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(現代語)
仏は諸の比丘に告げました。富楼那は、法明如来となるであろう。その仏の国土には、七宝の高殿が満ち、天の神々の宮殿は近くの虚空に在り、人々と天の神々は互いに相接して見ることができるであろう。
(要文)
七宝の台観 其の中に充満し、諸天の宮殿近く虚空に処し、人・天交接して両(ふた)つながら相見ることを得ん。
(要義)
この所はこれ等の人々が悟った場合の浄土、人々が仏と成った場合の仏国土の美しき光景が説かれています。そこは、善行を積む人々と、その人々を助け給う天の神々が交わり接することが出来る世界です。この現実の娑婆世界は損得に惑わされ、多くの人々は餓鬼・畜生の下方へと向かうばかりですが、仏と成って行く人々の世界は、皆上を向いて天の神々と交わっているのです。偽り無き天と人が「両つながら相見ることを得ん」とは、偽り無き方へと人間が近づいている、人間が非常に向上していることを説いています。
仏教は、この娑婆世界を穢土であると捨てて、他の仏国土に新たに生まれ変わることを直ちに目指すものではありません。何故ならば、私達は生々世々、この娑婆世界を離れて存在することは有り得ないからです。したがって、私達はこの娑婆世界を仏国土に変えるべく、この娑婆世界において菩薩行を積んで行かねばなりません。そして、その菩薩行を積む時には、この娑婆世界の中に美しき理想の浄土を観て、そして人々が天の神々と相交わって向上していくように努めなければならないのです。「神を信じる」と言っても、賽銭を投げて拝めば、その願いを叶えてくれるような存在に神をすべきではありません。天は近きに在って私達と交わり、そして人間としての向上を大いに助け給うものであらねばなりません。
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