですから、そう深い信仰ではありません。この一念信が直ぐに深信解の相となるので、本仏に対する一念信は実に平易なるものであっても、その内容を辿れば最高の理智に一致するのです。平易なる信仰は平易のみに偏し、理智は理智の方ばかりに傾く事を教えるのではありません。信念と理智が一致した時には、一念に信じたことと同じ事を必ず心に観る、それ故に毀らず随喜の心を起こせば、それが直ちに深信解の相であると説かれているのです。この随喜でさえも成仏の功徳を得るは無論ですが、その上に法華経を読誦して受持するという事は、これ即ち朝夕不断に本仏釈迦如来を頭の上に頂き、我が頭の上には本仏在せりとの信念に立つことです。それにも拘わらず、如来を忘れるが如き解釈に至るのであれば、それは経旨とは全く懸け離れたものとなります。私達は、日蓮聖人が「分別功徳品の四信と五品とは、法華を修行するの大要、在世滅度の亀鏡なり」と述べられた意味を考えて、一人一人に対して言われたその時々の言葉でなしに、法華経信行の根拠がここに在るという事を深く記憶して置かねばなりません。そして次の経文に説かれるように、要するにそれは如来を頂戴し奉ることであるのです。



 

報恩抄 その10

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 6月 9日(金)07時56分20秒
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  「法華経を打ちかへして、三乗真実、一乗方便、五性各別と申せし事は心うかりし事なり。天竺よりは渡れども、月氏の外道が漢土に渡れるか」

大乗の宗旨と言われているのは、華厳宗・法相宗・真言宗に天台宗を加えた四宗です。華厳経については如何に立派な御経であると言っても、久遠実成を現していない、私達仏教徒の奉ずる所の仏身観が明らかになっていないことから、法華経より劣るということを既に論結されました。そして次の法相宗は、天台大師が御入滅された後、唐の太宗の御宇に玄奘三蔵が立てられました。玄奘三蔵には、印度に十七年も行って色々の経論を求め、それを中国に持ち帰って翻訳されたという大功労があります。彼の有名な「西域記」は、その印度歴遊の間の見聞を書かれたもので、今でも当時の印度の様子や歴史を知る上で大事な書物となっています。ところが彼の研究したる仏教の趣意が、天台大師の教えたる法華経を中心とした仏教とは、全く正反対のものだったのです。日本では奈良の仏教として、法相宗は華厳宗と共に一時は非常に勢力を占めて多くの学者も輩出しましたが、伝教大師のために殆ど滅びてしまいました。その法相宗は、玄奘三蔵が「法華経は一切経には勝れているが解深密経よりも劣る」と言い、また「五性各別」ということを論じます。五性各別とは、人々に五つの性質の違いがあり、(一)菩薩の性質を帯びている者、(二)縁覚の性質、(三)声聞の性質、(四)菩薩か縁覚か、それとも声聞に行くか未だ定まっていない性質、(五)無性といって徹底して仏性を有さない性質があると、人間を五つに区分したものです。そして決定性といって縁覚と声聞に決定してしまった者と、無性といって仏性を有さない者は、如何なる仏が出て来ても力は及ばない、成仏することは出来ないと言う訳です。これに対して法華経の方は「人開会」といって、人格の平等を認める、如何なる者でも、表面は違っていても、人として生まれてきた以上は、その価値は同じであるということを力説します。それは今日に至る印度のカースト制を確立し、徹底した差別を説くバラモン教に対するが如くであるために、日蓮聖人も「外道が(密教として)漢土に渡れるか」と論じられたに違いありません。

法華経は人格の平等を認めますから、第一に決定性と言われる所の舎利弗、目連、迦葉、阿難がみな二乗作仏として成仏を許されます。そして提婆達多のような非常に悪い者、何処を叩いても仏性などありそうもない悪人を活かして来て、天王如来となると言うのです。またそれに続いて、女人の成仏、愚者の成仏が許される、即ち龍女が女人の代表となり、須利槃特が馬鹿の代表となって、皆悉く法華経によって救われる、十界悉く仏道を成ずるということを法華経は主張します。法相宗が永久に成仏しないと言う決定性、無仏性の二つを、法華経では悉く活かすのです。そして法相宗が、法華経のように菩薩でも女人でも悪人でも二乗でも皆一つにして、畢竟して一乗に住せしめるというようなことは方便である、三乗差別の教えが真実であると主張することと闘って来ました。これは非常に大事なことで、表面は違っていても根本においての価値の平等を認めなければならないことは、現代の文明を作る上で根本となる思想でありましょう。表面的には悪人と善人との違いはあっても、その悪人が何処までも悪人という訳ではありません。心の奥底には仏性があり明徳があるのですから、導くに道をもってすれば必ず変化するものである、その変化の可能ということを言うためには、人格の平等が根本になくてはなりません。それは義務教育などの上にも言えることで、如何なる者でも教えればそれだけの教育が出来るということが前提であるが故に、国民は子供に平等の教育を受けさせる義務があります。今はまた、義務教育以外の教育の無償化ということも唱えられ、如何なる貧乏な者であっても、如何なる不幸せな者であっても、同じ程度の教育を受けられるように国家がしていかなければならないという時代になりました。そして仏教は、本当の人間の心得を教える、この人生を味わう所のもので、普通の大学よりもう一つ大きな大学です。本当の人生学、宇宙学として、如何なる人間でもこの大きな学校に入れる場合には、誰でも生徒となり、誰でも卒業せられるということを前提とします。それを最初から、「あれは駄目だ、こいつはいかん」というような見当をつけて除外することはいけないというのが、法華経の教えです。それが法華経の二大教義の一つ、二乗作仏、仏性の開発ということです。


 

明解「法華経要義」 分別功徳品第十七 その4

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 6月 3日(土)09時09分29秒
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  (現代語)
弥勒よ、もし善男善女が、私の寿命が永遠であることを聞き、深き心において信じるならば、仏が常に霊鷲山に在って菩薩・声聞達に敬い囲まれて説法しているのを見、また、この娑婆世界が瑠璃をもって大地となし平らかで歪みなく、閻浮河の黄金によって八つの道は仕切られ、宝樹が立ち並び、高殿・楼閣は悉く宝をもって飾られ、菩薩達が皆その中に居るのを見るであろう。もし、この如くに観る者あれば、これは当に深信解の相と知るべきである。

(要文)
阿逸多よ、もし善男子・善女人、我が寿命長遠なるを説くを聞いて深心に信解せば、則ちこれ仏常に耆闍崛山に在って、大菩薩諸の声聞衆の囲遶せると共に説法するを見、また此の娑婆世界、其の地瑠璃にして坦然平正に、閻浮檀金以て八道を界い、宝樹行列し、諸台楼観皆悉く宝をもって成じて、その菩薩衆咸く其の中に処せるを見ん。もし能く是の如く観ずること有らん者は、当に知るべし、是れを深信解の相と為く。

(要義)
この所は四信最後の深信観成であって、平易なる信仰から理智の極地に合することが説かれています。仏教の信念と理智とが最高点に達した所に、この深信観成の妙味は現れます。釈尊の寿命の長遠なることを聞いて、この寿量品の本仏の実在を真心から信解するならば、その信解の中に仏はいつも霊鷲山に在って、大勢の大衆が囲繞する中で説法をされている、仏はいつも生きて、いつも大勢の人々を助けておられる。そしてその仏の居られる世界、この娑婆世界が立派な浄土なのであるから、西方に浄土を求める必要はない。この一節は、寿量品の「大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏」という事を一層具体的に美しい浄土の光景として説かれたもので、大勢の菩薩衆が居て、その中心で本仏釈尊がお働きになっている様相です。このように観ずるのが深信解の相であり、このように観ずるのが理智の完成した所です。宇宙が真如の一理より発して万象となったというような事は、それは初歩のことであって、けっして仏教思想の完成ではありません。天台大師は法華経の理智を探究するばかりに信行には達し得ませんでしたが、日蓮聖人は信行に達して自ずから理智を完成されたのです。日蓮聖人が正観を立てると言うのは、この深信観成を指しての事です。然るに、日蓮聖人亡き後の法華信者が「法」という字に引き摺られて、真言の阿字の如くに、天台宗の実相妙理の如くに流れて、本仏に対する信仰を失うに至ったことは何よりも残念なことです。それでは、寿量品の根本の大事を無にしてしまいます。

また、「末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し、但南無妙法蓮華経なるべし」などという真蹟の無い御遺文に拘泥して、信仰の中身などはどうでもよい、ただ南無妙法蓮華経とさえ唱えれば、仏に成れる、現世利益があるなどという低俗な信仰が未だ多くの日蓮門下で主張されていますが、そもそもこの御遺文の一節は、他宗の影響で日本国の殆どの衆生が法華経を捨て、久遠の釈尊を謗っている現状を嘆いて言われたものです。それらの者には、釈尊が説かれた余経も、その真髄の法華経を説いても致し方ない、罵られようと迫害されようと、ただ南無妙法蓮華経と唱えて、彼等の後生に法華経の縁を結ぶことが大事であるからです。だからこそ、真蹟の法華取要抄には「逆縁のためにはただ妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品のごとし。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり」と述べられている訳です。すなわち「ただ妙法蓮華経の五字に限る」のは、法華経を謗る逆縁の者に対してであって、日蓮聖人の門弟に対して言われたものではありません。

 

報恩抄 その9

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月31日(水)18時24分51秒
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  「智顗法師は末座に坐して色を変ぜず、言を苅(あやま)らず、威儀しづかにして、諸僧の言を一々に牒をとり、言ごとに責め返へす」

天台大師は6世紀の中国に出た偉い人で、本名を智顗と言い、後に智者大師と称せられた方です。無論天台大師以前にも、天台大師以後にも偉い坊さんは出ましたが、天台大師程に一切経を見分けた人は居ないので、「智者以前に智者なく、智者以後に智者なし」と言われています。その天台大師が、その頃十派に仏教が分かれていた、その十人の大学者を対手にされた訳ですが、その中に南三の第三流派に属する光宅寺の法雲法師という偉い人が立てた教義がありました。彼は釈尊一代の仏教を五つに分けて、その中から優れた三つの経を選び出し、華厳経が第一で大王の如く、涅槃経が第二で摂政関白の如く、そして法華経は第三の公卿の如しであると言い出したのです。法雲法師は梁の武帝が光宅寺という寺を建てて帰依した人で、法華経にも非常に縁があり、大旱魃があった時に法華経・薬草喩品の「その雨普く等しく四方より倶に下る」という句を講釈されただけでも雨が降ったと言われています。その法雲法師が講釈を書いた法華経の疏で、「この経未だ碩然(せきねん)ならず」、この経は未だ大事な所が明らかになっていないと言ったのです。ちなみに、日本の聖徳太子は法華経を第一とされましたが、未だ天台大師の天台大師の「法華文句」などは未だ見ておられなかったため、「法華義疏」の講釈を書く時分には法雲法師の書物に依っています。

この法雲法師が亡くなられた後に、智顗法師即ち天台大師が生まれて来られました。そして南岳大師という有名な高僧を師として、法雲法師が華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三と立てたことを不審に思った天台大師は、一体何処に法華経が華厳経に及ばん所があるかということを明らかにせんと研究されたのです。そして法華経が第一、涅槃経が第二、華厳経が第三と天台大師がお定めになると、盛んに反対が起こり「智顗法師の頭を破(わ)れ、国から追放せよ」との騒ぎとなり、それを聞いた国王の命によって、法雲法師の弟子、慧栄・法歳その他の百人余りの偉い坊さんと議論することとなります。「何あの年の若い十七歳の青坊主が、やってしまえ」という訳でありましたが、天台大師は実に不出世の高僧で、齢十七ですが少しも動じることがありません。非常に落ち着いた態度をもって、百人ばかりの華厳宗の学者を対手として戦われました。その問答の様子は、天台大師が「華厳経が法華経より勝れている証拠は何処にあるか、挙げられるのならば証文を出してご覧なさい」と言えば頭を垂れて色を失い、法華経の開経である無量義経には、「次に方等部経・摩訶般若・華厳海空を説く」と華厳経の名をあげて、未だ真実を現さない「未顕真実」とあることを責めれば、華厳の学者が皆一言もなく行き詰まってしまう有様でした。

次に「涅槃経が法華経よりも勝れているという経文は何処にあるか」と問えば、これまた返答が出て来ない。涅槃経よりも法華経が勝れているという明文は涅槃経の中にある。法華経において大勢の弟子達が成仏の記別を受けた。それは秋に稲を刈って収穫し冬には蔵に収まっているようなもので、涅槃経は残された落穂を拾い集めて歩くようなものであると説かれている。この経文は正しく涅槃経が法華経よりも劣っていると自ら述べているのに、何故に涅槃経を第二に置いたかと問えば、やはり何も答えることが出来ない。そこが面白い、法華の議論の良い所はそこにあります。彼等は「両眼を閉じ一頭を低(うなだ)れたり」とあるように、少しも答弁することが出来ないから、遂に天台大師の議論に従わなければならなくなりました。この有様によって法華経は華厳経、涅槃経に勝れているということが支那の国中に知れ渡ったのみならず天竺にまで聞こえ、天竺の書物も天台大師の講釈には及ばない、お釈迦様が再び世に現れた如くであると褒めそやされたのです。そして、この天台大師の偉大な貢献のように、日蓮聖人もまた仏教諸宗を統一して、再び思想の紛乱を救うようにしようと念願されたのでした。


 

創価学会教義の破綻

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月27日(土)12時51分54秒
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  創価大学に雇われている宮田幸一教授は、仏教学者としての良心から、偽書や真蹟のない御遺文に依拠する、こじ付けの「日蓮本仏論」は破棄する方針だと2015年に創価大学で行われた宗教学会で発表しました。しかしながら、創価学会上層部からの叱りを受けて、あくまでも私見であったと訂正した上に、情けないことに「日蓮本仏論」という教義を残しながら新たな屁理屈を構築できないかと模索しています。即ち、顕本法華宗のように釈迦本仏を立てる他宗を散々に邪宗と罵倒してきた創価学会の教義は、現在は完全に破綻し、ただ池田大作を崇拝するカルト宗教団体になっているということです。

未だ創価学会員が「日蓮本仏論」をもって、間違った信仰だなどと他を罵ってきたならば、「お前のところの宮田教授とでも勝手に法論しとけ」と一蹴しておけば良いでしょう。

 

明解「法華経要義」 分別功徳品第十七 その3

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月26日(金)08時22分49秒
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  (現代語)
仏の名は十方の世界に聞こえて、広く人々を利益されました。すべての人は善根を具えて、無上の心を助けるものとしたのです。

(要文)
仏の名十方に聞こえて、広く衆生を饒益したまう。一切善根を具して、以て無上の心を助く。

(要義)
釈迦牟尼仏の御名は十方に聞こえて、そして大勢の衆生が利益を得て救われます。釈尊の名の及ぶ所、人は善根を具え、その善根は菩提を成就しようとする精神、無上の心を助けます。先に述べた成仏の主因である一念信解によって善根を有し、その善根が助因として無上心を助ける、即ち主因助因が相協力して行くという、仏教の一貫とした精神が此処に説かれています。浄土門などが、無上心を尊ぶが為に善根を敵とするような説明は如何にも愚かな話であって、そのようなものは法華経の説く所ではありません。

(現代語)
その時に、仏は弥勒菩薩に告げました。阿逸多よ、誰であれ、仏の寿命が永遠なることを聞いて一念の信解を生じるならば、その得る所の功徳は量り知ることが出来ない。もし善男善女が、私が寿命を説くのを聞いて一念も信ずるならば、その福徳は五種の波羅蜜を超えよう。もし人、一切の疑いを懐くことなくして、深き心にて少しの間にも信じるのであれば、得る所の福徳は斯くの如くなるであろう。

(要文)
その時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、阿逸多よ、それ衆生あって、仏の寿命の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量あることなけん。

善男女等有って 我が寿命を説くを聞いて 乃至一念も信ぜば その福彼れに過ぎたらん。もし人悉く一切の諸の疑悔あること無くして、深心に須臾も信ぜん。その福此の如くなることを為。

(要義)
阿逸多とは、弥勒菩薩の名です。その弥勒菩薩に、衆生がこの本仏の寿命の長遠、即実在である事を聞いて一念の信解を生じたならば、その者の功徳は量り知る事が出来ないと述べられています。信解の「解」とは、一般的には内容を理解することですが、「解の一字は後の奪わるる故なり。」と日蓮聖人が述べられるが如く、「解」は四信の第二である略解言趣の位に当たりますから、ここでは「信」ということに最も重きを置きます。したがって、下段の経文にも解の字は省かれている訳です。「その福彼れに過ぎん」の彼れとは、先に述べた六波羅蜜の智慧行を除いた五つの功徳です。本仏釈尊の寿命が無量であることを疑う心なく信じる功徳は、仏や菩薩を供養し精舎を荘厳すること、戒律を保ち清らかで欠けることない人格であること、魔に心動かされず増上慢に悩まされても耐え忍ぶこと、志堅固に怠りなく精進すること、静寂なる所で心を統御し無上道を求めること、これらによって得た功徳をも超えます。深心ということを難しく考える必要はありませんが、これは心の奥底からということですから、須臾とあるからと言って、決して上っ面に信じても良いということではありません。

 

報恩抄 その8

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月16日(火)22時03分15秒
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  「かくて一切経の中に法華第一・涅槃第二・華厳第三と見定めさせ給いてなげき給うやうは、如来の聖教は漢土に渡れども、人を利益することなし。かへりて一切衆生を悪道に導びくこと、人師の苅(あやまり)によれり」

日蓮聖人が師として仰ぐのは、法華経を第一とされた天台大師と伝教大師であって、天台大師が中国において南三北七の十流の学説を統一し、日本のおいては伝教大師が南都六宗を統一したる事蹟は、日蓮聖人の最も深く感激しておられることです。そして日蓮聖人一代の目的もまた、鎌倉時代における仏教の紛乱を統一しようとすることにありました。故に今日と雖も、日蓮聖人の主義を受け継いでいる者は、やはり仏教を統一し、進んでは我が国の思想問題に対しても、健全なる思想の統一を図ることを本領とすべきであると思うのです。そのためには、批判的精神をもって、斯かる宗教、斯かる道徳、斯かる思想は大いに国家に対して害があるものであるということを明白にしていかなければなりません。今頃になっても訳の分からぬような信仰をしていることは、恥ずかしいことだと思わなければなりません。日蓮聖人が「真言亡国」と言われたことも、従来の思想界が幼稚で浅薄であったがために、ただ悪口を言ったように思われただけであって、今になって考えれば実に明晰な論断です。釈迦如来が教えを立てられた娑婆世界にも拘わらず、弘法大師が出て来て「釈迦如来はいけない、釈迦の説いた仏教は駄目だ、釈迦如来など側にも寄れない大日如来が説いた大日経という御経がある」などと言うようなことは、インドで護摩を焚き呪文を唱えるヒンズー教が釈迦仏をヴィシュヌ神の九番目の化身とし、敢えて間違った宗教を弘めた者として、お釈迦様の仏教を蔑ろにしてしまったことと少しも違いがありません。

また、今日最大の宗教団体である創価学会や日蓮正宗が、盛んに「釈迦の説いた仏教は役に立たない、日蓮大聖人が御本仏であって釈迦の及ぶ分際ではない、釈迦仏法など使用すれば生活に破綻をきたすのは当然」などと言ってきたことも全く恐ろしい思想でありましょう。のんべんだらりとしている者であれば、仏教徒がお釈迦様を捨てることも何とも思わないかも知れませんが、例えばキリスト教徒がイエスを捨てるなどということになれば容易なことではありません。仏教を信じる者が、教主である釈迦牟尼仏を捨ててしまう、釈迦の説いた一切経は皆役に立たないと言われて、一切経をパッと捨てるようなことになれば、道徳の上において如何なる大事なことでも、同じようなことが起こります。仏教徒でありながら釈迦を蔑ろにし、一切経を捨てるという思想が一転して国民に入ったならば、また、そういうことを教えて信じさせる宗教が政治に関わっていたならば、遂に国家を滅ぼすものであるということを日蓮聖人は叫んだのです。ただ何となく宗教と道徳と政治は切り離して考えた方がよいと考えている人が多いようですが、しかしながら人間の思想というものは、そうそう分離して論じることが出来るものではありません。始終融通していて、その一点が他の全てに影響を与えているものなのです。だからこそ、日蓮聖人が論じた事が、今日にも適切なる影響を与えてくるのです。


 

明解「法華経要義」 分別功徳品第十七 その2

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月15日(月)10時09分57秒
  (現代語)
弥勒菩薩は座より立ち上がると、右の肩を袒にして、合掌して仏に申し上げました。それは、未だかって私達が聞いたことのないものです。世尊には偉大なる力が有り、その寿命は量り知ることも出来ません。数え切れない程の多くの仏子が、世尊が法の利益を得る者について詳しく説かれるのを聞いて、皆歓喜を身に満ち溢れさせております。

(要文)
その時に弥勒菩薩、座より起って偏に右の肩を袒にし、合掌し仏に向い奉りて、偈を説いて言さく。仏希有の法を説きたもう、昔より未だかつて聞かざるところなり。世尊は大力ましまして、寿命量るべからず。無数の諸の仏子、世尊の分別して法利を得る者を説きたまうを聞いて、歓喜身に充遍す。

(要義)
会座にある人々を代表して、弥勒菩薩が讃仏偈を奉った所です。希有という事は、尋常の人が説くものではありません。孔子・孟子のように、生命の無限を明らかにせずして、ただ善を教えたり、因果律の根本を明らかにせずして、ただ義務の上に善を為すというような根拠なくして道徳を説いたりするものではないのです。普通世間の人は、法と言えば何か抽象的な真理みたいなことを思い浮かべていますが、今「希有の法」と指したこと、正法として具体的に説かれたことは、仏の広大なる功徳の力と寿命無限である仏の実在です。仏の力、仏の生命を指して「希有の法」と言っているのです。日蓮門下には真言宗の影響を受けて、訳の分からぬものに法という言葉を使い、仏の頭の上に法が位いするというようなことを考える者が多々居りますが、法華経にはそのようなことは全く説かれていません。仏の力と仏の寿命、その広大なる仏の事を聞いたことによって功徳を得、その功徳を説き分けられた本仏の有難さに感激して、弥勒菩薩は「歓喜身に充遍す」と歓びが心のみならず全身に溢れていることを申し上げたのです。

 

報恩抄 その7

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月10日(水)14時56分51秒
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  「小失なくとも大難に度々値う人をこそ滅後の法華経の行者とは知り候わめ」

釈迦如来の在世に色々の反対があったのも、実は法華経のために起こったことである。釈迦牟尼仏が摩耶夫人のお腹に宿られた時に、第六天の魔王は、これは容易なことではない、この懐妊している子供が生まれて人の世に出るならば、悪を働こうとしている我々は全滅されてしまうかも知れない、法華経という尊い教えを説いて人々に与え、その法華経の利剣によって斬りまくられては堪らないから、今のうちに謀(はかりごと)を立てなければならぬと考えた。そこで医者に化けて浄飯王宮に入り込み、「この薬を召し上がれば安穏にお産が出来ます」と言って、毒薬を摩耶夫人に服ませたのである。また、お生まれになった時には石を降らせ、乳に毒を混ぜて悉達太子を殺そうとした。そして悉達太子が城を出て修行されようとする時には、黒い毒蛇となって道を塞ぎ、更には提婆達多や阿闍世王などの身に入って、大石を投げつけて殺そうとしたり、酒を飲ませた像に踏み殺させようとしたりと、法華経を世尊が説き給うのを恐れて、どうにか亡き者にしようと謀ったのである。

法華経には「如来の現在すら猶怨嫉多し」とあり、その次には「況んや滅度の後をや」とある。釈尊の御身には九通りの大難があったが、それにも優って滅後の法華経の行者には難が起こると説かれている。即ち、過失もないのに兎にも角にも度々の難が起こって、如何にも容易ならぬことであるとの証拠がなければ、真実の法華行者とは言われないのである。したがって、ただ今のように諸宗に偉い人があって、それに味方している僧侶や信者が沢山いて、法華経第一という主張に大反対を試み、寄って集って日蓮を迫害しようとすることは、これは正しく日蓮をして法華行者たらしめ、法華行者たることを証明していることになる。法華経の金言を活かす訳であるから恐ろしいことではあるけれども、そのように考えるならば、容易ならぬ所の反対を受けて、法華経の正義を貫くことは、一面から言えば実に愉快なことであり、自ら法華経の行者たるを証拠立てる点において、喜び身に余ることであると日蓮聖人は述べられたのです。


 

明解「法華経要義」 分別功徳品第十七 その1

 投稿者:shamon  投稿日:2017年 5月 7日(日)15時29分21秒
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   (現代語)
この説法の会座に集いし者達、仏の寿命の永遠なることを聞いた量り知れぬ大勢の衆生は、広大な利益を得ることが出来たのです。

(要文)
その時に大会、仏の寿命の劫数長遠なること、是の如くなるを説きたもうを聞いて、無量無辺阿僧祇の衆生大饒益を得つ。

(要義)
分別功徳品では、寿量品を聞いて信じる者は必ず仏になる功徳があるということを詳しく説かれます。この中では四信五品といって、釈尊在世の行者を四つに分け、滅後の行者を五つ分けて、法華経を修行する者の階級が示されています。日蓮聖人は、「四信五品鈔」に「分別功徳品の四信と五品とは、法華を修行するの大要、在世滅度の亀鏡なり」と特にその大事を述べて、その中でも在世四信の初めの一念信解と滅後五品の第一の初随喜は同じであり、この一念信解こそが法華経修行における信念成仏の根拠であると言われています。それ故にこの品を知るには、まず四信五品の意味を了解することが大切です。

四信:一念信解、略解言趣、広為他説、深信観成
五品:初随喜、読誦、説法、兼行六度、正行六度

第一の一念信解とは、寿量品に説かれた本仏釈尊の妙なる化導を聞いて一念に有り難いと感激せるものであって、ここでは解の字には重きをなしません。第二の略解言趣も、寿量品の釈尊に対して一通りの了解を持つ者であって、何も詳しく知る訳ではありません。第三は広為他説と、その寿量品の意味を他の為にも説くものです。そして、第四の深信観成とは寿量品の本仏の実在に対して深く信じ、ただ感情的に信じるばかりではなく、真心を以て信じるその信念が自己の理智と一致するのを観る、即ち信仰の上に現れる本仏と宇宙の真如、信と智が一体に帰している有様です。それ故に分別功徳品を講ずれば、この一念信解の所において信念の成仏を了解し、そして深信観成において信仰と理智との一致を会得することが極めて大切なのです。五品は、大体同じことを滅後の行者について述べたものです。初随喜とは、寿量品の教えに自分の心を随えて、そうして有り難く感じる最初の位であり、四信の一念信解と同じで、一番大事な初めの所です。随喜心という自らを随える所が定まってこそ宗教の価値は生じるのであって、今日の退廃せる日蓮門下のように、何に随喜するのかを明らかにせずして題目を有り難がっているようなことは、これは明らかに迷信の標本であると言わねばなりません。第二の読誦とは寿量品の経文を読むことであり、第三の説法とは寿量品の意味を他に向かって説くことです。そして第四と第五の六度とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜の菩薩行であり、兼業とは部分的に、正行とは完備して行うことです。

この六波羅蜜の菩薩行は、必ずしも困難なことではありません。金銭を施すも布施ですが、自分の余れる力を他に与えること、知識についても経験についても、またその他においても、自分の力を貸して他を利益せんとする場合は、それは皆布施ということになります。凡そ道徳の行為は、この布施の心より起こるものです。持戒ということも、完全に道徳律法を守らんとすれば、それは容易ではないかも知れませんが、人としての律、為すべきこと、為すべからずと定められた道徳の規範を守らねばならないということは、これは当然のことです。それを難行と言って斥けたのでは意義を為しません。成仏の正因は信心に置くのであるけれども、それを助成するものはすべての善根功徳ですから、如何なる善と雖もこれを斥ける所以はありません。宗教を信じていない人でも善を求めている、まして宗教を信じる者が善を斥けるということはあってはなりません。色々な善を寄せ集めて初めて成仏するというのではなく、信心を主因とするのが宗教の本義ではありますけれども、信仰と善根を対立せしめて、信仰を重んずるが故に善根を敵とするような説明は、その根本に於いて間違っています。人間の善心を幾分でも啓発しようとする所に道徳宗教の教化の本領があるのであって、やれないからと言ってそれに甘んじること、出来ない、出来なくても宜しいと断定を与えるようなことは邪説の標本です。釈尊は如何なる極悪の人間に対しても、汝に善は全滅していないと示して、如何なる者に対しても、皆菩薩の道を行じて作仏すべきであると啓発されたのですから、それを打ち切って進まないようにする教えは、閻魔の庁に於いて極刑に処せられても逃れるべき道のない大きな罪悪です。法華経は一念信解の成仏を説くけれども、能ふべくんばと、四信五品の階級を示していることを了解しておかねばなりません。

 

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