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「立正安国論奏進750年」の意義

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月 2日(木)23時49分46秒
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  2泊3日のフライトを終えて、家には戻らずそのまま本山妙満寺での1泊2日の布教師の研修会と総会に直行、そして明日の夕刻からはまた泊まりのフライトです。我ながら、よく続きますね(笑)。

宗教界の低迷が叫ばれる中、我が宗門にも漸く新しい風が吹き始めているような手応えを感じて帰ってきました。他の日蓮門下においても、今年は「立正安国論奏進750年」を掲げて檄を飛ばしているようです。しかしながら、私shamonとしては正直どうしても合点が行かないことがあります。

日本語の読める常識人ならば、「立正安国論」に述べられたことは至って明確でありましょう。「釈迦も釈迦の説いた法華経も役に立たない」という謗法の宗派と手を切り、これを禁(いさ)めて正法に帰依すべきであると、そう為政者に諫言したのが日蓮聖人の「立正安国論」であったはずです。ならば、「立正安国論奏進750年」を掲げて日蓮門下が今すべき事は、はっきりしているのではないでしょうか。

「釈迦も釈迦の説いた法華経も役に立たない」という、噸でもない最大の宗教法人「創価学会」が、日蓮の名を騙って日本の政権与党に与し、マスコミも経済界も彼等に胡麻を擂っているのが今の日本の現状であるのは誰が見ても明確です。しかしながら、それを呵責する動きは日蓮門下の何処からも聞こえてきません。

このままでは、日蓮宗を始め日蓮門下の「立正安国論奏進750年」は、既成仏教の崩壊が危惧される中、ただ自宗のみの経済的繁栄のために「法華経、御題目を弘げましょう」という綺麗事の布教を呼びかけるものに終わってしまいそうです。それは、僧侶と一部の信徒にとっての自己満足に終わるものであって、けっして人々を引きつける芯のあるものにはなりません。

だからこそ今の既成仏教界は人々から見切られているのだ、諸天善神からも見切られているのだと、日蓮聖人の叱責する声が聞こえて来るのは私だけなのでしょうか。「立正安国論奏進750年」を掲げながら立正安国論の精神を誤魔化す、「損得を考えて面倒な相手を避ける」弟子の屁理屈を聞いたら、日蓮聖人ならば間違いなく檄キレするでしょうね。百年前の奏進650年には、「日蓮主義」を正しく説いた本多日生猊下が大活躍をされました。

私shamonも微力ながら何とか続かねば・・・と思っている最中に新聞を広げれば、新興宗教の「幸福の科学」「幸福実現党」が一面広告で脈略不明の事を宣う。一体この国は、何処へ行く?
 
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