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感動できるものに

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 6月 7日(日)10時56分53秒
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  如説修行さん 今日は

信念を貫き続けるには、そこに「美」意識が不可欠となってきます。佐々井上人の「美」とは、いつも経文のように口遊(くちずさ)んでいる浪曲でしょうね。それがそのまま、佐々井上人自身の生き様を支え、そして決定して来たと思います。

辛いことも悲しい出来事も、美に昇華させることによって初めて感動的に受け容れることが出来るようになります。日蓮聖人の場合も、当にそうです。自らの為、他の為、互いに精進して参りましょう。

ところで、佐々井秀嶺上人は他宗主催の講演でも、アンベードカル師の本地は上行菩薩と言われていると思います。つまりアンベードカル師は日蓮聖人の再誕である、即ちインドの仏教徒のみならず佐々井上人に関わる皆さんは、本仏釈尊の弟子、地涌の菩薩を意識しなければならないということになりますね。そのような大事なメッセージを無視して、佐々井上人の褌(ふんどし)を担いでいるような人があれば少々残念なのですが・・。
 

佐々井秀嶺大老師の講演

 投稿者:如説修行  投稿日:2009年 6月 5日(金)10時46分17秒
  shamonさま、ご無沙汰しております。いつもロム専で勉強させていただいております。
昨日、総持寺においての、佐々井氏の講演を拝聴いたしてきました。
shamonさまも、インドでの運動をがんばっておられ、本当に不信感を抱かれているのは、僧呂のほうですね。(苦笑)今後も宜しくご指導をお願いいたします。
秋葉原の事件から8日で一周忌になります。自分も信念をもって、精進していきたいと、あらためて思っております。
 

化城喩品第七 その6

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 6月 3日(水)16時14分52秒
 編集済
  (現代語)

今、汝達の為に真実を説こう。汝達が得たと思っている境地は寂滅の涅槃ではない。汝達は、仏の一切智を得るために、当に大いなる精進を起こさねばならぬ。汝達が仏の一切智・十種の力等の仏法を会得し、その姿が三十二の相好を具えたならば、即ちそれを真実の涅槃と言うのである。

(要文)

今汝が為に実を説く。汝が所得は滅に非ず、仏の一切智のために当に大精進を発(おこ)すべし。汝一切智・十力等の仏法を証し、三十二相を具しなば乃ち是れ真実の滅ならん。

(要義)

真の涅槃とは、一切の物をよく照らし見ることが出来る大いなる智慧が開かれ、その大いなる智慧よりして大いなる活動が起こってくるのですから、小乗仏教の修行者が得たと思っているような、消極的な消え去って行くような意味に仏教は説かれているのでありません。本来の寂滅とは消えて無くなることではなく、矛盾・対立や惑いを生じさせることなく、すべてが智慧によって完全に調和統一されて機能している淀みのない状態を言うのであって、それを成し遂げる為には、大いなる智慧に大精進を起こして大奮発をして進んで行かねばなりません。一切智を得て総ての物事の道理に通達し、宇宙に関しては実相の奥を究め、そして一切衆生に関してはその心の行く所を察知し、上にも下にも曇りなく智慧が働き、十種の仏のみが有する所の卓越した力を具え、その上に三十二相の優れた姿を具える、即ち精神も智力も相も一切が完成している実在を以て、「真実の滅」であると仏教は説きます。

したがって法華経からすれば、仏教を消極的であるとか悲観的であると考えるのは甚だ間違ったことです。消極的である、悲観的である仏教等というものは本当の仏教ではありません。聖徳太子が法華経を以てこの日本の国造りをされたのも、「万善同帰」と言って、総ての善いことが統一した所に働き、社会の道徳が守られ、善良なる風俗が育まれ、そして理想的な文化が開発されて行くことを法華経に観たからです。哲学的なる真、道徳的なる善、芸術的なる美、この真善美を希求して行う、そのような積極的な菩薩行こそが仏の智力と相好を得る者となり、そして社会を理想化せしめます。法華経に説かれているような思想の基準を無くし、或いはその思想の根底に動揺を来たすならば、それは個人の生活のみならず、人類の築いてきた文化文明を退化させ、そして社会に様々な問題を生じさせることになってしまうのです。
 

不信感

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 6月 3日(水)14時14分32秒
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  日什門流の別格本山は、戦後日蓮宗に残留した飯田本興寺、会津妙國寺、見附玄妙寺、吉美妙立寺、単立の品川本光寺、そして現在も顕本法華宗の会津妙法寺、品川天妙國寺、京都寂光寺を合わせて八山となります。会津の妙法寺には、私も2回ほど伺いました。観光寺院ではなく信仰の道場ですので、参詣者は目的を明確に伝えることが大切なことでしょうね。近くの会津妙國寺は什祖の霊廟のあった場所を寺院としたもので、戦死した白虎隊が運ばれた所でもあります。

私の肩の痛みは、どうやら胸郭出口症候群(過剰外転症候群)が原因の一つのようです。なで肩の女性ばかりでなくて筋肉の発達した中高年にも起こるそうで、鎖骨の下を通る腕神経叢を圧迫損傷していたようです。ウエイトを使った過剰なシャドーボクシング、パソコンの使いすぎ、長時間のフライトの影響、過労等が誘因として考えられます。何とか試合までには痛みだけでも治まって欲しいものですね。

立派なお医者さんも確かに居らっしゃいますが、医師のライセンスは一度取得すれば半永久的であるあるせいでしょうか、それにしても最近は不勉強な方が多いように感じられます。患者からの症状をきちんと聞いて病名を推測できない、適切な治療が出来ていないと思える医師を多く見掛けます。と、ここまで書いて思いました・・・不信感を抱かれることに関しては、僧侶の方が事態は甚だ深刻である!(爆)。
 

会津妙法寺にて・・・

 投稿者:誉田のマサ  投稿日:2009年 5月31日(日)09時53分10秒
 編集済
  昨日友人の付き合いで福島・会津地方に行きましたので別格本山「妙法寺」へ寄りました。

妙法寺さんでは法事が行われていたので終了を待って多門上人に

「本堂を見せてください」

と申しましたら峻厳且つ慈悲深き表情で

「本堂というものは見学するところではありませんよ」

と言われました。

齢不惑にして心のどこかに不遜さがあったと反省し改めて自らの寺院と参詣の敬意を申し上げ

「申し訳ありませんでした。お参りさせていただけませんでしょうか」

と言うとお上人は快く参詣をお許しくださいました。


昨日は自らを反省できた意義深い参詣となりました。
 

天晴会講演録

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月26日(火)12時39分42秒
 編集済
  明治・大正期、本多日生師が主宰した日蓮門下各派結集の天晴会、その講演録が復刻版(三巻、各600〜650頁)として限定出版されます。

講師人は、本多日生、境野黄洋、鈴木天眼、清水梁山、田中智学、関田養生、姉崎正治、脇田尭惇、野田日主、高島平三郎、柴田一能、竹内久一、山川智応、山田三良、小原正治、小原正恒、小林一郎、井村日咸など多数。

定価45,000円は、割引特価で30,000円。書店では取り扱っていません。一般の方には、少々高いですが。

USS出版 http://www.uss-shuppan.com
 

リハビリ

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月26日(火)09時27分58秒
  漸く堪えきれる肩の痛みになりましたので、試合に向けてリハビリのためのシャドーボクシングを始めました。昨日までにトリガーポイント(麻酔)注射を4回、痛み止めの薬で舌の裏まで口内炎、貼り薬に負けて肩の皮は剥け、超人おやじを目指していましたが、年相応のポンコツおやじを証明してしまいました(笑)。明日から、副業のフライトも復帰します。

仕事の内容、過労とストレス、腕の使いすぎ、ケアの失敗等が原因でしょうから、オーバーワークとならないように十分な休めを取れとの身体の信号かもしれませんね。まあ、お陰で痛くて何も出来ませんでしたが・・。苦痛の化城品ではなくて、もう少し優しい導き方でも、いいんですけど私も(笑)。
 

化城喩品第七 その5

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月23日(土)20時31分45秒
 編集済
  (現代語)

譬えば、賢明なる案内人に率いられて、宝のある所へ向かって五百由旬の険しき道を行く人々があるとしよう。しかしながら、人々は中途で疲れ果て、不安に怖れ、そして引き返したいと言うのであった。「大いなる珍宝を捨て、退き返るようなことはあってはならぬ。」と考えた案内人は、神通力を以て方便として前路に都城を造り、そして人々を一旦留めて憩わせたのである。

如来もまた、かくの如しである。人々の志の劣れることを知り、方便の力を以て休息のために、途中に二つの涅槃の境地を説いたのである。彼の案内人が人々を休めさせるために仮に都城を造り、すでに安息を得たことを知って「宝のある所は近くにある。この都城は真実のものではない。私の神通力によって仮に造り出されたものである。」と告げるようなものである。

(要文)

仏是の心の怯弱下劣なるを知ろしめして、方便力を以て、中道に於いて止息せんが為の故に、二涅槃を説く。彼の導師の止息せんが為の故に大城を化作し、既に息(やす)み已(おわ)んぬと知って、之に告げて、宝処は近きに在り、此の城は実に非ず、我が化作ならくのみと言わんが如し。

(要義)

現代語には、化城宝処の譬喩の内容を補足しています。神通力を持つ優れた案内人は、宝を求めながらも険しく長い道程に疲れて心も弱っている人々を見て、仮の都城を拵(こしら)えて休息させます。ところが一行は、今度はその状況に満足して更に進む気力を無くしてしまったために、再び化城を滅して宝処へと向かはしめるのです。この優れた案内者・導師とは釈尊を譬えたものであり、そして大勢の宝を得ようと進む者達とは、仏教に集まった人々のことです。仏教の最高の悟りに至らんとするには道は遠く険しく、気の弱い人々には精進を続けることが出来ないが故に、釈尊は方便を以て途中に小さな悟りに似た満足、小乗仏教の「有余の涅槃」と「無余の涅槃」を説いたのです。

この有余の涅槃とは、煩悩を断じて輪廻転生の原因は絶っているが未だ身体は残っている状態、そして無余の涅槃とは灰身滅智と言って心身共に消滅した状態ですが、このような消極的な二涅槃を仏教の悟りのように説いてきたのは、方便であり化城と等しきものであることが明らかにされます。それは恰も案内者が人々を休息させるために化城を造ったようなものであって、十分に休んだ頃と思う時にはその化城を滅して宝所に導くのと同じであり、彼の二涅槃の悟りは真実のものではない、そんな所に引っ掛かっているべきではない、更に進んで大いに積極的に菩薩の行に入り、活動を起こして仏に成って行かねばならない、積極的な実在となって、そこに非常な働きが現れて来るようにならねばならないことが説かれて行きます。
 

寺院

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月22日(金)16時26分59秒
 編集済
  顕本法華宗の公式ホームページにある記載寺院というのが、どれを指すのは分かりませんが、大網白里町には約20件程の顕本法華宗の寺院(無住職・兼務寺院を含む)があります。

勿論、東栄寺は住職在住の顕本法華宗寺院ですね。顕本法華宗の現在の寺院は約250件、戦前の日蓮宗との合併後にそのまま日蓮宗内に残って什門流(旧顕本法華宗)を表明しているのは約120件、その他には顕本法華宗でしたが宗門に組織的に属せずに単立の顕本法華宗或いは日蓮宗(妙満寺派)と称する寺院が多数あります。

かって上総の土気城主が領地のすべてを什門流のみとしたこともあり、千葉に寺院が集中しています。特に、大網白里町は本国寺(現在は日蓮宗在籍)を中心とする顕本法華宗の大きな壇林があった場所ですね。まあ、日蓮聖人は今の千葉県安房小湊の出身ということもありますが。
 

質問

 投稿者:南無三  投稿日:2009年 5月22日(金)14時06分10秒
  いきなりの質問で失礼ですが顕本法華宗の宗派名で雷光山東栄寺という寺院が千葉県の大網白里町にありましたが顕本法華宗の公式ホームページでこの寺院の記載がなかったのですが、もしかして公式ホームページ以外に顕本法華宗の宗派を明記している寺院って沢山あるのですか?私は単発の質問しかできないのでこれで失礼しますね。  

仏縁

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月20日(水)10時41分16秒
 編集済
  川蝉さん、有り難うございます。鍛えまくって肉体的には若いですから五十肩ではないです、きっぱり(笑)。幾つかの要因で、頸椎から伸びる神経を痛めたみたいなのですけれども、神経系って、大きな傷も無いのに、じっとしていても異様に痛いものですね。私の場合は、頸椎に変形等があるわけではないので大事はなく直に治まるものだと思いますが、頸椎症のような方は大変なお辛いでしょう。余り効かない痛み止めの薬ですが、それに対応する胃薬と一緒に処方されています。私も過去に、痛み止めのための胃薬が身体に合わずに口内炎だらけになったことが(笑)。

それにしても皆さん、よく考えたら「身代わり地蔵」って、何か酷い話のような気がしてきませんか。

誉田のマサさん

団参ではなく個人での一発奮起、遠路の参加お疲れ様でした。ただ法要だけでなくして、今後は仏縁のある方が結集しての懇親会等が出来るようにしたいものですね。
 

お大事にしてください

 投稿者:川蝉  投稿日:2009年 5月20日(水)09時18分2秒
  お見舞い申し上げます。

右肩からの痛みでは、余計に不自由なことでしょうね。

いわゆる五十肩でしょうかね。

Shamonさんが激痛と表現するのですから、よほど痛いのでしょうね。

痛み止めは胃に障わりませんか。
私の場合は、外科の痛み止めは、すぐに胃にきてしまいます。

お大事にして下さい。

http://www.homyou.hello-work.jp/

 

大法要

 投稿者:誉田のマサ  投稿日:2009年 5月20日(水)08時11分18秒
  先日の大法要ご苦労様でした。

3月の本多日生上人の法要のときにはじめて会わせていただき偶然といいましょうか

「仏縁」といいましょうか再会させていただき嬉しく思っております。

今年の大法要は団参ではなく個人的な参詣でしたが翌日に同じ菩提寺の檀家さんに

バッタリ出会いました。(驚!!)

またブログで仲良くなった福井のK上人ともお会いできて実り多き大法要でした!
 

有り難うございます

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月19日(火)20時01分34秒
 編集済
  殺しても死にそうになさそうですが、何かと怪我が多いのがshamonのようです。お兄さんのこと、本当に残念なことでしたね、お悔やみ申し上げます。南無妙法蓮華経

世界が云々も大切ですが、自らの目の前にある生老病死・憂悲苦悩を嫌悪することなく、生老病死・憂悲苦悩の立場に置かれた自分というものを嫌悪することなく、如何にそれらを肯定的に捉えて臨まんとするかが、お釈迦様の先ずは説かれた教えです。そのようなお釈迦様の智慧を自らが得んとすることと、世界の人々をも救わんとすることは同次元のことなのでしょうね。

うん、この肩の千切れそうな痛みは、戦闘で負傷せねばならぬ兵士達、そして戦闘に巻き込まれて負傷した女性や子供達の痛みを、汝忘れるなかれとの釈尊の有り難い教えでありましょう。
 

お大事に

 投稿者:ちるちる  投稿日:2009年 5月19日(火)16時46分5秒
  先日は助言いただきありがとうございました。
あれから少しずつ法華経を読み解いています。

私の兄ですが、今年自殺しました。
学会員に仏罰だと喜ばれました。
ここで詳しくは書けないのですが、少し敵対していたので。
人の死を喜ぶなんて、理由が何であろうと信じられないです。

真実は何よりも力を持っていると信じています。
世界を見渡せば問題だらけ。
私も持病を持っていて、やりたいことが沢山あるのに思うように行かないことが多いのですが、成長のためには苦労は必要だなとやっと思えるようになりました。
仏教に触れるきっかけが出来たのも色んな過去のおかげです。
ピンチはチャンス!
shamonさんも何か更にすごいものを掴んでしまうかもしれないですね!
ただ無理は禁物です。
ご自愛なさってください。
 

悲喜交交でお願いします(笑)

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月19日(火)15時35分3秒
 編集済
  政権争いのために民主党の党首は交代し、公明党に配慮した衆議院選挙の時期が決められる。一日100人弱の自殺者が出る国で、毒性の弱い新型インフルエンザに左往右往する。リストラの嵐と就職難に直し、景気の影響で都会では既に3割近くの人が通夜や告別式を行わない直葬を選んで宗教離れは益々進み、もはや宗教界は葬式坊主でも食べていけない状態を迎えつつある。世界の景気が明るい兆しを見せることはなく貧困の民は益々貧困に、戦闘は戦闘を以てしてのみしか終わる気配はなく、アフガンの戦闘は今なお継続し、スリランカの内戦は終息しつつある。チベット問題は既に一次のブームとなり、民主化運動のスーチーさんは解放を前に軍政に起訴される。

それに引き替え、日本や世界の状況と関わり合いもなく、小生ときたら朝から首肩の激痛のために医院巡りです(苦笑)。先程、トリガーポイントの注射を打ちましたが、それほど症状が良くなったようでもありません。御先師の漢文で書かれた著書の読み下しと現代語訳も始めなければ・・、法華経の解説本も完成させなければ・・、インドの法華経布教と貧困層の子供達の教育援助も進めなければ・・、そうだ!フライトの準備も・・、嗚呼痛い、好い加減にせいよ、天魔破旬め!
 

激痛走る!

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月18日(月)15時38分10秒
 編集済
  1週間程前から肩甲骨の裏あたりが痛み、ボクシングで肩を痛めたのだろうと接骨院通いをしていましたが、2〜3日前より右手の指先も痺れ、今日は遂に歯もまともに磨けない、車の振動さえも拷問に感じる激しい肩の痛みになってしまいました。おそらく神経系だろうと考え近所の脳神経外科へ行ってMRIを撮りましたが、有り難いことに特に頸椎に目立った損傷はないようです。痛み止めの飲み薬と貼り薬を貰い、次は整形外科の医院へとタライ回しとなりました。そこでは、病巣はハッキリしないままの頸椎からの神経が何たらかんたら。しかも、呻き声をあげてしまうような痛みの割には、痛みが直に治まるのを待つしかないとのこと。痛み止めの薬も、効いているだか効いていないのだか・・。首を鍛えるための首ブリッジが症状を悪化させていたのかも知れません。

明日からのフライトは、お客様の安全第一ですから取りあえず2〜3日の休みを申請しましたが、ボクシングの試合までは残すところ1ヶ月もありません。うーん、何にしても人生ってホント試練の連続(笑)。我が息子は、「年の割に何でも激し過ぎるからだ」って言ってますけど。
 

春季大法要

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月16日(土)22時19分53秒
  春季大法要の御知らせ、忙し過ぎてすっかり忘れてました。今、京都の本山・妙満寺にいます。明日17日、御参詣頂ければ有り難く思います。shamonに会って見たいと思われる方が居りましたら、是非宗務所で土屋信裕を呼び出してください。  

化城喩品第七 その4

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月14日(木)13時56分13秒
 編集済
  (現代語)

この十六人の菩薩は、疲れることなく常に願って妙法蓮華経を説いた。そして、彼の仏の弟子の十六人の沙弥は、皆無上の悟りを得て十方の世界において現在も法を説いているのである。その第十六番目とは、我釈迦牟尼仏である。この娑婆世界において、阿耨多羅三藐三菩提を成し遂げたのである。

(要文)

仏諸の比丘に告げたまわく、是の十六の菩薩は常に楽(ねが)って是の妙法蓮華経を説く。彼の仏の弟子の十六の沙彌は、今皆阿耨多羅三藐三菩提を得て、十方の国土に於いて現在に法を説きたまう。第十六は、我釈迦牟尼仏なり。娑婆国土に於いて、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜり。

(要義)

法華経を説き続けた十六人の菩薩達は、今は何れも仏となって十方の世界で法を説き続けていることが説かれています。そして、衆生達も生生世世、生まれ変わる度にその教化を受けた菩薩達に伴って信を深めて行ったのです。この十方の世界で法を説く仏の中には、西方の阿弥陀仏も含まれています。即ち、浄土門が救いを求めている西方世界の阿弥陀仏も、実は妙法蓮華経を以て衆生を教化していると言えるわけです。そして、この娑婆世界で菩提を成就して法を説いているのは、私達の師である釈迦牟尼仏です。釈迦牟尼仏が菩薩であった時に、その法座に於いて法華経を聴きし者は、今この娑婆世界に来て救われることとなる、私達娑婆世界の衆生と釈迦如来には特別の結縁があるのです。

今、この因縁を聴きし下根の者は、彼の大通智勝仏の時、私が菩薩として法華経を説いた法座に来ていた人々である。その時法座に集まった者の大抵は救われてしまったけれども、汝等はその後に疑惑を懐いては他の方便の教えに流れ、或いは退転し堕落して今日まで残ってしまった者である。私と汝等の関係は今に始まるものではない。汝等は実は遙かなる過去の時より、法華経を以て私に教化されてきた者なのであり、今漸く我が本懐を悟って自らが発心を起した所の法華経に戻ったのである。それは信解品に譬えられたように、長く流浪していた長者の子が、父に面会して漸く家督を相続することを得たのと同じであり、迷いより悟りに帰ってきたのである。何も驚くことではないと、そのような意味を釈尊は教えられたのでした。

この化城喩品においては、遙かなる過去世の時、釈尊は父であった大通智勝仏より法華経を学び、そして菩薩として衆生に結縁して妙法蓮華経によって仏種を植えたとされています。しかしながら、これは法華経前半の迹門では、釈尊は今世において菩提樹の下で悟りを開いた仏の立場であり、未だ自らが無始の久遠より成仏している本仏であることを明かしていないために、仮に大通智勝仏に寄せて教えが説かれたものです。本門の寿量品に至って釈尊の久遠実成の真実が顕わされるならば、釈迦如来と私達は無始久遠の関係であって、それは久遠の昔に下種があったということになります。したがって、この釈尊との関係を知らず覚らず、事実この娑婆世界において仏教を説かれたのは釈尊ただ一人にも拘わらず、釈尊を忘れて他の仏に依ることを、日蓮聖人は不知恩の者なりと強く諌められているのです。
 

化城喩品第七 その3

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 5月12日(火)10時24分53秒
 編集済
  (現代語)

その時に彼の仏は、沙弥となった王子達の願いを受け容れて、この大乗経の「妙法蓮華」、菩薩を教える法、仏の護れるものを説かれたのである。そして大通智勝如来の十六人の王子は、この経を聞き終わった後、阿耨多羅三藐三菩提(無上なる完全な悟り)のために、皆共に妙法蓮華経を受け持ち暗誦し、そして内容に精通することを得たのであった。

(要文)

爾の時に彼の仏、沙彌の請を受けて、是の大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたまう。この経を説き已って、十六の沙彌(しゃみ)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の為の故に、皆共に受持し諷誦(ふうじゅ)・通利しき。

(要義)

王であった父は大通智勝如来となり、そしてその十六人の王子もまた出家して、この妙法蓮華経を聞いて受持し精通し、その教えを以て他の者を導いて行ったのです。「阿耨多羅三藐三菩提」とは、サンスクリット語を音写したものであって、訳せば無上正遍知、即ち真理を究めた仏の無上なる智慧を意味します。ここで説かれていることは、父であった大通智勝如来も最後には法華経を本位として説き、十六人の王子であった菩薩も法華経を中心として修学したということです。

そして、その十六番目の王子こそが、この娑婆世界を選んで成道を遂げ、今此処に法華経を説きつつある釈迦自身であることが明かされて行きます。即ち、釈尊が法華経を説くのは今此処に始まったことではなく、過去を尋ねれば、大通智勝如来の時に発心したのも法華経であり、覆請といって王子達が菩薩となって再説していたのも法華経であったのです。仏は始終法華経を説くのですが、娑婆世界の者達には法華経は容易には受け入れ難い教えであるがために、その機根を整えるために止むを得ず釈迦如来は四十余年方便の教えを先に施したのであって、法華経を説いて開権顕実することは、元よりすべて予定されていた行動であるのです。
 

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