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これ、支線に書こうか、本線にしようかと迷ったのですが、本線に書くことにします。何故なら、支線は本線から派生したものですから。
こんな言い方では私が何を言っているかは誰にも通じないことでしょう。今、「忙中有閑」で、「支線」を遡ってみたのです。よく映画ファンが「1度見ただけではワカらない、も1度見なければ」と言います。文学作品もそうでしょうし、文学に限らず、書物一般がそうでしょう。もう何度も見ているのですが、先日テレビ放映された「千と千尋」を見て、改めてそう思いました。そう思わせるほど、宮崎アニメは奥が深いのでしょう。
で、「忙中有閑」で「支線」を遡りました。リアルタイムで見ていた時にはよくワカらなかったものが、2度目には多少見えてくる? 見る度に地平線から上空に昇っていくのか、かつての阪神パークのヘリコプター同様、徐々に「鳥瞰的視点」に近づいていくような気がします。
関わって下さった皆様方、も一度冷静に見直して下されば、掲示板、ブログ、ネット、それらを通じて人々が例えその場限りであったにせよ、意識してきた事柄、それらの積み重ねが案外「人間の意識の積み重ね」を象徴しているかもしれないのです。素朴、敵対、賛成、反対、ネット上の「友情」、ネット上の「敵対」、いろいろあります。
私は分裂気質の人間ですから、書いているうちにどんどん書きたい内容が変わっていってしまう。書き出しには大事なことだと思った故に書き出すので、シラフの時に十分再考して、表現の推敲を重ねて書くべきだとは思うのですが、このシステム、書く人間は、表面的なことを書こうと思うか(それがそもそも私が「掲示板」を作った動機ではあるのです)、己が内なるドロドロしたものを漂泊してしまうか……
「酔客」でスンマヘンが、年齢、出自、己の過去の総てにかけて妥協できない言いたい意見、論争、いろいろありますが、私は所詮「同じ穴の狢」ではないかと思うのです。
こんな掲示板でも、多くの方々が関心を持って下さいました。カウンターの数字を見るまでもなく、有り難いことだと思っております。
今の時代、何か、人々は「強迫観念」に捕らわれているように思います。このような不況の時代ですから、少なからぬ人達が、リストラやら何やらに脅えていることでしょう。が、それらは大変なことだとは思うものの、それだけではダメ、それは違う!
今の私は「リストラ」の心配はなさそうなので、言いたいことを言い散らかしていられるだけかもしれませんが、ネット、ブログ、掲示板には、やはり人間の(少なくとも「日本人」の)「縮図」があるように思います。マクロとミクロ。
ま、皆様、阪神が好きで様々な掲示板に投稿したり、その場でケンカしたりもするのですが、阪神が好きだという「根っこ」に戻ることも必要なのではないでしょうか?
テレビを消したときの静寂、ネット世界から現実に戻った瞬間の不思議な気分、ウマくコトバでは表現できませんが、「支線」が荒れていた頃に書いた北川冬彦の詩の一節、女の子の「どうりで皆馬鹿になっちゃったのね」、あの、純粋、素朴な世界が「オトナ」のワケのワカらんドロドロした世界を相対化してしまった、そんな素朴さを、現実がいかに大切であれ、忘れてはイケないと思っています。
繰り返しますが、私を含め、皆さん、阪神が好きなのですよね。表面的にはケンカしてもなにしてもいい。が、ここを大事にすべきだと思います。
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