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(現代語)
今、汝達の為に真実を説こう。汝達が得たと思っている境地は寂滅の涅槃ではない。汝達は、仏の一切智を得るために、当に大いなる精進を起こさねばならぬ。汝達が仏の一切智・十種の力等の仏法を会得し、その姿が三十二の相好を具えたならば、即ちそれを真実の涅槃と言うのである。
(要文)
今汝が為に実を説く。汝が所得は滅に非ず、仏の一切智のために当に大精進を発(おこ)すべし。汝一切智・十力等の仏法を証し、三十二相を具しなば乃ち是れ真実の滅ならん。
(要義)
真の涅槃とは、一切の物をよく照らし見ることが出来る大いなる智慧が開かれ、その大いなる智慧よりして大いなる活動が起こってくるのですから、小乗仏教の修行者が得たと思っているような、消極的な消え去って行くような意味に仏教は説かれているのでありません。本来の寂滅とは消えて無くなることではなく、矛盾・対立や惑いを生じさせることなく、すべてが智慧によって完全に調和統一されて機能している淀みのない状態を言うのであって、それを成し遂げる為には、大いなる智慧に大精進を起こして大奮発をして進んで行かねばなりません。一切智を得て総ての物事の道理に通達し、宇宙に関しては実相の奥を究め、そして一切衆生に関してはその心の行く所を察知し、上にも下にも曇りなく智慧が働き、十種の仏のみが有する所の卓越した力を具え、その上に三十二相の優れた姿を具える、即ち精神も智力も相も一切が完成している実在を以て、「真実の滅」であると仏教は説きます。
したがって法華経からすれば、仏教を消極的であるとか悲観的であると考えるのは甚だ間違ったことです。消極的である、悲観的である仏教等というものは本当の仏教ではありません。聖徳太子が法華経を以てこの日本の国造りをされたのも、「万善同帰」と言って、総ての善いことが統一した所に働き、社会の道徳が守られ、善良なる風俗が育まれ、そして理想的な文化が開発されて行くことを法華経に観たからです。哲学的なる真、道徳的なる善、芸術的なる美、この真善美を希求して行う、そのような積極的な菩薩行こそが仏の智力と相好を得る者となり、そして社会を理想化せしめます。法華経に説かれているような思想の基準を無くし、或いはその思想の根底に動揺を来たすならば、それは個人の生活のみならず、人類の築いてきた文化文明を退化させ、そして社会に様々な問題を生じさせることになってしまうのです。
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