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暑いので

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月11日(火)11時10分45秒
 編集済
  常識の無い方が、執拗な投稿をしますね(笑)。証明求める人さん、馬鹿でかい大文字・赤字を乱用しても、良識の無い方の迷惑な投稿は掲示板の趣旨に合わないので削除されますよ。良識の無い方も御自由にお書き下さいとは、当掲示板には書いてありませんね。馬鹿げたことですが、削除だけでは可愛そうですので、忙しいshamonも慈悲を以てちょっとだけコメントを。

>《 要 求 》
> (一)・法華経に書いてある比喩以外の箇所が『実際に有った現実の実話』だと証明願います。

釈尊は霊鷲山を説法の場としましたが、宗教的に書かれている法華経の内容を誰か「実際にあった話」だと言った人が居ますか(笑)。あのね、詰まらないことだけど「実際にあった」と「現実」と「実話」を重ねて使うようなレベルの人には、ちょっと理解は難しいかも知れませんよ。

>(二)・法華経に書いてあることは釈尊の『ただの自己申告』でないことを証明願います。

誰か「ただの自己申告」だと言った人が居ますか(笑)?

>(三)・法華経は後世の弟子どもが勝手に書いた『創作偽作』でないことを証明願います。

何度も繰り返して答えていますので、流石に疲れますね。幼稚なことを言わずに法華経の成立を勉強しましょうね。この掲示板にも探すときっと明解な回答が書いてありますよ。

>(四)・法華経に書いてある釈尊の前世が『釈迦だった』ってことを証明願います。

大丈夫ですか? もし、貴方に前世があるとして、それは貴方では無いのでしょうか(笑)。

あのね、そもそも仏教って、教えを受けて「自分で証明するもの」なんです。自分が理解できる範囲のことが正しいと思ったり、或いは洗脳されたりして、自分の機根が劣っているのに偉そうにしては、宗教的にだけではなく社会からも馬鹿にされ、貴方の人生も上手く行かなくなります。そういう方が多いからこそ、宗教からは身を置く人が現代人に増えてしまったのですね。もし正しい仏教に目を開けば、貴方の潜在的な能力が発揮され、今ある貴方の性質も総て善なるものに転化されると、きっと人生は素晴らしいものになりますよ。
 

夏の陣 第五弾

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月11日(火)10時22分19秒
 編集済
  暑くなってきましたね〜。ああ、でも東京の方は台風ですね。

昨日も、カルト宗教創価学会・公明党と自民党の連立を批判して、街宣活動を行いましたぁ〜。暑さの中休む間もなく演説を繰り返して、終いに呂律(ろれつ)が回らなくなるまで、ちょうど二時間半ほどですね。そして撤収した後は、更にボクシングの練習で「今日はこの辺で勘弁してやるか」と、へとへとになるまで(笑)。

昨日の成果ですか? 自転車に乗った創価学会員と思しき「おやじ」が、何やら怒鳴りながら物を投げつけようとして、よろけていたのが1件。もう1件は、交差点で軽自動車に当て逃げされましたけど、こっちは頑丈なジープですから痛くも痒くもありません(笑)。

で、ちょと暑かったので、愚痴でもこぼしてみようかなぁ(笑)。自公連立が始まって、私shamonは9年間も選挙の度に同じ事をしていますが、今年はなんと「立正安国論」奏進750年です。日蓮聖人は、時の政治が誤った宗教権力と結託していたことに危機感を持って、そして立正安国を幕府に訴えたわけですね。鎌倉の大道でも、それを訴えて辻説法を行ったと言い伝えられているわけです。

即ち、創価学会が政権与党にある問題は、まさに門下の一大事に当たるわけです。なのに、日蓮門下の多くの僧侶は一向に動こうとせず、屁理屈を並べては知らず存ぜず。日蓮聖人御報恩、先師御報恩と布施を募って何かと行事はしますが、本来「報恩」というものは、御先師の為されたことを自らが継承してこそ、弟子の報恩でありましょう。「いやぁ〜、昔の御先師様の不惜身命の活躍のお陰で、今日私どもも僧侶として飯が食えます、有り難い、有り難いことです。」ですって、ちょっと待ったぁ!

地方ではお盆のこの時期、8月6日・広島原爆、8月9日・長崎原爆、8月12日・日航機墜落事故、8月15日終戦記念日と、各家庭の先祖だけでなく霊を弔う行事が満載ですが、そのように思われている坊さんが御経を唱えて、誰か喜ぶ霊はいるでしょうか、それで本当に回向になっているでしょうか?

まあ、プロジェクトにはそれを推進できる能力のあるリーダーが必要ですから、私shamonの力量不足と思えば大いに反省すべき所ですね。「でも、私一人でちょっと空しすぎませんか?」と言ったら、日蓮聖人透かさず曰く「アホか信裕、ワシも一人だったぞ、馬鹿もん!」「良いか信裕、お釈迦様が見て居られる。やる気、元気、負けん気だぁ!」って、ああ日蓮聖人、それって空自パイロットを目指す「航空学生」の合い言葉なんですけど(笑)。

しかし宗教的に考えてみたら、「立正安国論」奏進750年の時に、当に自公政権は地に堕ちる可能性がある訳ですね。ああ、ちょっと、そこの御僧侶。だから日蓮聖人様は、有り難いって? 私どもが無力で何も出来なくとも、きちんと為すべき事をして救って下さるですって? 違うって! そりゃ、完全な他力本願ですよ〜。自分達がその働きと成らなければ、地涌の菩薩には成りませんよ〜!
 

法師品第十 その8

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月10日(月)12時29分8秒
 編集済
  (現代語)

如来の入滅後において、善き男子・善き女人である菩薩が、比丘・比丘尼・信士・信女のために、この法華経を説かんとするならば、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、そしてこの四種の人々に広くこの経を説くべきである。如来の室とは、一切の人々への大いなる慈悲の心である。如来の衣とは、柔和にして忍辱の心である。如来の座とは、一切の現象は「空」であるという教えに基づくことである。

(要文)

如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何(いか)にしてか説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、爾(しこう)して乃し四衆の為に広く此の経を説くべし。如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは、柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは、一切法空是れなり。

(要義)

これは、衣座室の三軌として法華経を弘める者の大事な心得を示された一節です。ここに「善男子善女人」とあるのは菩薩となるべき人々に対する呼びかけであり、僧侶に限らず、仏教を信じ法華経を弘めようとする在家出家の何れもが、先ず如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、大衆のためにこの法華経を説かねばなりません。ここに四衆というのは、比丘(僧)・比丘尼(尼僧)・優婆塞(信士)・優婆夷(信女)の人々を指しています。

如来の室とは、一切衆生の中の慈悲心を指すのであって、如来の室に入れと言っても別に他の所に行くのではありません。自分自身が有している大いなる慈悲心を働かせればそこが如来の室であって、その室に入るということは、そこで如来にお目に掛ることが出来るということです。また如来の衣を着るとは、瞋(いか)りを伏して、しかも辱めや苦難にも耐え忍ぶことが出来る柔和忍辱の心を頂くことであり、そして、如来の座に坐すとは、すべての事柄に囚われない「一切法空」の精神を以て、我見執着の無い心を保つことです。ですから、宗派の偏見に囚われたり、学問の弊に囚われたり、或いは何か為にする所あって説を立てるというようなことであれば、それは一切法空に住せざるものとなります。「一切法空」とは、「所詮は何事も無い」と言うような消極的な意味ではなく、囚われざる心を言うのですから、正しきものに打ち込んでいく積極的な精神は無論のこと、公明正大に一点の私(わたくし)無くして法華経を説くと言うことが、ここで説く法空の意味する所となります。
 

霊断師会

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月10日(月)00時15分20秒
 編集済
  「たまや〜!」・・気合いの入った法華行者の女史より、御投稿を頂きました。うぐいすさんは、日蓮宗の勧学院職の錚々たるメンバー全員に直訴状を送った程の強者です。過日、勧学院よりある筋を通して私の所へも問い合わせが有りました。でも、正義の戦いにはとても武器となる可愛い声を出されます(笑)。評論家の櫻井よし子さんも厳しいことをズバズバと言いますが、論理的に加えてあの上品なトークは、おじさん族を虜にしてますものね。

日蓮宗では、鬼子母神の霊力によって御利益を得る等と言う(ちょっと待てよ)の祈祷が正式に公認されているために、霊断師会はその修法師会を隠れ蓑にして様々な策略をし、今では日蓮宗に於いて相当の派閥権力を有しているのが実態です。所謂、日蓮宗のカルト化への危機ですね。危機感を持たれている僧侶の方も多々居るようですが、日蓮宗のように大きな組織ですと政治的な圧力に身動きが取れない、「触らぬ神に祟りなし」が実情でしょうか。(う〜ん、本物の日蓮門下ならば不惜身命ではないのですかぁ!)

と、そんな所で、うぐいすさんの今後のBBS-sanghaなどへの継続的な投稿がボディーブローのように効いて、日蓮宗の霊断師会や宗務院が反応して来ることが楽しみなところですが、方便の理屈を悪用して占術祈祷・霊断を商売とするような僧侶には、如何に教学的な間違いを指摘したところで詮無きことなのかも知れませんね。もし、何らかの反応も無ければ、遂に日蓮宗は体裁だけで地に堕ちてしまうかも知れません。そうならないことを、超党派のshamonとしては切に願っています。

私の所には数年前に、霊断師会の日蓮寺院において霊が乗り移る芝居をさせられ続けていた役僧が、もうこんな事には堪えられないと相談に来たことがあります。皆さんの中でも、彼等が如何に如何様的な占いをしているのか情報が有りましたら、shamonにも是非教え下されば有り難く思います。教学的なことも大事ですが、そのような馬鹿げたことの方がよりその非を批判し易いかも知れません。

さて、地に足を付けたインドへの法華経の回帰と貧困層への教育支援を兼ねるプロジェクトも漸く動き出しそうです。IT企業で頑張っているアンベードカル・インターナショナル・ミッション日本支部の代表も、米国企業に一旦転職した後に、お釈迦様の導きによってshamonの居る福岡に転勤してきました。佐々井秀嶺師も信頼する優秀な人材です。で、父ちゃん達がプロジェクトの進行を検討する間、彼の若い奥さんが本場インドカレーの作り方を、我が小庵で家内と娘に伝授してくれるそうです。う〜ん、良い匂いがしそう(笑)。

獅子奮迅の戦いには、妻の支援然り、そして仲間との家族付き合い等は不可欠なんです。厳しい戦いは、暗い顔していたり疲れた素振りをしていては絶対に出来ません。自分で言うのもなんですが、これが格好いい不惜身命の戦闘機パイロット、トップガン流なんですね。法華の行者と共通する所があるでしょ(自画自賛、笑)。
 

霊断師会の非を問う・その3

 投稿者:うぐいす  投稿日:2009年 8月 8日(土)18時53分19秒
  倶生霊神符は着帯の必要はありません!マインドコントロールと同じです!

本年は日蓮聖人「立正安国論」七百五十年節目の年。

立正安国論にて『誹謗の科至って重く、毀法の罪、誠に深し〜略ス、来世には阿鼻に堕せん』と日蓮聖人は、釈尊、法華経の真意に違背する教説は謗法罪とし厳しく誡めると共に、謗法者の事実を知りながら見て見ぬふり知って知らぬふりをし、呵責せず、これに力を貸す者の罪、これも謗法者同様、『与同罪』として堅く誡められました。新宗教とも言われる「霊断師会」の主張する「九識霊断法」と「倶生霊神符」の「狂気の暴論」を正すべきです。

霊断師の勧める倶生霊神符とは、「岩波、仏教辞典」倶生神の項の記載によりますと、「死後、“閻魔王”に報告する二人の神、一人を同生と言い一人を同名と言い中国で、中国固有の思想と結びつき、偽経経典の中でさまざまな性格が付加された」と記され、日本仏教界における倶生神に対する概念、語義は確定、確立されていると思います。

日蓮聖人ご遺文の「十王讃歎鈔」にも、『汝一期生の間の罪業をば露程も誤らず、倶生神鐵札に之を記す』とあり「四條金吾殿女房御返事」にも、『左右の肩に一生おわるまで影の如く眼の如く付き随いて』とあります。すなわち倶生神は「告げる神」であり梵天、帝釈、日、月、への伝達者に過ぎず、人生まれたときより身に添っている神の存在ではないかと思います。

その事を考えますと、身に付ける必要の無いものを、守り符と称し、毎月渡し、着帯させ金銭を受け取ることは「方便」の言を以っても通らないと考えます。
霊断師会は「また、受けた月、止めた月がある様では加護を戴く資格はありません。」といいますが、これは「脅し」と「抑制」「束縛」です。

倶生霊神符は、毎月家族全員1人につき1枚(幼児も含め)霊断師は、幼児の時から霊神符の着帯を勧めており、倶生霊神符と結縁された幼子は一生涯、「毎月の霊神符を取替えなくてはならない」という、重い鎖をはめられることになります。

初めて霊神符の取替えの様を見た私は、それは異様な光景で不審に感じました。マインドコントロールの重い鎖で支配することは、何人たりと云えども許せるものではありません。
思考し禅定に入り、悟りへの道を断つものです。日蓮聖人曰く、『謗法不信の者は「即断一切世間佛種」とて、佛に成るべき種子を断絶するが故に』と・・・。

新興宗教、新々宗教等の団体等なれば、まだその罪は軽いと思いますが、されど、袈裟衣を身に付け、聖職者として僧籍を有し、寺門を構え、七百五十余年の伝統ある仏教宗団の出家者の方々の行為であるならば、はいかばかりでしょうか。

倫理道徳を前提とした基盤の上に立ち説かれた最高の真理が仏法であると思っております。「信教の自由」はございますが、気高き志を貫かれました日蓮聖人の門下でありますならば、釈尊、法華経、日蓮聖人の教えに従うのみと私は思っております。

            南無妙法蓮華経
 

霊断師会の非を問う・その2

 投稿者:うぐいす  投稿日:2009年 8月 8日(土)18時38分46秒
  日蓮宗勧学院より(新日蓮教学は認めない)という答申が出ています!

インターネット霊断師会公式ホームページには、公認とも錯覚されかねない「日蓮宗霊断師会」と名乗り、『十字仏教』を書いた高佐日煌氏を「創祖」「聖人」とし、第2代総裁高佐日明と称するに至りては、先人先師に対する不敬の極みとも考えられます。

霊断師会設立者高佐日煌氏は「無明」(三毒、貪欲・瞋恚・愚痴)を本能と肯定し、捨てる必要は無いと説き、「三秘具足の正信から生まれたと言っている九識霊断法、又、倶生霊神符の神秘の守護等」は、釈尊、法華経、日蓮聖人の教えに説かれておりません。
平成二十一年四月一日の「聖徒タイムズ」(霊断師会発行)で、霊断師会総裁・九識霊断法相伝主・高佐日明氏は、
「仏事法要による教化は殆ど否。言説による救済も覚束ない。教学による引導は言うもおろか。」
と言い、法華経に説かれている『応当一心、受持、読誦、解説、書写、如説修行』を否定したあげく、九識霊断法で指針を与え倶生霊神符の加護を実感してもらうと豪語しています。

日蓮宗の公の教学研究機関、現代宗教研究所には、現在、高佐日明氏の子息・高佐宣長氏(霊断師)が主任の座にいて、初歩的な誤りを基として独善的な解釈を述べています。
又、霊断師会会長・路次泰元氏も「祖書直参の新日蓮教学を根底に実践、佛教たるを証明する弘法の極め手である九識霊断法、倶生霊神符等の秘法を駆使し」と「聖徒タイムズ」で言ってます。

数年前に路次氏は、芝崎恵璋氏、野澤文立氏と共に日蓮宗宗務院内局に対し、

「“新日蓮教学”又、”独自の袈裟”も捨てるので霊断師会を公認してほしい」

と書状を持って迫られたことがあるそうです。“新日蓮教学”を主張していながら公認されるなら“新日蓮教学”を捨てるとは、どういうことでしょうか。

そのような「捨てる」教学なら路次氏の「新日蓮教学を根底に」ということは妄語も甚だしいです。倶生霊神符を公に売るために宗門公認を求め、“新日蓮教学”を捨てるというのであって、私利私欲も甚だしいと思います。

すでに日蓮宗最高学府、日蓮宗勧学院においては、「一つの教団に二つの教学はない。新日蓮教学は日蓮教学でないので認められない」という答申が出ている事は、内局だけでなく外部の複数の諸師から聞いています。
また勧学院勧学職の方からも「答申は出ています」の回答を頂いております。

勧学院の答申は当然公表すべきものであり、総長、内局が公表されない事を誠に遺憾に思っています。速やかに公表すべきです。美辞麗句を並び立てるより真実の一言に尽きると思います。
 

霊断師会の非を問う・その1

 投稿者:うぐいす  投稿日:2009年 8月 8日(土)18時25分32秒
 編集済
  はじめまして。うぐいすと申します。以信代慧の教えを信じ学ぶ浅学の身です。Shamon様、皆様よろしくお願い申し上げます。

先日、Shamon様「九識霊断説の問題点−仏法に非ざる外道の思想−山崎斎明師 著」や霊断師会関係の資料を突然、送付して失礼しました。その上、 6月12日(金)、法輪BBSで「祈祷師と霊断師」と題してコメントしていただき、厚く御礼申し上げます。

昭和六十二年八月十二日、日航ジャンボ機遭難事故で乗員乗客520名の方がお亡くなりになったことは「クライマーズ・ハイ」として映画化され、本日テレビでも放映し、記憶も新たに甦ります。あるまじき事に、この惨事を利用し、霊断師会のホームページに自画自賛し宣伝する記事が公表されていました。

http://www.reidanshikai.jp/img/times/274/274-1.pdf

飛行機に搭乗していたならばいざしらず、四名の生存者とは関係なく、新幹線に変更しただけの事、このような事は多かれ少なかれあるものです。それをご遺族の悲しみの傷も癒えない二カ月足らずの内に、亡くなられた方々を冒瀆するような記事を発行しご遺族の方々にはお気の毒です。

ましてや、葬儀を導師として執り行う、僧侶、出家者の方々が、聖徒と言われる檀信徒にこの記事を配布する事は、「非道」であり、法を説く以前の恥ずべき行為です。
現在も尚公開している事に対して、義憤を感じると共に、延いては法華経や日蓮聖人の名を汚すものと、止むに止まれず投稿する次第です。

以下の一文は、日航機123便の遭難により亡くなられた方々に対し、日蓮宗宗門内における霊断師会の非を問うことで追善のご回向として捧げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

さて、日蓮門下最大の宗派、「日蓮宗」宗門内における、霊断師会(高佐貫長[日煌]氏設立、「本部所在地 東京都世田谷区北鳥山五の八の一」の存在は、shamonさんがコメントされたように事実です。
2008年に学習研究社(学研)が出版した「新宗教の本−霊能の秘儀と巨大教団の系譜」にも、日蓮宗霊断師会は新宗教として明記されています。この本には、

「日蓮宗霊断師会という戦後生まれの日蓮宗系新宗教団体がある。
この団体には、創始者が日蓮から授かったという”九識霊断法”なる秘法がある。われわれの究極の意識で九識(阿摩羅識、真如)によって運命を判断する法だそうで、”レーダーが霧や雲を透して物の位置を正確に捉えるように、我々の運命が手にとるように分かる”(同教団ホームページ)という。この秘法を公開した創始者の名を、高佐日煌という。」と書いてあります。

高佐日煌氏が主張する天皇本尊論については、「天皇を本仏とする説は、宗派の根本教義をくつがえす狂気の暴論そのものである。」(「新宗教の本」84ページ)と書いてあります。
 

(無題)

 投稿者:如説修行  投稿日:2009年 8月 8日(土)13時55分11秒
  合掌   shamon様、気合が入っていますね!日蓮大聖人門下の一人として尊敬いたしてお

ります。

自分は、師僧に、目立つことは控えるようにと、その暇があるのなら、shamonさんの為に拝

みなさいと、shamonさんの諸事円満成就として、祈念しております。暑い中どうぞお身体を

ご自愛ください。    又、15日に日蓮宗が千鳥が淵墓苑にて法要のとの事、参拝に行

かせていただきます。   合掌
 

街宣出陣 第4弾

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月 6日(木)11時54分16秒
 編集済
  福岡も漸く梅雨が明けたようで暑さも増し、車のクーラーを使うことも出来ない街宣は「汗だく」です。諸天善神よ、今日もしっかり応援されてますかぁ〜!

昨日は、ちょっと面白い事件がありました。何時ものように、カルト宗教創価学会・公明党と自民党の連立を批判しながら天神駅の三越前に近づいていると、運転席とは反対側の車道をパンをむしり食べながら付いて来る、ジーパンに野球帽のガタイの良い青年が突然現れました。shamonの警戒レベルが少し上がります。

するとその男、信号待ちの為に横断歩道前で停車すると、今度は車の前に出て立ち塞がるように手を広げて、ゴリラのように威嚇のポーズをし始めたのです(笑)。君ね〜、shamonは元戦闘機パイロットだから、翼からはサイドワインダー、腹の下からはスパローミサイルが発射されるのに(違った!今はフックとストレートですね)と思いながら、全く無視して演説を続けていると、何やら叫びながら持っていたパンを地面に投げつけ、歩道に止めてあった自転車を蹴飛ばして去っていきました。関わり合いにならないようにと、周りの人が足早に通る過ぎるのが印象的です。

天神駅前の大通りから、今度は反対側の商店街に街宣をしながら入って行くと、その男がまたまた横の歩道に現れます。馬鹿な真似はしたらイカンのよ青年、と思っていると今度は「ああ!分かった!分かった!」と二度大きな声で言うと、憤慨しながらもその場を去って行きました。う〜ん? どっちにでも取れるけど・・君はもしかして、創価学会でなくて、演説を早とちりしたアンチ創価だったりして(笑)

そのような訳で、やっぱり日本の平和・国防の為には自衛隊は必要不可欠です(笑)。ですから民主の鳩山さん、あくまでも個人的ですが、政権奪取のために社民党との連立を声高に言うような馬鹿な真似は是非とも止めて貰いたいものですね。折角、自民党から流れてくる保守層の票が足踏みしてしまいますよ。自民党に今回お仕置きをする票は、すべて保守の票なんですよ〜。もっと頭使って〜。

政治家というものは、権力のために敵の敵は味方などと馬鹿なことを直ぐに考えますが、正々堂々と理念を語って正義を実行することによって、国民の信頼を得ることこそ本筋でありましょう。政治家などの社会のリーダとなるべき方々が宗教を馬鹿にしたり、宗教を馬鹿にしながら利用するようであっては、国民はいよいよ宗教をその根元とする道徳心を失ってしまいます。

そういえば近くの温泉施設で、先日も若者のこんな会話を耳にしました。「彼奴(あいつ)何か変だけど、宗教とかヤッテルじゃねーの?」 よく巷で聞く言葉ですね。これは、すべて僧侶などの宗教家の責任です。日蓮門下が祈祷占術・霊断などの邪命を盛んにし、或いは葬式法事を生業とし、自らは俗化しながらもただ偽善的なことを言うばかりで、しかもカルト宗教などを放置していれば、それは末法を案じた日蓮聖人の御遺文に当に唾するようなものでありましょうね。

夕飯を食べる時間も無く、その後はジムでボクシングのストイックな修行を。もう帰ってきたら10時半で、それからカミさんのお話相手です。諸天善神よ、今日もお誉めになって下さいましたかぁ〜!

さてと、スイッチ切り替えて、北京とソウルを往復してきます。
 

法師品第十 その7

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月 5日(水)10時56分8秒
 編集済
  (現代語)

一切の菩薩が得るべき阿耨多羅三藐三菩提は、すべて此の経に属するものである。この経は、方便の門を開いて、真実の相を示すのである。

(要文)

一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は、皆此の経に属せり。此の経は方便の門を開いて真実の相を示す。

(要義)

他の教典に於いて菩薩が悟りを開いたかのような言葉があっても、それ等の菩薩は、実は皆過去に法華経の修行を積んで来た者であるのです。それは、嘗て行った道を辿る時に「確かその奥に目的地があるはずだ。嗚呼そうだ、分かりました。」というようなもので、その「分かりました」というのは道の途中の出来事であっても、思い出すべきはその奥の目的地であるのと同じことです。そのように他の経典にある菩薩も、悟りを開く時には必ず法華経の諸法実相の妙旨に思い至るのですから、一切の菩薩の菩提は皆この経に属しているものであると釈尊は断言されます。

他の経典には方便が多く真実が隠されているけれども、法華経は方便の門を開いてその奥の真実の相を示すので、これを「開権顕実」と言い、方便品、譬喩品、薬草品では三乗方便一乗真実の教えが説かれました。それ故に、中国では天台大師によって、日本では伝教大師によって、そして末法には日蓮聖人によって、釈尊一代の仏教は法華経の思想によって開顕統一されるべきであると説かれてきたのです。
 

法師品第十 その6

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 8月 1日(土)09時05分46秒
 編集済
  (現代語)

薬王よ、譬えば喉を渇かして欠乏したる水を求め、高原に井戸を掘って探す人があるとしよう。未だ乾ける土を見れば、水に至るまでは遠いと知る。しかし、努力を怠らずに湿った土を見るようになり、そして遂に泥土に至れば、水は必ず近くにあると間違い無く知る如くである。

(要文)

薬王、譬えば人あって渇乏して水を須いんとして、彼の高原に於いて穿鑿(せんしゃく)して之を求むるに、猶お乾ける土を見ては、水尚お遠しと知る。功を施すこと已まずして、転(うた)た湿(うるお)える土を見、遂に漸く泥に至りぬれば、其の心決定して水必ず近しと知らんが如し。

(要義)

高原穿鑿の喩えと言って、これは井戸を掘ることを以て仏性論を巧妙に譬えたものです。飲む水に欠乏して高原に井戸を掘る、印度のような乾ける大地では容易に水は出ないけれども、熱心に掘って行くならばやがて湿った土が出てくる、そうすれば最早水は近いと感じるようになり、そしていよいよ泥土に至るならば、必ず水があると確信出来るようになります。仏性もその通りで、それ程に功を重ねずとも仏性が現れる人もあれば、大分に深く掘らねば現れない人もあります。しかしながら、掘りぬけば必ず水を得るが如く、一切の衆生に仏性を有せざる者は無いのです。

努力によって次第に湿った土を見、遂には水を見るに至るならば、これ程愉快なことはありません。故に法華経は、如何なる人であってもその仏性を開発する努力を怠ってはならないと説きます。法華経は、発心して菩薩の行に励み、その仏性を活現させることを教え、そして人生に確かな手応えと大いなる喜びを与えるのです。これは、仏教を貫いている所の大精神であって、また道徳実行の根底となるものです。法華経を信受して修行する人は、孟子の性善説の如く、その善を行うべき道徳的本性を発揮して、そして阿耨多羅三藐三菩提という仏の無上の悟りに近づくことが出来るのです。
 

昨日も街宣へ 第3弾

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月28日(火)09時18分16秒
 編集済
  昨日は、天神地区を拡大してみっちり回りました。すると、ようやく現れましたね。「ちょっとオタク!どこの団体?」まぁ、その失礼な物言いは創価学会でしょうかねと心に思いながらも、見れば分かるでしょ、坊主だって(笑)。「何か団体で出してるパンフレットとか無いの?」 で、優しいshamonは、はいはい、デタラメな「知られざる創価学会の教義」差し上げましょうね。

ゆっくり回っていると、今度はスローガンをただ連呼する「幸福の科学」の大きな街宣車が真後ろにピッタリ。向こうのスピーカーのがデカイせいか、こちらの声が掻き消されるだけでなく、重なると道行く人にはけっこうな騒音となってしまいます。そこで、わざと一時停止してやりすぎながら、通り過ぎた彼等に「憲法で保障する宗教の自由とは、政治権力を画策する新興宗教に対して、それを批判する自由も保障しています!」

何故、shamonはそこまでするって(笑)。 目の前の、目に見える損得を考えて多くの人は行動するのかも知れませんね。でも、shamonはよく知っているのです。このように実践してきたお陰で、shamonが過去にも今にも御加護を受けてきたことを、そして未来にも間違いなく御加護を受けることを。

では、大分下になりましたので再度アップ。
>>
仏教の教主が、お釈迦様であるのは世の中の常識です。お釈迦様が説かれた教えが、仏教でございます。これに反して、日蓮の教えを歪曲して洗脳し、「釈迦も釈迦の教えも役に立たない」と教える、噸でもないカルト宗教が創価学会でございます。そして、その創価学会が、国を乗っ取る野望を以て組織したのが「公明党」でございます。

日本国憲法第二十条には「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とあります。政権与党とは、政治権力を行使している政党です。その政権与党に創価学会・公明党は在るのです。創価学会と公明党は別モノであるなどいう屁理屈を鵜呑みにするような、そのような非常識的な人間が一体何処にいると言うのでしょうか。

元公明党委員長で政治評論家の矢野絢也氏は、「創価学会と公明党は『日本占領計画』を着々と実行に移している。池田大作名誉会長による独裁国家の建設だ。私はマインドコントロールにかかって創価学会に操られていた。『池田創価学会』によって、日本の民主主義は、今や危機に瀕している。」と、最近出版した著書にもその真実を暴露しています。

その創価学会に票をチラつかされ、学会票という麻薬に冒されて常識を失い、カルトの創価学会・公明党と組んでこの国を危うくしてきたのが自民党ではないでしょうか。その結果、今や政治や行政のみならず、マスコミも大広告主である創価学会に胡麻を擂っている有様です。日本国の平和と発展を本当に祈るならば、自民党はカルト宗教と手を結んだことを猛省し、そして新たに出直すべき時であるのです。それが、本来の自民党の復活となるはずです。

国民は、自公連立政権にNOを突きつけています。噸でもない宗教と手を組んで、迷走している自民党にNOを突きつけているのです。それが都議会選挙の結果ではないでしょうか。政権維持のためにカルト宗教、創価学会と手を組んだ自民党、日本の未来に理念なき今の自民党には政権を担う資格はありません。

憲法で保障する「宗教の自由」とは、政治権力を画策する新興宗教に対して、それを批判する自由も保障しています。どうか皆さんも、正義の言論を発して下さるように宜しくお願い致します。どうか皆さん、次の衆院選挙では必ず正義の投票を宜しくお願い致します。
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ああ、その後のボクシングの練習も一生懸命やりましたよぉ。 夜の9時過ぎに、へとへとで帰って来たら、今度は近くの温泉センターに行こうとカミさんが待ちかまえてましたぁ(笑)、もう汗出ないって! それでは、これからフライトに行って参ります。
 

法師品第十 その5

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月27日(月)11時38分9秒
 編集済
  (現代語)

また、如来の舎利を安置する必要はない。何故ならば、此の経巻を納めた塔の中には既に如来の全身が在るからである。

(要文)

復(また)舎利を安ずることを須(もち)いず。所以は何ん、此の中には已に如来の全身います。

(要義)

この経文は、法華経を信じるということは、如来の不滅実在を信じることであると教えています。舎利とは荼毘に付した後の遺骨のことですが、法華経には如来の常在不滅が説かれ、そして法華経を信じる者の其処には全身の如来、不滅の完全なる活ける如来が在ることを教えているのですから、別に釈尊の身を焼いて砕いた所の骨を安置することを必要とはしません。決して仏舎利を安置してはならぬと言うことではありませんが、寿量品には「我此処に在って滅せず」と説かれ、神力品にも経巻修行の所には、何処であっても如来の在ることが教えられているように、法華経は「如来の全身います」という不滅実在の意識に進むことを理想としています。

その不滅実在の如来を写象して木像や文字にしたりするわけですが、今度はその木像や文字に形式的に囚われて、精神もあり身体もある所の完全な如来を忘れるようであったならば、それは偶像崇拝に陥るものとなってしまいます。観心本尊抄に「その本尊の為体、本師の娑婆の上に、宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に、釈迦牟尼仏・多宝仏。釈尊の脇士は上行等の四菩薩なり。」と説かれて、何故に日蓮聖人が曼陀羅を書かれ、何故にこれを信念堅固なる者に授与されたのかを考えず、ただ自分達の本山に安置している曼陀羅本尊のみが正統であって、それに直結しない他の門下のものには利益がないなどと主張する宗派もありますが、そのようなことは、本来の曼陀羅本尊の目的からすれば全く本末転倒の甚だしい間違いです。また、従来の伝統的な日蓮教学を以て、日蓮聖人が曼陀羅を書かれたことが一番尊い事だと考えて「一尊四士か、曼陀羅か」というような形式的な事に没頭するならば、宗教学の立場においては、何時まで経っても本仏実在の意識の方に研究は進まないでありましょう。
 

多怨嫉

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月26日(日)12時34分20秒
 編集済
  日蓮聖人は、開目抄に東春(智度法師)の言を次のように引用されます。

「俗に言うがごときは良薬は口に苦しと。この経は一乗成仏を説くのであるから、凡夫も二乗も大乗も小乗も排斥して、天魔を毒虫となし、外道を悪鬼となし、小乗に執着する者を貧賤となし、菩薩を初心の者となす。したがって、天魔は聞くを憎み、外道の耳に逆らい、二乗は驚いて怪しみ、菩薩は怯(おび)えて、これらの徒は法華経の行者に難を為すのである。法師品の多怨嫉の言は、けっして空文ではない。」

法華経を色読しようとする者は、けっして怯(ひる)んではなりません。経験上、ボクシングでも柔道でもラグビーでも、痛い目に遭わされたくないから、そこそこになどと心が怯めば、当然の事ながら必ず潰されてしまいます(笑)。不惜身命と前に出て為すべき事を為せる者、覚悟の有る者を、必ず釈尊と諸天善神は加護し給うのですね。また、自分が難を受けることの原因を、他に求めた所で詮無きことです。これは、初期仏教の時から繰り返し説かれている、修行者の基本的な姿勢です。う〜ん、東京12区面白そうです。
 

(無題)

 投稿者:如説修行  投稿日:2009年 7月24日(金)21時17分12秒
 編集済
  合掌   ご無沙汰しています。 本当に頭が下がります。 自分も本音は合流して、一緒に行動をしたいです。でも、事情が許してくれません(根性が無いのかも)、身体に気をつけて下さい。何度も何度も、[立正安国論]を読み返しています。又、原点に返って、伊藤
瑞叡氏の〔立正安国思想の基礎的新研究〕も拝読しています。いつかお目にかかれる日をと思います。又、今日のニュ−スで、福岡、飯塚が集中豪雨で、大変だそうですね!。天気も荒れていますようで、空港も水びたしとのこと、御身を大切に御自愛くださいませ。大曼荼羅の勧請の御諸尊の御守護があらんことを南無妙法蓮華経。  再拝
 

昨日も街宣に

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月23日(木)08時57分47秒
 編集済
  皆既日食で日本列島が盛り上がっていた昨日は、朝6時半からの日帰り勤務から帰って、夕方前には博多・天神への街宣「辻説法」へと出陣でした。出かける前に暑い・きついでグズグズしていると、「うだうだ言ってないで、さっさと行ってこい!」と叱咤が聞こえ、出掛ける前に御宝前に香を焚くと今度は「頑張って参れ」と激励が聞こえてきます(笑)。

福岡のオフィイス・繁華街が集中する唯一の天神地区は、9年前には「政教分離を貫く会」に籍を置いて創価学会・公明党を批判していたにも拘わらず、愛人問題をすっぱぬかれて消沈し、その後は彼方此方の創価学会会館に出向いて「二度と創価学会・公明党の悪口は言いません。」と陳謝して回った(かっての)自民党大物議員「山拓」の選挙区でもあります。彼のその後の政治家としての活動は、選挙支援を受ける見返りに、まるで創価学会の使いっ走りのような有様でした。柔道6段かなんかと宣伝しておりますが、道場や中学校で柔道の指導者もしていた私shamonにとっては、武道家としての今の根性は許し難いものがあります。

で、気合いが入って舌が回らなくなるまで疲れて、気が付くと既に7時半でした。慌てて袈裟を外すと、今度は「さぁボクシングの練習!練習!」へとジムへ。う〜ん、何かやっぱり普通じゃない(笑)。では、今日もこれからはフライトに行って参ります(爆)。
 

法師品第十 その4

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月22日(水)14時55分27秒
 編集済
  (現代語)

如来の入滅の後に、この経を受け持ち、読誦し、書写し、供養し、他の人の為に説く者を、如来は衣をもって覆うのである。またこの人は、他の世界で今活動している諸仏にも護られることを得るであろう。この人は、大いなる信心の力と、そして志願の力と諸の善行をなす力を持つはずである。当に知るがよい。この人は、如来と共にある者である。そして、如来の手をもって、その頭(こうべ)を摩でられる人なのである。

(要文)

如来の滅後に其れ能く書持し読誦し供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち衣を以て之を覆いたもうべし。又他方の現在の諸仏に護念せらるることを為(え)ん。是の人は大信力及び志願力・諸善根力あらん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。則ち如来の手をもって其の頭を摩でたもうことを為ん。

(要義)

法華経を弘めんとすれば前に申したように反対があるけれども、その代わりに我が釈迦牟尼仏はその法華経を弘める者に味方して保護を加えるものである。「衣を以て之を覆いたもう」と、丁度母が自分の子を衣に包んで懐に抱いてやるように、優しい慈愛を以て仏様が法華経の行者を必ずお護り下されることが説かれています。法華経の行者はこの教えに導かれるが故に、大信力及び志願力、諸の善根力を有するのです。その信力は、本仏に対しても、真如の妙理に対しても、自己の仏性においても起こるわけですが、兎にも角にも仏によって教えられたことは最高の教義であって、何者にも破られないという強固な信念がそこに打ち立てられます。そして、一切衆生を救うというその志願力は、単に一家繁盛という小さなことを願うのではなく、ただ一宗一派が独善主義に立つような狭隘な精神ではなくして、立正安国というような世の為人の為に尽くそうとする所の大精神となるはずです。そして同時に、あらゆる善根功徳の実行をする力を有するのです。

法華経の行者は、この大信力と志願力と善根力を具えて奮闘するが故に、如来は寝起きを共にし、如何に流罪になろうと斬首のために座らせられようとも、如来とは離れない者である、如来はその御手を以て行者の頭を撫でて慰め労(いたわ)り給うのです。日蓮聖人の信仰及び活動には、この意味が頗る鮮やかに現れています。そして私達門下は、日蓮聖人を手本として倣っていくのですから、この経文の意味する所をしっかりと身に付けなければなりません。それに反して日蓮門下の僧侶が、中古以来の”事勿(なか)れ主義”的な思想で葬式法事を専らとし、或いは祈祷占術・霊断等の邪命に頼って低級なる宗教を盛んにしているようでは、いよいよ世間からは用無しとされます。仏教が最高の宗教であり、日蓮聖人を仏教の正義正統を発揮した者として考えるならば、今少し抱負の雄大なる宗教を以て務めに任じていかねばならない、そのような仏教界に改善していかなければならないと思うのです。
 

冷たい雨、冷たい世の中

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月21日(火)16時30分55秒
 編集済
  今朝、雨が止んだので犬の散歩に出かけた家内が大慌てで帰って来ました。直ぐ近くの公園に、老人が寝ているようだけれども、呼び掛けても返事が無く、濡れた体で手足が真っ青だと言うのです。

「そりゃぁ、まずいぞ!」と駆けつけてみると、雨に打たれてもう完全に低体温症になっており、意識も喪失した状態でした。急いで家内に毛布を取りに行かせ、二人で身体を擦りながら声を掛け、意識の回復を図るとともに救急車の手配です。消防署は直ぐ近くにあるにも拘わらず、「今出ました」と言う割には一向にサイレンの声がしません。「早くよこせ」と二度目に掛けた時には「もう出ていますけれども」で、まるで「そば屋の出前」です。しかも、救急車に運び入れた後には、受け入れ先の病院が直ぐに見つからないのか、なかなか出発をしません。

ホームレスでは無さそうですが、70歳前後の老人で、何故か着ているものはシャツにパンツだけ。傍らに空の200ml入り焼酎パック2本と飲みかけが1本、手を付けずに放置されたコンビニの弁当。恐らく痴呆もあるのか、何らかの事情で昨夜の晩に公園で一人で酒を飲み、頭でも打ったのか、そのまま寝てしまったようです。それにしても昨日の晩は、福岡は激しい雨でした。家内が老人に気付く前にも、犬の散歩等で公園を通っている人は居たそうです。その後、消防署からも何の連絡もなく、搬送された病院を聞いて容態を確かめようと思いましたが、「名前が分からないと分かりません」とは病院の応対も随分な話です。

関わり合いたくないから、気が付いていても気が付かない振りをする、だんだんそういう人が増えてきたように思います。傍らで餓死していくストリートチルドレンを見捨ててしまう北朝鮮の人々と、豊かな国であるのに私達の国はそう大して変わらなくなりつつあります。弱者の救済を叫んで正義をかざすことよりも、もっと身近なことに慈悲を以て関わっていく、当たり前の心を育てる必要があるのでしょうね。今日も、また一つ釈尊から教えを頂いたようです。
 

(無題)

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月19日(日)21時46分52秒
 編集済
  > 法華経を、釈尊は説いていないことは明白です。

鈴木さん御免なさいね、切りがないので貴方の不毛な投稿は今回も削除しました。貴方の立派な理解力の無さと、愚直な程に執拗な投稿は、カルトな創価学会や日蓮正宗と同じく当掲示板では完全にアウトです。また、私が述べてないことを並べ立てて、日蓮聖人の教えを批判することも迷惑な話です。テーラワーダで長年学んだけれども、顕本で法華経を修行したいと言う海外の方々等からのメールの対応で私shmonは結構忙しい身です。そう言えば、暫く前には「バカの壁」という本もベストセラーになりましたね。確か「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない」という内容でしたかね。

うんざりさんが、最初に貴方に次のように投稿されていましたね。

「法華経を含む大乗経典は、己心の釈尊が高位の菩薩に説かれ、仏説であると菩薩たちによって認められ成立してきたものです。そして、歴史上に応現した釈尊とその己心の釈尊が一体であることは、法華学からも何度もこの掲示板でshamonさんが説かれています。」

付け加えるならば、歴史上に応現した釈尊とその己心の釈尊が一体であるならば、己心の釈尊が説かれた法華経を含む大乗経の内容は、当時の弟子達が理解出来たかどうかは別として、歴史上の釈尊一代においても説かれてたはずと考えられます。

一般の仏教信仰者は、歴史上の釈尊とは衆生を憐れんで娑婆世界に応現された如来の姿であると考えています。単なる哲学者の説いたことならば、宗教にはなりませんね。鈴木さんの○○な投稿は、今後は遠慮頂きます。 南無妙法蓮華経
 

ちょっと教学的な整理を(笑)

 投稿者:shamon  投稿日:2009年 7月19日(日)20時21分11秒
 編集済
  法華経を謗って対話を呼びかけても耳を貸さず、頓珍漢な根拠で一方的な批判に終始し、挙げ句には、私も精進しますから坊さんである皆さんも精進して下さいでは、ちょっとぉ非常識で残念ですかね(笑)。仏教の学びは古来より真摯な問答を通して、新しい発見や気付きを得て真実に目を開いていかねばならないものです。日蓮聖人は、逆縁の為には余経も法華経も詮無し、他の経典や法華経を説いても無駄、ただ南無妙法蓮華経なるべしと言われましたが、テーラワーダ仏教のみを真の仏教と盲信して法華経を謗っている方は、罰が当たらないようにハンドルを変えて出直して来られたら方が良いかも知れませんね。

テーラワーダとは、直訳すると「釈尊の教え」ではなく「長老の教え」です。釈尊滅後100〜200年後の長老を通した主に修行者に対する教えですね。これに対して大乗仏教の法華経は、私のように在俗にあって仕事をしていても、釈尊に直結して菩薩としての人生を全う出来る教えです。ですから、顕本法華宗では「経巻相承・直授法水」と言うのですね。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は大乗仏教を否定しているようですが、法華経はテーラワーダの教えも肯定して取り込み、そして釈尊の教えのより深い所を研究した哲学をも含んだ全体的な教えです。大智度論などに説かれた仏教哲学、大乗の教えをすべて包括しているのみならず、他の大乗仏教による二乗(小乗仏教)への誤解を是正しているのも、法華経の特色ですね。

日蓮聖人が、法華経のみが真実を顕かにした経典であると述べた如く、釈尊が説いたと認められてきた大乗仏教経典の総てを、私達は等価値に見ることは出来ません。私も代表的な大乗経典は大まか読んでいますけれども、宗教にしても思想にしても、バラバラにならないためには中心となって一切を調和統一する優れたものが必要です。そして、中国では天台大師によって、日本では伝教大師によって、仏教が統一される時には必ず法華経によって仏教は統一されてきました。大日如来(ビルシャナ如来の中国意訳)とは、本来釈尊の智慧を大陽として称えた異名なのですけれども、残念ながら日本の真言宗は、宇宙の法身仏である大日如来は釈尊と別体であるとしてしまったために、それは釈尊の教えではなくなってしまったわけですね。

mayaさんが「法身仏あるいはダルマ中心の大乗仏教の理念」と言われたのは、歴史上の釈尊とは垂迹身であって如来としての本体がある」と言うことですね。法華経は、前半は迹仏として、後半は本仏として説かれた経典です。最初は法身と応身という考えでしたが、やがて法身が報身とに区分されて、法身・報身・応身との三身に分類されました。

法華では差別的な見方を廃して三身即一の仏を前提とするのですが、法身・報身・応身の仏の何れを中心として三身即一の釈尊を把握して信仰するかということは、教学的に些細なことではなく、信仰上の宗旨をはっきりさせるための大事なこととなっています。法身とは、釈尊の覚った宇宙の真理であり、報身とは釈尊の応用している所の智慧であり、応身とは釈尊の慈悲の活動であると考えて下さい。歴史上の釈尊は、本仏が衆生を憐れみ慈悲の活動として応現したものとします。これは、仏教の共通認識でありましょう。

法身とは宇宙の背景にある真理であり、報身は智慧として釈尊の説かれた経典の中にありますが、この法身や報身を拝んだり、呪文のように唱えてみたりしたところで真理や智慧が得られる訳がないと、顕本法華宗は他の日蓮門下にも都度主張してきました。また、宇宙の真理は私達の心に実は映し出されて、そして私達の身体も生体として活動をしているのであり、また遺伝子情報という形で何千年何万年の経験という膨大な因果のデータを私達は智慧として有しているわけですが、心を一生懸命に凝らしたところで、仏教の衰退した末法に生きる私達凡夫がそれを容易に覚ることは出来ません。

そこで釈尊は私達の心に永遠にいらっしゃるのですから、心理現象的に釈尊に心の中に応現して頂く、即ち人法一体なのですから、応身の釈尊を通して真理と智慧を得るべきだと考えるのですね。大乗では見仏と言われますが、真理と智慧を有している釈迦牟尼仏に私達の心に現れて出でて貰うのです。法華経には「その心恋慕するに因って乃ち出でて為に法を説く」とあり、日蓮聖人も「釈迦如来の御神(みたましい)我が身に入りかわせ給ひけるにや。」と言われている通りで、釈尊は私達の心さえ調えば何時でも応現されるのです。勿論、その応現した釈尊が天魔(煩悩)の化けたものであっては噸でもないことになりますから、釈尊在世の教えとされる阿含経典(初期仏教)を学んで、確かに釈尊であると知ることが出来るようにしておくことは大事ですね。

ですから顕本法華宗では、阿含と法華経が有れば、それで仏教は十分であるとも説きます。また、慈悲の活動として釈尊に応現して頂くようにするには、私達自身が慈悲の心を以て、人々が煩悩に惑わされずに強く正しく生きれるようにと、教えを弘めていかなければなりません。所謂、利他の菩薩行ですね。如何に衆生を救おうかと葛藤するところに、釈尊も如何にその人を救い、そして役立てようかと考えられるからですね。

PS:仏教初心者の方へ、桐山靖雄の阿含宗は、阿含とは全く関係のないデタラメな新興宗教ですから御用心を!
 

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