|
|
(現代語)
黙して仰せつけにならない仏を前にして、菩薩達は如何にすべきかを考えました。そこで菩薩達は、仏の心に敬い従って本来の誓願を満たすために、獅子の如くに声を轟かせて誓いを立てたのです。「世尊、我等は如来の入滅の後に十方の世界を往来し、人々がこの経を書写し、受け持ち、読誦し、その意義を解説し、その教えの如くに修行し、心に正しく念じることが出来るようにさせましょう。それらの努力は、すべて仏の威徳の力によるものでございます。どうか世尊、他の国土にあって遠きに居られましても、我等をお護り下さりますよう御願い申し上げます。」
(要文)
仏今黙然として告勅せられず。我れ当に云何(いかん)がすべき。時に諸の菩薩、仏意に敬順し並びに自ら本願を満ぜんと欲して、便(すなわ)ち仏前に於いて師子吼(ししく)を作して、誓言を発(おこ)さく、世尊、我等如来の滅後に於いて、十方世界に周旋往返して、能く衆生をして此の経を書写し、受持し、読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正憶念せしめん、皆是れ仏の威力ならん。唯願わくは世尊、他方に在(ましま)すとも遥かに守護せられよ。
(要義)
法華経を弘めることを喜んで許して下さると思っていたにも拘わらず、釈尊からは何等の御返事を頂くことは出来きませんでした。そこで菩薩達は、まだまだ自分達の精神が足らぬからであろうと思い、「師子吼」と言う程に熱誠の声を振り絞ります。「私達は一つ所に恐れ畏(かしこ)まることなく、十方世界に於いて此方彼方を行き巡り、多くの者がこの法華経を写し、持(たも)ち、読み、教えを正しく解釈して、説かれた通りに修行を為し、法華経の意味を正しく心に念じるようにさせて参ります。無論、私達が法華経の為に尽くすことが出来るのは、仏の加護の力でございます。仏の威徳の力をお借りして法の為に尽くすのであって、ただ自分の力のみを頼みにしては到底叶いませぬ。それ故にどうか遙か遠方にお出でになっていても、私達が法華経を弘めることを守って頂きたい。」と、菩薩達は自分の決心を述べ、そして守護を受けることを願って誓いを立てたのでした。
法華経の意味を正しく解釈し、法華経に説かれた如くに修行をして、そこで初めて私達は教主釈尊の導きと加護の確かさを感得することが出来ます。その誓いの精神、方法に於いて何等の欠点が無いにも拘わらず、釈尊がこの菩薩達に直ちに法華経の弘通を命じ給わなかったのは、これらの菩薩達が誓いを立てる時には確実なる決心をしても、これまで法難重なり来る時には退転をした事があるが故です。この過去に決心のぐらついてきた者を迹化の菩薩と称し、後に出現する、本仏釈尊に従って道心を発してより一度も法華経の伝道に失敗しない者を本化の菩薩と言いますが、釈尊は此の本化の菩薩を召し出して命じ給わんとの思し召しがあるために、迹化の菩薩には此処では法華経の宣伝を御許しにはならないのです。
|
|