人生のこと、社会のこと、仏教のこと、あなたのメッセージを伝えて皆さんで御一緒に考えましょう。初心者の方には、優しくお答えしますので遠慮せずに疑問を解消しましょう。継続的な法話の他、宗教哲学、法華経や日蓮聖人の教義に関する専門的な御質問、議論も歓迎する掲示板です。
| Reload |
| 全1190件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 | 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 | 《前のページ | 次のページ》 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 以上は、新着順101番目から120番目までの記事です。 | 2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
| 《前のページ | 次のページ》 |
法師品第十 その1
投稿者:shamon 投稿日:2009年 7月10日(金)09時52分20秒その時、釈尊は薬王菩薩を始めとする八万の菩薩達に告げました。妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、そして僅かながらも心から喜ぶ者には、私は皆記別を与えよう。「まさに阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう」と。
もし、仏を敬い視る如くして、此の経巻を合掌して恭しく敬う人があるならば・・・。もし、我が入滅の後に、密かに一人のためにも法華経を一句なりとも説く善なる男子・女人があるとするならば、当に知らねばならない。この人は則ち如来の使いである。如来に遣わされ、如来のなすべき事を行う者なのである。況や、人々の中において、広く人のために法華経を説く者は言うまでもない。
(要文)
妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜する者には、我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
此の経巻に於いて敬い視ること仏の如くして、乃至合掌恭敬せん。・・・若し是の善男子・善女人、我が滅度の後、能く窃かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使いなり、如来の所遣として如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於いて、広く人の為に説かんをや。
(要義)
法華経は決して難行ではありません。「一念随喜」と言って、僅かにその一偈一句を聞いて喜びを以て信仰を起こし、その教えに心を委せて行くならば、仏と成る記別は与えられる、遂には菩提を成就し得ると示されています。そして、この法師品は法華経を弘める者についての心得が説かれています。法華経は殊に女人も加えて「善男子、善女人」と説かれているように、在家であっても法華経を弘める人は法師とされ、それは僧侶に限るものではありません。したがって、日蓮聖人の当時から、在家の信者は男女何れも法華経の宣伝に力を注いだのです。
「此の経巻に於いて敬い視ること仏の如くして」とあるのですから、第一に敬うべきは仏であることは至極明らかなることです。仏を敬うことは当然の事ですけれども、法を敬う方法は未だ分からなかったからが故に、仏を敬うように法華経を敬えと説かれたのです。したがって、誤れる法華の徒が「依法不依人」等を持ち出して、法華経は敬うが仏は敬わないというような語弊を生じさせていることは、この経文から見ても明らかな誤解です。釈尊自らが説く「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」の「法」とは釈尊によって覚られた法であり、この場合の「人」とは釈尊を指すのではなく、釈尊が説かれた法に依らぬ邪見の人であることは言うまでもありません。
我が釈迦牟尼仏の滅後に於いて、僧侶に限らずして、在家の善男子・善女人が、法華経の一句を僅かに一人のために説くことすらも、それは如来の使いとして、如来の仕事を手伝うことであると説かれています。仏教徒として、これ程の有り難き言葉は無いと言わざるを得ません。普段は、誤れる仕事を多くする凡夫が、法華経を説く場合には一転して如来の仕事を担う者、最高の浄き仕事をする者となるのです。況や、広く大衆の中に於いて説く場合は無論如来の使いであり、言葉を以て誉めることも出来ないほどに尊いことであると、その功徳を鼓舞し奨励せられています。