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臓器移植と脳死

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 6月19日(金)15時57分39秒
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  有り難うございます。一ヶ月以上も肩の痛みと手・腕の痺れがあると、流石に性格が悪くなりそうです(笑)。次の試合は、11月ですので肩の方は少し安静にして早期の回復を図りたいと思います。

「命は何よりも尊いもの故に、出来得る限りの手立てを尽くすべき」と言う臓器移植を推進する人々に対して、未だ倫理・宗教的には慎重・否定的であるのが一般的でありましょう。前者は「生存の権利」を声高に主張するものですが、特に仏教では日蓮聖人が「我不愛身命」と述べるように、ただ我が身「生存」への執着は目的を妨げる煩悩となることを説きます。

「可延定業御書」では「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。」とも述べられていますが、これは「命」は確かに大事だけれども、その命とは功徳を尽くすために大事であると言わんとするものです。即ち、命そのものが何よりも大事なのではなく、その大事な命を使って如何に生きるかということが最も大事なことです。それこそが、命の尊厳でありましょうね。

また、仏教では生死を超えるとも言いますが、如何に今生を死ぬかという命題は、如何に今生を生きるかと同義です。死に様、即ち生き様ですね。「葉隠れ」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」も同じ意味です。私達仏教徒と無宗教者の違いは、命は一回限りとは考えない、命の本質は永続するものである、したがって今生の生き様は来世に必ず影響すると考える所にあります。これは、単なる信仰などというものではなく、生命科学を根拠とする哲学から論理付けられるものです。

臓器を希望する人達にとって、毎月100人以上の死刑執行が行われる中国での待機は、最近までちょっとしたブームでした。外国人に対する臓器移植を中止したドイツにおいて、待機者の第一位は米国人、次いで日本人でした。米国での臓器移植に、日本人は倍以上の金額(約一億5千万程)を要求されます。貧困のために臓器を売った東南アジアの人々の、その後の苦しみは度々ニュースになります。南米では、臓器のために子供の誘拐があったとも伝えられ、南インドの海岸には臓器のない子供の死体が、よく打ち上げられるとも聞きます。

臓器移植のために、自分のクローン人間を別に作っておくというSF映画もありましたが、現在ステム・セル(幹細胞)の分野は、受精卵からつくられる胚性幹細胞を利用するものから、個人の成体幹細胞を利用するものへと研究が進められているようです。容易なことではありませんが、これは将来自分の細胞から移植をするための臓器を作れる可能性を持っており、これならば倫理的・宗教的な抵抗を除けるのではないかという期待があるようです。

生き延びるために臓器移植の必要があって、臓器提供が希望され、そして脳死が重要な問題となります。今衆議院の可決は、臓器提供を増やすために「脳死は人の死」と定める方向へとなったようですね。確かに、宗教的にも「脳死は人の死」でありましょう。安らかに今生を終え、次の人生に早く送り出して上げるべきだと思います。しかしながら、臓器移植のために「脳死を人の死」とすることは、宗教的には抵抗があると思います。生き延びるために他の手段がなく、死人の肉を食らう行為があったとし、例えその行為が宗教的に許されたとしても、宗教はそれを推奨することはないでしょうから。

明日shamonは、品川・天妙国寺における法華宗三派(陣門・真門・顕本)の統合学院に出没します。
 
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