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 投稿者:.  投稿日:2009年10月 9日(金)17時48分44秒
 編集済
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本迹論

 投稿者:shamon  投稿日:2009年10月 8日(木)10時40分39秒
 編集済
  未だ本迹論についての学術的な詳細な議論があると、何故にもっと簡単に理解出来るように整理されていないのかと思うことがあります。そんなことに何時までも細々と拘って、分かり易く整理されなかったならば、日蓮門下が統一して布教なんか出来るわけがないですものね。「巧遅は拙速に如かず」の孫子の言葉が、武人である私には染みついているのかも知れませんが、これって、鎬を削っている優秀な企業は皆取り入れていることなんです。伝統なんてものに胡座をかいて、うだうだやっていると何時か潰れてしまうことになります。

さて、天台大師の見方は、体(本体)と用(はたらき)に差別を見ないことにあります。凡夫は目の前のものに囚われるだけですが、仏はその本体を見極めることが出来ます。そして、「体」を明らかに知った上で、その変化である「用」を見るが故に、そこに差別を見ません。そのようなことから、天台大師は本門の重要性を説きながらも、最終的には本(本体)と迹(垂迹)に差別を見ない故に、法華経の本門と迹門にも「一致」を説くのですね。これは、真実と方便の関係も同じです。開顕といって、真実を明らかにした上で、真実の応用である方便に価値を見ていきます。

一致派というのは、この天台大師の釈によって、本門と迹門の一致に拘ったわけです。末法で仏教が危機となっている時に、「何奴も此奴も本仏である釈尊を捨てて、用である他仏を有り難がるとは何と怪しからん!」と日蓮聖人が言われていたにも拘わらずですね。きっと、難しい天台教学を理解し、新たな主張を構築することが、インテリジェンスの証だと思ったのかも知れませんね。まあ、当世の仏教学者と言われる方々も、そっちの方がメインのような方が多々いらっしゃいますけれども。

日蓮聖人は、天台大師の教学を踏襲した上で、方便も真実の現れだなんていうのは、真実を明らかに知っている者の言うことで、真実が何やら分からずに枝葉の方便に拘っているような末法には、まず真実・本仏を明らかにすることが大事であると言われたのですね。方便と真実に差別は無いなどと暢気な事を言っている場合じゃない、差別を明らかに示して真実を宣揚すべき時だと日蓮聖人は強く言われたわけです。

そのために、日蓮聖人は法華経の本門が大事であることを打ち出しました。「一往勝劣再往一致」などというのは、言ってみれば日蓮聖人は確かに本迹に勝劣を唱えているが、天台大師は一致を唱えているのだと言っているようなものです。そこで、天台大師の釈に拘る一致派に対して、開顕の上になお差別を打ち出し、久遠釈尊の実在を説く本門の優位を唱えるのが日蓮聖人のスタンスであろうというのが、勝劣派である顕本法華宗の主張でした。ところが、他の勝劣派には少々ニュアンスが違う所があったんですね。一致派が余りにも「天台が、天台が」と言うものだから、「何を言うか、こっちは日蓮だ、日蓮だ!」となり、例えば八品派など、勢い余って遂には「教主釈尊が常に教えを以て導かれている」という寿量品に説かれた真実を覚ることよりも、「末法に日蓮聖人が救世主となって題目を下種して下さった」ことの方が重要だと考えるようになってしまうのですね。そして、これが今度はもっと勢い余って、「何が釈迦だ、こっちは日蓮だ、日蓮こそが本仏だ!」などという富士派(日蓮正宗)の屁理屈が出来上がってしまうわけです。

で、もう一つウンザリするのが、一致派は本門と迹門の一致に拘るために、本仏であるはずの釈迦如来に、そのまた本体、例えば「諸法実相」「宇宙の真理」があるなどと言い出したことですね。そして日蓮正宗もまた、釈尊を本仏としないために、久遠元初仏などを作り出し、その久遠元初仏の現れが日蓮大聖人だなどと訳の分からぬ事を言い出すわけですね。そんな・あんなが日蓮聖人の名前を騙って作られ、しかも難解な言葉で語られて、益々日蓮教学を訳の分からないものにしています。で、これまたその反発で、「題目さえ唱えれば良い」と主張も声高々となるわけです。

誰が、ああ言った、こう言ったではなく、過去の主張に何時までも拘らずに、日蓮聖人の真蹟に基づいて、何時何処でどのような目的で説かれたことかを把握した上で、そして常識的な仏教知識と読解力を以て、一般の信徒にも「なるほど、そうか!」と分かり易い真実を伝えることが出来る人々が、これからの日蓮門下・新生のためには必要になるでしょうね。まあしかし、日蓮聖人の教義を正しく勉強して理解しようとしない方々に、宗門の在り方を説くのは至難の技かも知れませんが。
 

ちょっと忙しいので・・更新が

 投稿者:shamon  投稿日:2009年10月 7日(水)07時23分16秒
 編集済
  やらねばならない事が結構溜まっています、サボっていないんですけど(笑)。

昨日は2泊3日のフライトから帰って、夕飯を掻き込むと直ぐにボクシングの練習へ。今日は、これから品川天妙国寺に教学研究所「公開研究例会」へ”とんぼ返り”。来週からはフライトの他に、緊急時のシミュレーター訓練と「定期路線審査」など”てんこ盛り”で、機長として勉強もしっかりとやらねばなりません。それが済んだら、来月早々から「おやじファイト」熊本大会を挟んで、布教師として千葉や岡山へと行って参ります。

忙しさも感謝して楽しむように心掛けていないと、泣きが入るばかりか、人生の好機を潰してしまいます。要は、「捉え方」ですね。

ちゃんと、「イケダン」としてカミさんの相手もしてますよ〜!(たぶん)
 

堤婆達多品 第十二 その4

 投稿者:shamon  投稿日:2009年10月 3日(土)10時41分41秒
 編集済
  (現代語)

智積菩薩は、疑って言いました。釈迦牟尼仏は、遥かなる過去より菩提を求めて休むことなく、そしてこの三千大千世界に菩薩として身命を捨てなかったところは芥子粒程もありません。それは、すべて衆生の為であるのです。

その言葉が終わらざる時、竜王の娘は仏の前に忽然と現れて、礼拝すると偈を以て如来を讃歎しました。「優れて浄らかなる如来の法身は、三十二の相を具え、八十種の特徴をもって厳かに飾られております。」

(要文)

智積菩薩の言わく、われ釈迦如来を見たてまつれば、・・・三千大千世界を観るに、乃至芥子の如きばかりも、是れ菩薩にして、身命を捨てたまふ処に非ざることあることなし、衆生の為の故なり。

龍王の女(むすめ)、忽ちに前に現じて、偈を以って讃めて曰さく、微妙の浄き法身、相を具せること三十二、八十種好を以って用て法身を荘厳せり。

(要義)

智積菩薩が疑って言うには、釈迦牟尼仏は、この広い三千大千世界に芥子粒ばかりの場所でも命を捨てなかった所はない、衆生を憐れむ精神から身命を抛って、尊い菩薩の修行を積まれた結果として仏になったのである。すなわち、仏に成るには非常に長い年数の修行が必要であると説く別教の見地から、女人が発心して而も速やかに成仏するようなことは、信じる訳には行かないと述べている所です。

そこに竜王の娘が忽然として現れ、「微妙(みみょう)の浄き法身、相を具すること三十二〜」との讃仏偈を唱えます。多くの仏教者は、法身と言えば「真理としての実在」であって姿もなければ形もない、報身・応身には姿があるが、姿のあるものは実在の仏ではないなどと考えています。そこを今龍女は、法身である絶対の仏において、智慧と慈悲によって荘厳された微妙の美しき姿、報身と応身の姿を重ね合わせて見ているのです。龍女は、真理と智慧と慈悲の結晶として、真善美を兼ね備えた三身即一の不滅の如来を拝しているのであって、釈迦は応身、弥陀は報身、大日は法身というように、そこに区別を立てて見る隔歴三身の思想を否定しています。

真理である法身云々を人格的実在の仏を傍らに置いて論じることは一見高い思想のようですが、そのようなものは決して信仰を導きたる所以とはなりません。真言宗のように、山でも河でも何でも法身だ、皆すべて真理の現れだなどと言っておれば、大日如来に対する信仰を忘れて、不動明王を信じたり弘法大師を奉ったりするようなもので、日蓮門下に於いても久遠の釈迦如来に対する信仰を忘れて、鬼子母神の霊力を頼ったり、日蓮聖人を本仏だなどと崇める可笑しなことも起きるのです。人間の精神は、ただ冷ややかなものには心が動きません。情意が理智と共に離れずに動くというようなことを忘れた宗教は、人間の宗教としては効力を持たないのです。そのような理智に囚われた学者を辛辣に批判して、八歳の娘は讃仏偈を歌って成仏したとも言えます。
 

2009年度版 法話

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月30日(水)21時41分16秒
 編集済
  日蓮宗では、祈祷師、所謂「呪い師」になるために、荒行に入って精神の鍛錬をしている等と宣伝していますけど、私の場合は、布教のため、精神と肉体を鍛えるために、修行の一環として今ボクシングをしています。で、「おやじファイト」という全国的な試合に40歳代で参加しているんですね。まあ、大リーグ・イチロー選手の偉業には遠く及びませんが、ボクシングの練習は相当ストイックなもので、ジムでの結構な練習だけでなくて、勿論仕事の泊まり先では走り込みもしています。もう、48才になりますけど、9分走ってから30秒のダッシュを12本、そしてまた9分走る、のキチガイ沙汰です。

で、この間の6月に長崎で試合があったのですけど、ちょうどその試合の1ヶ月前に肩の神経を痛めてしまったんですね。上腕神経叢っていうのが、ここからここ(頸から肩を通して手先まで)に延びているんですけど、ちょっと無理な練習をして、丁度肩の付け根で神経を痛めて、接骨院の治療で更に悪化させて、もう車の助手席にも乗ってられないほどに激痛が走るようになってしまったんです。パイロットの仕事も10日ほど休みましたけど、もう後は、ペインクリニックのお医者さんに痛み止めの注射を打ちまくって貰って、何とか誤魔化していたんですね。もう、右手ではサンドバックも強くは打てない状態で、しかもパンチが顎に当たると、バーナー症候群と言って、肩にバーン!と電気が走るような状態です。何とか、試合までには痛みだけでも治ってくれと思いながらの1ヶ月、遂に、ぶっつけ本番となるその日を迎えてしまいました。

いやー、そりゃホント試練でしたね。何とか優性に凌げるかと思った1ラウンド終了間際、相手のパンチを食らった瞬間に、肩と腕にバーン!と激痛が走って使えなくなってしまったんですね。土屋信裕、もう最大の危機です! セコンドの会長は「どうんすんだ機長、腕が使えないなら棄権だぞ機長、どうすんだ!」って言うんですけど、ここまで来て、今更それはないでしょう。で、選択肢は三つです。棄権するか、このまま片手で続けてボコボコに負けるか、それとも片手で勝つか? もう、2ランドからは右腕は下がったまま、渾身の左フック、左フックのみです。で、勝ったんですね。奇蹟の判定勝利です。ジャッジもよく、有効打を見てくれたのが助かりました。

「闘い」っていうのは、怯んだら負けなんですね。どんなに正しいことでも、怯んだら負けなんです。「一生懸命やってきたのに、何でこんな目に遭うんだ〜。」なんて怯んでいたなら、もうサバーって天魔にさらわれちゃうんです。だからこそ、日蓮聖人は御遺文に「たとい命に及ぶとも、すこしもひるむ事なかれ。」って励まして言われているんですね。宗教も闘いなんですよ。強く正しい生き方を貫く、我が人生における魔との闘いなんです。

で、私の好きな仏教のお話の一つ、涅槃経にお釈迦様の前世の修業を説いた「雪山童子」のお話があります。衆生の為に菩提心を発して、そしてヒマラヤで一生懸命に修行している雪山童子を見て、帝釈天が「此奴は、果たして本物かどうか。」を確かめるというお話ですね。そこで、帝釈天は恐ろしい鬼の姿に身を変えて天上から降り立つと、雪山童子の側で彼の有名な偈文の前半分「諸行無常、是生滅法」を唱えます。すると、雪山童子はこれを聞いて「嗚呼、これだ!」と思ったんですね。確かに、これは過去から仏が説いたものである。しかし、これは教えの前半分のみで、後ろの半分がない。鬼が何処で仏の教えを聞いたのかは知らないが、どうしても完全な教えが聞きたい。そこで、雪山童子が「どうか、後の大事な半分を聞かせて頂きたい。」と鬼に頼むと、鬼は「我は血肉を食らう者である。お前の身体を差し出すならば」と条件を出すんですね。雪山童子が臆することなく「衆生を利益する大事な教えの為ならば、どうぞ我が身を捧げましょう」と再び願うと、鬼は後の半偈を唱えます。「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」と。

雪山童子は非常に悦んで感謝しました。そして、人々のためにと石壁や樹木にこの偈文を書き残して身を整えると、高い樹に上って「さぁ、約束通りに!」と躊躇無く、“ばーっ”と身を投げるんです。すると、彼の鬼は元の帝釈天の姿に戻って、雪山童子が地面に叩き付けられる寸前に、“さぁーっ”と助けるんですね。そして、帝釈天を初め、天の神々が雪山童子を礼拝し、誉め称えて言うんです。「素晴らしいことでございます。貴方こそ、真の菩薩であります。どうか無上の悟りを成就されて、そして一切衆生をお導き下さりますように。」と。皆さん、よ〜く、覚えていて下さいよ。不惜身命の覚悟がなければ、鬼は鬼のまんま、神には決して変わらないんです。

で、そうやって信心を強く保っている私は、何をしているかというと、有志の皆さんの御援助を得て、過去5年、カンボジアやインド、アンコールワットやブッダガヤで、現地の僧侶延べ4000名を動員して唱題行脚しながら、大行進しながら2万冊の現地語に翻訳した法華経を配布してくると共に、平成12年からは、ずっと創価学会・公明党と戦って来たんですね。平成12年は、ちょうど、自公連立政権が始まろうとしている時で、その時に自民党に「政教分離を考える会」っていうのがありまして、その白川代議士を通して、全国会議員700人以上に、この「しられざる創価学会の教義」を配って貰ったのです。全都議会議員には、今度創価学会・公明党の代表となる山口那津男、その山口那津男と選挙区で戦っていた、あのテレビによく出てくる平沢勝栄さん、知ってますよね? あの方に配って貰いました。日蓮聖人を習っての、私の所謂、平成の「立正安国論」奏進です。

で、国政選挙の度に街宣運動して来たんですね。東京や大阪では、歩いてでもやりましたけど、主に福岡では、愛車の赤いジープに、こんな大きなスピーカーと取り付けて、日蓮聖人と同じように辻説法です。私は、本来自民党支持者なんですけれども、創価学会に批判的だった代議士も、次から次へと皆創価学会に媚びを売るようになる事態に大変な危機感を持ったわけです。で、今年は7月16日「立正安国論」奏進750年の日に、麻生総理の地元・飯塚の商店街を皮切りに始めました。こんな感じですね。

「福岡の皆さん、こんにちは。仏教の教主が、お釈迦様であるのは世の中の常識です。お釈迦様が説かれた教えが、仏教でございます。これに反して、日蓮聖人の教えを歪曲して洗脳し、「釈迦も釈迦の教えも役に立たない」と教える、噸でもないカルト宗教が創価学会でございます。そして、その創価学会が、国を乗っ取る野望を以て組織したのが「公明党」でございます。日本国憲法第二十条には「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とあります。政権与党とは、政治権力を行使している政党です。その政権与党に創価学会・公明党は在るのです。創価学会と公明党は別モノであるなどいう屁理屈を鵜呑みにするような、非常識的な人間が一体何処にいると言うのでしょうか。

元公明党委員長で、現在は政治評論家の矢野絢也氏は、「創価学会と公明党は『日本占領計画』を着々と実行に移している。池田大作名誉会長による独裁国家の建設だ。私はマインドコントロールにかかって創価学会に操られていた。『池田創価学会』によって、日本の民主主義は、今や危機に瀕している。」と、最近出版した著書にもその真実を暴露しています。その創価学会に票をチラつかされ、学会票という麻薬に冒されて常識を失い、カルトの創価学会・公明党と組んでこの国を危うくしてきたのが自民党ではないでしょうか。その結果、今や政治や行政のみならず、マスコミも大広告主である創価学会に胡麻を擂っている有様です。日本国の平和と発展を本当に祈るならば、自民党はカルト宗教と手を結んだことを猛省し、そして新たに出直すべき時であるのです。それが、本来の自民党の復活となるはずです。国民は、自公連立政権にNOを突きつけています。噸でもない宗教と手を組んで、迷走している自民党にNOを突きつけているのです。それが都議会選挙の結果ではないでしょうか。政権維持のためにカルト宗教、創価学会と手を組んだ自民党、日本の未来に理念なき今の自民党には政権を担う資格はありません。」って。

もうそりゃ〜色々出てきますよ〜。「馬鹿野郎、いい加減なこと言うな!」って怒鳴り付けて、モノを投げ付けようとする奴も居ますし、車の前に立ちはだかってゴリラのように「やるか、この野郎」と威嚇してくる馬鹿も居ます。ずうっと付け回して来る学会員のおばさんの車もあります。で、創価学会に通報されて、のこのこ出て来た警察官には言ってやるんですね。「ピピピー、ちょっとこっちへ!」「何だ、お巡りさん。演説は聞いていただろ。創価学会に味方して、お釈迦様の敵になろうってのか?」って。そしたらですよ、「いえいえ、とんでもありません。職務上、通報があったまでのことですから、どうぞ渋滞に気を付けてお続け下さい。」って。もう、二度と警官は出てきませんね。

そして遂に、カルト宗教・創価学会と組んだ自民党は、天罰下って公明党共々散々に負けて政権から下野しましたね。お前の街宣運動と、自公政権の敗北は関係ないだろって言う人が居るかも知れませんけど、街宣が意味のないことだったなら、候補者が一生懸命やっている街頭演説も意味のないことになってしまいます。そして、何よりも大事なことは、人が見ているからじゃないんです。効果が目に見えるかどうかじゃないんです。損だとか得だとかじゃないんです。信仰として大事なことは、お釈迦様が見て居られるか、日蓮聖人が見て居られるか、仏教守護の神々が見て居られるかということなんです。

日蓮聖人は、弟子達には何度も「天の加護なき事を疑わざれ。現世の安穏ならざることを嘆かざれ。と述べたにも拘わらず」、と開目抄に書かれています。確かに、私は人並み以上にチャレンジ精神が有りますから、それだけに多くの試練を自らに敢えて招いているのかも知れません。しかしながら、それはけっして災いではないんですね。ですから、その試練以上にですよ、有り難い諸天善神の御加護を得て、そしてお釈迦様の有り難いお導きを受けていることを、私は本当に常々実感して感激することが出来るんです。信仰というものは、怯んじゃ駄目なんですね。勇気を奮い起こして臨まなければ駄目なんです。そこで初めて、諸天善神の御加護もあり、仏様も褒めて下さっていることが分かるんです。それに気付いて、嗚呼、何と素晴らしい人生なんだとの想いを得ようとするならば、是非とも、皆さんも、もう一歩、あと一歩、前に前に信仰に突き進んで頂けたらと思います。

ああ、そうそう。で、ボクシングの試合の時、神様でなくて、ウチのカミさんが大声で叫んでいましたよ。「土屋〜! 下がるな〜!」って。で、結局応援の褒美を私から貰ったのは、ウチのカミさんだったんですけどね(笑)。まぁ、今日の所はこの辺で。
 

堤婆達多品 第十二 その3

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月28日(月)17時48分49秒
 編集済
  (現代語)

龍王の娘は、生まれながらにして智慧に優れ、衆生の性質や能力によって為される行為をよく知り、陀羅尼という非常に含蓄のある意味深い言葉を得て、仏達の説かれた奥深き秘蔵を悉く受け持ち、深く禅定に入ってあらゆる存在の真実に達し、瞬く間に菩提心を発して不退転の境地を得ています。その弁舌は自由自在であり、人々への慈しみは、恰も赤ん坊に接するが如くです。功徳を具えて、心に念じ口に唱えることは、非常に優れていて広大であり、その慈悲は思いやりに溢れ、心は穏やかに優しく美しく、よく仏道を成就しています。

(要文)

智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知り、陀羅尼を得、諸仏の所説・甚深の秘蔵、悉く能く受持し、深く禅定に入って諸法を了達し、刹那の頃(あいだ)に於いて菩提心を発して不退転を得たり。弁才無礙にして、衆生を慈念すること、猶お赤子の如し。功徳具足して、心に念ひ口に演(の)ぶること微妙広大なり。慈悲仁譲・志意和雅にして能く菩提に至れり。

(要義)

釈尊に促されて智積菩薩は、海中の竜宮において常に妙法蓮華経を以て多くの菩薩を教化してきた文殊菩薩に、この経を修行して速やかに仏と成った者は有るのかと問いました。そして、沙竭羅竜王の娘について答えたのが、女人成仏の証文となる上記の一節です。智積菩薩は、仏になるためには相当の難行苦行と徳を積まねばならないから女人には無理であると述べ、そして舎利弗尊者は小乗仏教の意見から、五つの障りを説いて、女人が仏に成ることは有り得ないと疑います。しかしながら、法華経の教化を受けた龍王の娘が、仏前に現われてその成仏を示すことによって、それ等の考えは全くの誤りであったことを悟るのです。女人は智慧が愚かである、教えに関しても鈍根である、状況や道理を考えず、自分の考えを意味も整わずに喋るばかりで、他の者の性質を知って教えを説くというような能力は乏しいなど、初期に成立した経典では女人の欠点が沢山論じられてきました。種々の事情によっては、女性の多くにそのような傾向が生じ易いのかも知れませんが、法華経ではそれ等の一つ一つを挙げて、女人の本質に必ずしもそのような欠点があるわけではないことを説きます。そして、龍王の娘を代表として、女人の人格及び能力の侮るべからざることを教えるのです。

そもそも仏教は、女性を排斥するものではなく、最初から婦人を啓発し、婦人をして希望を懐かしめてきた教えです。それ故に、釈尊に帰依して仏教の為に働いた在家婦人、または比丘尼として立派な仕事をした人が非常に沢山おられるのであって、大蔵経によって婦人に関する経文を総合して観察するならば、仏教が婦人を圧迫したり蔑視したりする所は殆どないことが分かります。婦人は宗教の為に働くのが一番良いということは、釈尊のお考えの中にもあったことで、仏教は女性を蔑視しているなどと考えるのは大きな間違いです。これは法華経のみが、他経と逆行して斯様なことを説いているのではありません。法華経が秀でているのは、他の経典に部分々々に現れ、そして説明が浅く整頓されていない思想を総合して統一している所にあります。侮る無かれ、女性は自分が語らんと欲することは自由に話をしても少しも差し障りなく、母の子を愛するが如き心は、広く押し広げられて多くの人に及ぼされるものである。優しさと謙虚さを持ち、その心は和らいで気品を備え、そうして結局は菩提に至り仏様になることを得るのだと、法華経は女性の性質というものを肯定して教えを説くのです。
 

堤婆達多品 第十二 その2

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月23日(水)14時33分4秒
 編集済
  (現代語)

妙法蓮華経の堤婆達多品を聞き、浄らかな心で信じ敬い、疑惑を生じなければ、地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちず、十方の仏の面前に生まれ、常にこの経を聞くであろう。もし、人・天の世界に生まれるならば、妙なる法楽を得るであろう。

(要文)

妙法華経の堤婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。所生の処には、常に此の経を聞かん。若し 人天の中に生まれては、勝妙の楽を受く。

(要義)

この法華経の堤婆品を聞いて疑いを起さなかったならば、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちないのみならず、十方の仏の前に生まれることが出来るとあります。また、自らが生ぜんと欲する所、何れにも自在に生まれることが出来る、そうして常にこの法華経を聞いて、益々菩薩に進み行いて、遂には仏になることが出来ると説かれています。

「勝妙の楽」とは、大海のように安らかな心の境地のことです。我が身にとって悪なるものを、善なるものへと捉え直すことが出来るならば、それがトラウマとなって執着を起こすようなことはありません。酷い目に遭わされた、悔しい思いもさせられた、しかしながら、よくよく考えれば、そのお陰で新たな方向性を見出し、そして今の成功も幸福も得られたのだと実感出来るように、人生に前向きに臨んでいかなければなりません。地獄界・餓鬼界・畜生界とは、瞋恚・貪欲・愚痴の心です。もし心に傷を残し、そして執着するならば、それは何時か怒り・憎しみ・怨みなどの憎悪の感情となり、欲望を生じ愚かな行為を生じさせることにもなります。しかしながら、法華経を信じることによって心に自在を得て、物事の見方・考え方を変え、嫌悪すべきであったものも感謝すべきものへと転じて行くならば、如何なる境遇も変えていくことが出来る、優れた果報を得て幸福を得ることが出来るようになるのです。
 

朝日新聞、やってくれるねぇ(笑)

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月23日(水)12時34分44秒
 編集済
  つい先日は、もろ創価学会婦人部による公明党を擁護・宣伝する投稿が、「声」の欄で取り上げられていたかと思うと、今日は自民再生「処方箋を聞く」で、野中広務元幹事長を登場させています。

野中のお猿さん曰く、「10年間政権を共にした公明党のことも忘れてはいけない。この10年、自民党の暴走で内部から批判が起きるという苦悩を公明党はいくたびか味わったと思う。自民党内には『公明党と10年やったからこんなになったんだ』と言う人たちもいるが、この10年の政権は、公明党の協力と辛抱があったこそやってこられた。自民党が友党への配慮なしに政権を取り戻すのは難しいだろう。」だとか(怒)。
 

交々

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月20日(日)21時50分0秒
 編集済
  餓鬼・畜生・地獄の三悪道は、誰の心にも存在します。そして「衆生は皆是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す。」との、お釈迦様も私達の心に実在しているのです。正しき考え方、正しき行為に導いて私達を救わんとする、久遠釈尊の実在を信ぜず者には、餓鬼・畜生・地獄の業も現実化するでしょうね。「南無妙法蓮華経」とは、第一義に、寿量品に説かれているように、衆生を憐れむ久遠釈尊による慈悲の教化が常に行われていることを信じ、そしてそれを人々に弘めることを誓い、実践することですね。そうして、地涌の菩薩としての自覚を得て行くのです。

さて、日蓮聖人の弟子にそれぞれのキャラクターがあるように、日蓮門流の各々にもキャラクターがあるのは当然です。それは、けっして間違いであるとは言えません。しかしながら、日蓮聖人の教えに本質的に違うのならば、それは日蓮聖人の弟子ではありませんし、日蓮門下を名乗ることは許されないはずです。ですから、同じ日蓮門下でも、許し難き誤りは、誤りであると厳しく批判することが大切ですね。

何でも方便と、宗教を生業と考えているような人たちでも、世間から厳しく批判されるようなことになれば商売にはなりませんから、徐々に誤りを改めようとするでしょう。誤りを批判されて敵対してくるような人たちは、そもそも宗教として害ですから排除しなければなりませんが、そういう輩と直接対決するとなると結構面倒な事になります。ですから、世間に向かって分かり易く、どんどんその誤りを訴えていくことが肝要ですね。

大体の考え方の誤った者は、自分達で自分達の誤りを公表するようなことになったら、世間から信用を失って商売にならなくなるだろう等と考えて、何とか屁理屈を並べて誤魔化そうとします。こういう馬鹿は何時の時代でも居ますが、不良品にリコールを掛けないような会社こそが、世間から信用を失って潰れてしまうのだという、当たり前のことを理解しようとはしません。信用を与えるべき宗教が、信用を失するようなことを続けているのでは話にはなりませんよね。

かって本宗でも、私が「法華経を信じなさいと言って御布施を貰っている僧侶が、俺は法華経は信じられないと言ったら詐欺師になるでしょう。」と厳しく発言したところ、反感を持った”そこそこ権力を有している僧侶”に「片手間に僧侶なんかやりやがって、あの野郎は顕本の坊主は詐欺師だと言ってやがる。」と宗門中にデタラメを吹聴され、長年あからさまに皆から嫌厭されたことがあります。まあ、shamonとしては勝負の為所(しどころ)ですね(笑)。

話は変わりますが、昨日は、私が通っている博多協栄ジム、その期待の蔦谷選手の応援に後楽園ホールまで行ってきました。ボクシング界に全くの外から飛び込んで、その復興の為に尽力している著名な瀬端氏が主催している「ダンガン・ソウル」の興業です。おやじファイトも、実はその瀬端会長が興行しているものなんですね。ボクシング界の復興には、何よりも選手達が一生懸命に練習し、そして如何に感動できる試合を人々に見せてくれるかが大事なことです。ストイックなまでに精進したその結果を、全精力を以て互いにぶつけ合う姿に、観客は感動するんですね。観客は、けっして殴り合いの喧嘩を見て楽しんでいる訳ではないのですね。そして選手は、必ず互いの健闘を称え合うものなんですね。うん? 何が言いたいか分かりますよね。

さて、今回プロ4戦4勝で日本ランカー8位の選手に挑んだ23歳・元アマ王(元・東福岡高then拓大キャプテン)イケメン蔦谷選手の結果です。ファイナルラウンドの8R50秒過ぎに、見事なKO勝利を収めてくれました。5回に一度ダウンを与えるも、全般的には試合巧者で強打の相手選手に苦しみ、瞼(まぶた)の上もバックリ割れて出血し、あわや判定では負けるかという”ひやひや”状態の中、大逆転的な素晴らしい勝利で感動を与えてくれました。私も、応援に喉が張り裂けそうでした。

次は、文武両道に修行している私shamonが蔦谷選手の勇気を貰って、11月の「おやじファイト」熊本大会に向けて大いに奮闘せねばなりません。と、如何せん48歳になろうとしている身体、あちこち壊れやすく、今度は肩ではなく腰痛が長引いていて少々苦しんでいま〜す(涙)。何事も天魔に負けないように、皆さん励まし合って頑張っていきましょう! な〜に、死にはしないって(笑)。
 

補足

 投稿者:端くれ  投稿日:2009年 9月20日(日)07時55分22秒
  記憶が不確かと書きましたが、思えば10年以上前だと、日蓮正宗以外は日蓮宗一派一纏めと言う、認識でした。当時は、正しく勉強し始める頃、まだ創価学会経由の知識位しか持ち合わせていない時期だったかと思います。よって、日蓮正宗(正)以外はみな同じ(邪)、題目と言えば概ね日蓮宗、"日蓮宗おまえもかー!!"という思いを持ちました。但し、正宗の(正)は、ないなぁと思い始めた頃ですね。改めてお詫びします。


さて、最近も子殺しのニュースがありました。死んでしまえば、みな同じ、死に方にも差別はないという考えもあるかも知れませんが、私は世の中に親に虐待され殺される事ほど残酷な死はないものと思います。その次に無理心中の巻添えでしょうか、最も守られるべきもの、頼りとすべきものに殺されるのですから、その事を思うと痛まれてなりません。親殺しはまだ、その過程や事情等、考慮される事がありましょうから、一概には言えませんが、被害の幼子だけはその子に落ち度はありません。ただ仏教的にその前世まで遡ってぼって考えますと、この被害の子らには前世において、どれ程の謗法、過ちを犯してきたのだろうかと複雑な気持ちになります。が、そんな考えは別に、端くれの身として、ご祈念の終わりには、被害の子供さん達の冥福、追善供養を陰ながら続けています。私は超微力でも、仏界に届けば供養になるものと信じております。朝から重い話、失礼しました。
 

お礼申し上げます

 投稿者:端くれ  投稿日:2009年 9月19日(土)14時16分30秒
  通りすがりさん、
訂正の事、教えて下さいまして有難うございました。
番組で日蓮宗〇〇寺とあったのは、記憶に不確かであります。読経と唱題の内容からから=日蓮宗というのは先入観だったようです。失礼しました。みなさん、申し訳ありませんでした。(チョット検索しましたが、慈雲法師、妙法山…それにしても怪しい日蓮門流は、まだまだ沢山あるんでしょうかーー)。
 

訂正

 投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 9月18日(金)15時59分50秒
  「“やましき沈黙” 投稿者:端くれ  投稿日:2009年 8月11日
十数年くらい前、夏の定番?心霊特集のようなテレビ番組で日蓮宗の尼寺の住職らが除霊行為をしていました」
これは、慈雲法師という人物がはじめた宗教で、慈雲氏死後、後継の尼僧たちがやっていたものです。日蓮宗ではありません。
 

堤婆達多品 第十二 その1

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月16日(水)17時59分10秒
 編集済
  (現代語)

時に、大乗の妙法蓮華経を説くと言う一人の仙人があった。王位を捨てて「法」を求めていた王は、その仙人に仕えて、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食事を用意し、その身を以て仙人の床座とも為し、身心共に倦み疲れることはなかった。

その時の王とは、他ならぬ我が身のことである。その時の仙人とは、今の堤婆達多のことである。私が覚りを完成させ、そして広く衆生を救うことが出来るのは、それは皆提婆達多が仏道に於いて善き友であったからである。

(要文)

果(このみ)を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以って床座と作せしに、心身倦きことなかりき。

その時の王とは則ち我が身これなり。時の仙人とは今の提婆達多これなり。等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり。

(要義)

この堤婆達多品では、法華経を後の世に弘めるならば、悪人でも女人でも救われる、所謂悪人成仏・女人成仏を説いて、法華経を弘める志を奨励されています。釈尊を亡き者にして仏教教団を乗っ取ろうとした堤婆達多、その堤婆達多に関して説かれた前半分によって標題は付けられていますが、後半の内容は女人成仏に関して説かれたものです。上記は、位を捨てて政治を太子に委ね、仏道修行の為に善き師を求めて廻った国王が、師匠に仕えて修行する時の光景を説いた一節です。一国の王として何等の不自由もなく生活していたにも拘わらず、法を求める為に、師匠の為に果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、身を以て床座とし、しかも身にも心にも倦怠を生じないで、一心に法を求めて進んで行ったことが述べられています。

そして、その師匠が生まれ変わって今の堤婆達多となり、その国王とは我釈迦牟尼仏であったとの過去の因縁が説かれます。それ故に、堤婆達多は悪人ではあるけれども真の悪人ではなくして、釈尊の徳を現わさんが為に出て来たものとされるのです。釈尊を妬み敵対する堤婆達多のお陰で、釈尊の慈悲の強き事、また忍耐の強き事、そのような徳を打ち出すことが出来るのですから、堤婆は却って釈尊の化導を助けていることになります。したがって、この法華経に於いて、堤婆達多は釈尊より「天王如来」という成仏の許しを受けて、未来に衆生の為に広く妙法を説くことが予言されるのです。
 

浄土真宗「親鸞会」の偽装勧誘

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月16日(水)08時46分18秒
 編集済
  朝、ポストを見ると「無料見本誌プレゼント」の広告と返信用葉書が入っていました。こころがホッとする仏教月刊誌、日本一やさしい仏教月刊誌「とどろき」と宣伝してあります。

そして、この広告には「お釈迦様、親鸞聖人の説かれた人生の目的とは」とあって、愛読者の悦びの声が掲載されていますが、(株)チューリップ企画という出版社会社で偽装され、浄土真宗・親鸞会の機関誌であることは全く隠されています。こういう卑しい巧妙な手口が、この団体の邪な実態を物語っていますね。

浄土真宗・親鸞会とは、浄土真宗とは全く関係がなく、所謂浄土真宗版の創価学会・カルト新興宗教と言われ、様々な問題を起こしながら拡大を図っている団体です。僧侶達が、しっかり勉強して教えを説かず、信仰も薄く、偽善を気取って他の誤りを正さず、如何に商売繁盛するかのようなことを考えていれば、次から次へと人々を誤った信仰に導く邪な団体が世の中に増えてくるのは当然です。

本物に目覚める僧侶と信徒をどんどん発掘して、そして活躍出来るように、皆さんで互いに応援し合って行かねばなりませんね。
 

新家族

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月14日(月)11時04分30秒
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  家内が少しペット・ロス症候群になりかけていましたので=実は私も?、3日ほど前にペットショップに子猫を探しに行って来ました。そして、我が小庵に新たに家族として来たのは、メインクーンの雄、名前は「空太(くーた)」です。他の犬・猫・鳥たちに挨拶を終えて、「くー太」君、今は家の中を大冒険中です。

「ちー太の魂、入ったよね?」と問う家内に、「うん、入ってるよ、入ってる!」と答える私shamonでした。う〜ん、子猫は実に可愛い。

PS:明日は、布教師の会合で京都の本山に居ます。うぐいすさんから頂いた山崎師の「九識霊断説の問題点」でも配ってきましょう(笑)。日蓮聖人「兵衛志殿御返事」に曰わく、「いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひるむ事なかれ。」
 

ちょっと、言いたい気分(笑)

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月10日(木)10時56分22秒
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  仕事上、各社の新聞を読める環境にはありますが、創価学会・公明党を援護・応援するような記事が連日掲載されている朝日新聞には、流石にウンザリしています。反対の考えを尊重する気持ちで、家では何十年も朝日新聞の購読を継続してきましたが、不買運動でも始めたい気分ですね(笑)。まあ、創価学会に侵食されているのは、どこの新聞も五十歩百歩でしょうか。

鳩山さ〜ん! 国民は、社民党を支持して、郵政民営化見直しを求めて、民主党に投票したのではないのですよ〜! 社民党の考えは支持されていないからこそ、民主308に対して7なのですよ〜! 公明党への協力を要請した? 公明党は、やぶさかではないって? 小沢さ〜ん! 党利党略のために、また前回のように国民を裏切ったら罰が当たりますよ〜!

この国を救うのは、卑しい政治家でもない、卑しいマスコミでもありません。法華の教えを実践しようとする皆さん自身です。「ちゃんとものを考えとる坊主もあちこちにおるんじゃ」などと、威張っているだけの坊主も当てになりませんよ〜!
 

見宝塔品第十一 その4

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月 9日(水)12時39分27秒
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  (現代語)

ガンジス川の砂ほどにある他の経典を、これ等をすべて説くといえども未だ難しいこととは言えぬ。また、須弥山を手に取って、他の無数の仏国土に擲つといえども未だ難しき事ではない。また、足の指を以て世界全体を動かし、遠き他の世界に投げ移そうといえども未だ難しき事ではない。また、天界の最高である有頂天に立って、人々のために数え限りない他の経を説くといえども未だ難しき事ではないのだ。しかしながら、仏の入滅の後、悪しき世の中において此の経を良く説くとするならば、これは正しく難しき事なのである。

この経を護持するのは難しき事である。もし暫くの間でも護持する者があれば、私はすぐさまに歓喜するであろう。他の仏もまた、同様である。この如き人は、諸々の仏が誉めたまう者である。その人は、すなわち勇猛なる者であり、精進を為す者なのである。

(要文)

諸余の経典、数恒沙の如し。此れ等を説くと雖も、未だ難しと為すに足らず。若し須弥を接って他方の無数の仏土に投げ置かんも、また未だ難しとせず。若し足の指を以って大千世界を動かし、遠く他国に投げんも、また未だ難しとせず。若し有頂に立って、衆の為に無量の余経を演説せんも、また未だ難しとせず。若し仏の滅度に、悪世の中に於いて能く此の経を説かん、是れ則ち難しとす。

此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我れ即ち歓喜す。諸仏もまた然りなり。是の如き人は、諸仏の歎(ほ)めたもう所なり。是れ則ち勇猛なり、是れ則ち精進なり。

(要義)

この所は、法華経を説くことの六難九易を挙げている部分です。法華経以外の無数の経典をすべて説くことも、世界一の須弥山を他方の仏土に擲つことも、足の指を以て大千世界を動かすことも、有頂天に立って多くの経を説くことも決して難しいことではない。しかしながら、悪世末法に法華経を説こうとするならば、それは実に難しき事である。その他を含め、ここでは九つの困難を挙げて行い易い事とし、そして六つの事を挙げて、法華経を説いたり研究したりする事の難しさを述べています。法華経の為に力を尽くすことは如何に困難であるかが述べられていますが、それは「容易な事ではない」という意味の「有り難し」との言葉が、日本では尊い事を意味するように、法華経は「有り難い」教えであり、その法華経に尽くすことは非常に尊いことであることを表すものなのです。

そして、法華経を護持することは広大な修行功徳であることが説かれています。困難に負けずに、少しでも法華経を護持しようとするならば、釈迦如来はお歓びになり、十方の諸仏も皆お喜びなされる、そして仏法を守護する神々も悦ばれるのです。法華経を護持して行くことは真に勇猛なことですが、仏が御称賛なされるという所に信仰が導かれていなければ、その勇気も価値が無いものとなります。また、精進といっても法華経の信念を本にして進み行くものでなければなりません。何処までも法華経の経文を根拠として精神を遵えて行く、法華経の教えを基準に置いて、そして精神行動が導かれて行くことが大切です。日蓮聖人は法華経をその身に色読されたと言われるように、教えと修行が離れないようにすることが法華経の尊い所であって、教えを軽んじて自己流の行を勧めるようなことは大きな間違いであるのです。
 

低俗なる占術・加持祈祷、日蓮宗霊断師会

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月 8日(火)18時25分53秒
 編集済
  BBS-sanghaで、うぐいすさんが継続的に行われている「霊断師会」批判についてのコメントを少々。http://www.lemon.ne.jp/bbs/bbs.cgi?room=sunlotus

日蓮宗霊断師会の機関誌である「聖徒タイムズ」には、霊断師会を問題視している山崎斎明師や立正大学の三友健容師に対して、霊断師会の総裁名で次のような批判記事が掲載されたようです。

「近時、訓古宗学に惑溺し、当会の新日蓮教学の揚げ足取りをして悦に入っている輩がいるという。聞けば、自身は布教の布の字も実践したことはないらしい。しかも、その輩の背後にベテラン宗会議員がいたり、その尻馬に乗って霊断師を誹謗中傷する立正大学元学部長がいたりするようである。」

さて、皆さんもお気付きのように、日蓮宗霊断師会の「聖徒タイムズ」とは、あの低劣な創価学会「聖教新聞」の内容と何らも変わらないようですね。他からの正当なる批判を誹謗中傷だと非難し、正当なる批判を以て返さずして、相手の人格をコケにして誹謗中傷するのは、カルト新興宗教の常套手段そのものではないでしょうか。

その霊断師会が今や日蓮宗では強大な力を持ち、「新日蓮教学」を振りかざして侵食を続けているわけです。霊断師会に入った日蓮宗の若い僧侶は、日蓮聖人の御遺文は読まずに、自分たちのやっていることこそが布教の実践なのだと偉ぶってしまうのでしょうね。その深刻な事態は、カルト宗教創価学会・公明党と組んで、遂に理念を失って崩壊した自民党以上かも知れません。

まあ日蓮宗は、鬼子母神の霊力を扱うなどの加持祈祷を、最初は「方便」だとして弁解しながらも、現在は正式な修法として認めるばかりか、その修法師の資格を得るための「荒行」を宗門の看板にするなど、本来より「現世利益主義」を認める傾向がありますから、宗教を生業とする俗的な僧侶の間では、霊断師会に対する批判にも盛り上がりに欠けるのかも知れませんね。

正しく強い信仰の力があれば、どんな困難にも打ち克つことが出来る、正しき信仰の目を以てすれば道は開かれる、人生の悦びを得ることが出来ると教えるのが法華の僧侶の役割であるはずなのに、自らは実践せずして、占術・祈祷に頼らせることで人々に「利益」を謳うなどというのは、全く以て「信仰がない」と言うほかありません。それでは単なる宗教商売です。しかも、その商売の説く効用は全くありません。

日蓮宗が現在最大であるのは、けっしてその教えが正しいからと言う訳ではありません。宗門の勢力を拡大させる政治的手腕が上手かっただけでありましょう。その突出して最大である日蓮宗が、カルト宗教・インチキ宗教のような事態をこのまま放置し続けるのならば、創価学会と同じように、法華経の教えを誤解させ、日蓮聖人の教えを誤解させ、他の日蓮門下にも多大な影響を与えるのみならず、遂には日蓮門下の僧侶が説く教えは日本の社会には無用となってしまう日が必ず来ます。遂にその時が来て、葬式でも法事でも食えなくなる僧侶が溢れてからでは、ジタバタしても遅いのです。

三友健容師は最後に言われています。「本年は『立正安国論』奏進七五○年の記念すべき年に当っているではないか。九識霊断の邪義を直ちに捨てて、宗門の正統なる日蓮教学の正義に帰り、ともに立正安国の目的に邁進しようではないか。」

元航空自衛隊の幹部として、戦い方を伝授しましょう(笑)。寝ぼけ眼の僧侶を叩き起こして「日蓮教学の正義とは何か」を研鑽して宣揚するためには、相手が血眼になって攻撃してくる程に、霊断師会を徹底的に怒らせなければなりません。覚悟の必要な所です。
 

「ちー太」君、逝く。

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月 8日(火)02時05分51秒
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  歯肉炎どころか、残念ながら重篤でした。朝の5時27分、ステイ先ホテルの携帯電話に、息を引き取ったとの連絡が、最後を看取ってくれたカミさんから入りました。恐らく、腎不全や肺炎等も併発していたのだと思います。

「ちー太」君も、5年程前に亡くなった雌犬のラン丸(動物管理センターで引き取って来たハスキーとシェルキーのミックス)同様に、私shamonが辛抱に辛抱を重ねて必死に人生の困難に打ち克とうと奮闘していた時期、優しさと明るさを以て接してくれた有り難き友です。人に限らず猫に限らず、他の動物にも慈悲を以て接する優しい猫でした。雄猫が故に、テリトリーを守る喧嘩で度々大怪我をして帰ってきた「ちー太」君でしたが、私には「無理は禁物だにゃ〜ん。」と、茶目っ気たっぷりにリラックスすることも”しっかり”と教えてくれました。一緒に過ごしている動物の死はとても身近であり、そして動物は決して人を疑わない純朴さがある分、余計に命の尊さ、命の意義を考えさせてくれます。

実は、戦闘機に乗っていた若かかりし時の私のタックネーム(個別のコールサイン)は「Cat」でした。Catは敏捷であると共に、”A cat has nine lives.”(猫に九生)との「ことわざ」が有って、「なかなかくたばらない」、即ち「ダイ・ハード」の意味が込められています。 それは、私と猫の合い言葉ですね。まあ、やる時はやる! やるべきはやる! 気の向かない事は絶対やらない!という猫の我が侭さも自分の弁護としていますが(笑)。この縁は、来世にきっとまた、素晴らしい出会いとなるのでしょうね。昨日は泣けましたけど、「ちー太」菩薩に今日は感謝の通夜です。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
 

我が山務員の闘病

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 9月 5日(土)16時09分23秒
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  目も開いていない時に公園に捨てられて、我が小庵の山務員として接客係となったアメショー・ミックス雄猫の「ちー太」君12歳、来客者の誰にでも愛嬌を振りまく人気者でしたが、歯肉炎の悪化で現在衰弱しています。猫の歯肉炎は非常にポピュラーな病気なんですが、酷くなると餌どころか水を飲むのも大変な苦痛なんだそうです。

先日、具合が悪そうでしたので急いで動物病院に連れて行きましたら、貧血と脱水症状を起こしていました。治療費は高額となったにも拘わらず、少しばかり元気になったのは一日だけ。今は、殆どぐったりしたままで、しっぽを力無くパタパタさせて返事はするものの、トイレも自分では行けずの垂れ流し状態で、カミさんが一生懸命看護しています。嫌がる「ちー太」に、ペーストをした餌にミルクを混ぜて、注射器を使って何とか口から栄養補給をし、痛み止めの薬も飲ませていますが、歯肉炎の治癒が出来るような特効薬は無いとか。

猫の12歳はそれなりの年齢なのですが、20歳の老いた雌猫がまだ元気ですので、まだ子供のような気がしてしまいます。皆さんも猫を飼われていたら、口臭に気を付けて早めの予防を取って上げて下さいね。
 

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