投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

全1819件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。 8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  |  《前のページ |  次のページ》 

誤解されることを覚悟で書きます

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月23日(火)23時53分38秒 p29f5df.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  女性運転士の話が盛り上がっています。思い起こせば西宮を去った40年近く前、タクシーで初めて女性運転手のそれに乗り合わせました。その時の素朴な感想は「女性のタクシー運転手がいるのだ!」というものでした。敢えてこんなことを書いている理由は、世の中のうまく行かなさの根本には、たぶん私だけではなく、誰の心の中にもこんな素朴な意識があると思うからです。「不自然」だと思ったのです。

最近でこそ、ダンプの運転手でも女性は珍しくはなくなりました。また、いつだったか、東京から中央線快速に乗った時、車掌が女性だったので、時代が変わってきたなと思いました。随分昔のことですが、新聞で、北朝鮮で18歳の女性がトロリーバスの運転手をしている記事を写真付きで見たことがあります。

「酔客」ですから、私らしいことを書こうと思っているのです。ウン、いわゆる「偏見」はなくした方がいいのか、あった方がいいのか、これも、結構難しい問題だと思うのです。見出しに「誤解覚悟」と書きましたが、女性が社会進出している今の風潮には多くの人は異を唱えることはできないでしょう。私もその一人です。が、一皮剥いた「真実」に関心があるのです。それは、ここに書くべきことではないと思います。「支線ネタ」かもしれませんが、支線にも今は何かを書き込みたくなる心理状態ではありません。竜頭蛇尾ですが、この辺にしておきます。

先日、西九条から安治川トンネルを通って九条へも行きました。次回に訪れる時は、阪神電車で「九条駅」に行くことになるでしょう。少なからぬ人達にとって、本当に悲願だったようです。
 

女性運転士

 投稿者:阪神電車男  投稿日:2008年12月23日(火)22時24分39秒 i118-18-118-85.s11.a028.ap.plala.or.jp
  はじめまして いつも拝見させて頂いています!私の身内にJRの女性運転士が
 います。キャリアもあるので 電車でGO(ゲ−ム)をさせてみました。実際とは 感覚が違うようでむきになっていました。 話を聞けばいろいろ大変だそうです!女性だからと!
 

女性車掌

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月23日(火)19時36分48秒 baicb85e971.bai.ne.jp
  PP&Mさん、メールに返信頂けば、鳴尾駅にあった側線の写真等お送り致します。

阪神電車にも愈々女性運転手さんですか。
大分前からJRの女性車掌さんが目立っていましたが、この10月西宮で阪神の女性の車掌さんを見掛け、時代の進化を実感していました。
タクシー運転手はかり増えていますね。
 

女性運転士

 投稿者:PP&M  投稿日:2008年12月23日(火)12時38分34秒 FLH1Adk020.hyg.mesh.ad.jp
  昨日仕事の帰りに乗った「国鉄」新快速は女性が運転していました。女性車掌ほど多くはないけれど、女性の運転手も「国鉄」ではそんなの珍しくなくなりました。阪神はいつになったら女性運転士が登場するのだろうと思いながら大阪に到着。梅田から阪神に乗り換え所用で元町に行きました(定期がある関係で「国鉄」にそのまま乗り通さず阪神に乗り換え)。

用を済ませて元町からちょうどホームに入ってきた普通に乗ろうとふと見ると、おや女性が運転しているではありませんか。隣に男性の社員が同乗しているところを見ると新人運転士の研修のようです。

発車も速度制限区間が連続する三宮-岩屋での加速、減速も5500系の特性を活かしてメリハリが効いてスムース、駅にも滑るように入って停車位置にピタッと止まる、模範的な運転でした。

女性の運転する阪神電車、初めての体験でしたが、いずれ運転しているのが男性か女性か意識しない、当り前の光景になるのでしょう。

チョッパーさん、阪神1130さん、メールいただいていたのにお返事せず、済みませんでした。受取先にしているメールボックスは週に一度読みに入る程度で、昨日になってやっとメールに気がつきました。みなさま楽しまれたようで何よりです。わたしは夏秋に遊んだツケでいまは首がまわりません...
 

お疲れ様でした

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月22日(月)20時31分53秒 baicb85e971.bai.ne.jp
  お帰りなさい。
中々強行軍だった様で。
関西在住の4名は良い思いをさせて頂きました。

この電車もいいですよ。

http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/index.html
http://railf.jp/news/oote/hanshin/
 

時間のない酔客

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月21日(日)23時28分7秒 pd33d35.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  戻ってきました。尼崎車庫に留置された近鉄車両も見ました。いろいろありますが、一つだけ……今回は「サンライズ」を使いました。「ながら」もチケット取るのが難しかったのですが、これも需要のない時期には「赤字」だったようですね。夜間移動の需要はあると思うのです。夜を移動に使えれば、昼を有効に活かせますので。が、料金の安い夜行バスがその需要を吸収してしまったのでしょう。経済的には、それは「理に適った」ことでしょう。しかし、それがいいのかどうか……

鉄道のメリットの一つに、「環境に優しい(好きなコトバではありませんが)」ということがあります。無論、電力を生み出すにも「環境への負荷」は避けられず、JRや何やらの「宣伝文句」に過ぎないと言えばそうかもしれませんが、やはりそうなのだろうな、と素朴に思っているのです。素人というものは、そう思わざるを得ぬ人種です。

かつての「モータリゼーション」の時代、高速道路網の整備され出した時代、排ガス問題がさほど取り沙汰されなかった時代、物資の輸送手段は国鉄コンテナからトラック輸送にシフトされました。今はトラック輸送には種々の問題があることでしょう。夜間利用客の夜行バスへのシフトは、同じ「構造」が約40年を経て平行移動しただけではないかという気がします。

西宮のどこかで食事をしている時だったか、たまたま流れていたラジオで、パーソナリティが、中国地方のどこかの高速道路(中国道から山陰方面に抜ける路線だったと思います)が、開通に際し、料金無料なのでどしどさい使って下さいと話していました。この時代に金かけて造った道路を無料開放してエエんかいな思いました。
 

神戸市東部の立体交差化工事

 投稿者:PP&M  投稿日:2008年12月20日(土)17時53分36秒 FLH1Adk020.hyg.mesh.ad.jp
  阪神1130さん、こんばんは、

>一方、芦屋〜魚崎間は上りの仮線のレールと架線、深江、青木の仮設ホームもほぼ出来上がり、

架線柱は魚崎駅手前の5本くらいを残してほぼ全部建っていますが、架線はまだ全く張られていません。もっともレールと違って、架線の工事は始めれば短期間に終えることができるでしょう。

>ここは阪神で最もスピードが出せる区間の一つですが、仮線に移ると、部分的に減速を強いられる事でしょう。

仮線ですから、いままのままとはいかないでしょう。でも見たところかなりしっかりした構造ですので、本線との切り替え部分を除けば速度制限はないのではないかと思います。

魚崎はどうやら近鉄直通の快速急行の停車駅になりそうです。魚崎を通過している区間特急は12分ヘッドであればおそらく運転されないでしょう。そうすると魚崎を通過するのは本線急行のみです。芦屋に至っては近鉄直通快速急行、本線急行の両方が停車しますので、仮線取り付け部の速度制限は実際はほとんどダイヤに影響を及ぼさないでしょう。

今日は用事で出かけたついでに西大阪線を一往復してきました。各駅のホーム延伸はほぼ終わっていました。西九条駅構内や尼崎駅の4・5番線ホームも工事は終わっているようで、新年早々に延伸線を介した直通の試運転が行われそうです。
 

阪急武庫川駅

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月20日(土)12時18分46秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  以前御紹介致しましたが、西宮市議会で新駅開設の答申があり、阪急に要望が出されていました。愈々、構想が前進しそうですね。この付近、昔は田園地帯でしたが、今は住宅が密集しているにもかかわらず、交通の便が極めて悪い地域です。実現すれば、阪急としては、駅間距離がかなり短くなります。新鉄橋の構造からすると島形ホームで、西宮側からも尼崎側からも乗降出来る様になる事でしょう。同じグループの阪神に武庫川駅がありますので、新駅の名称がどうなるのかが楽しみですね。  

阪急新駅に向けて動くか

 投稿者:PP&M  投稿日:2008年12月20日(土)08時54分50秒 FLH1Adk020.hyg.mesh.ad.jp
  今週の新聞は鉄道に関してにぎやかです。

まず残念なニュースは、東京発の寝台特急がどうやら来春のダイヤ改正で廃止になるようです。新幹線、長距離バス、飛行機、移動の手段も生活のスタイルも変化し、その使命を終えたということでしょうか。

次に阪急神戸線に新駅ができるかもしれないという話。住民から要望のあった武庫川駅に対して電鉄が前向きな姿勢を示したとのニュースです。新聞記事によると実現すると武庫川を渡る橋梁に駅が設けられるようで、阪神の武庫川駅のような形になるような。法令で今は河川上には駅を設けることができないという話をこれまで何回も鉄道関係の掲示板で読みましたが、あながちできないわけでもないようです。

そして今日の朝刊には「国鉄」の新快速、深夜時間帯の運転延長との記事がありました。大阪からは午前0時に姫路行、同25分に西明石行が運転されるそうです。三ノ宮からですとそれぞれ0:23、0:47発だそうです。これでは早じまいの阪神、阪急はとても太刀打ちできません。
 

近況

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月18日(木)00時32分50秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  幌の伸縮用ですか。地下鉄のものは幌とは別に車体の両端近くに付いていましたので、転落防止ガードではないかと思っています。当時は何の為のものだか判りませんでしたが・・・。

本日、所用で三宮に行きました。直特で16時8分頃に三宮に到着した際、3番線に近鉄9020系(シリーズ21)が両側の扉を開けた状態で停車していました。

武庫川ホームの西側への延伸は完成しています。武庫川〜甲子園間の高架工事の準備も進んでいます。実際に高架化されるのは10年近く先の事でしょうが。一方、芦屋〜魚崎間は上りの仮線のレールと架線、深江、青木の仮設ホームもほぼ出来上がり、来年には本格的に高架工事が始まるものと思われます。ここは阪神で最もスピードが出せる区間の一つですが、仮線に移ると、部分的に減速を強いられる事でしょう。

なんば線開通まで3ヶ月になりました。本線を含めた列車種やダイヤの発表が待ちどおしいですが、神戸方面から大阪みなみや奈良方面へは非常に便利なり、乗客増が見込めますが、梅田方面への利便性が悪くなるダイヤであれば、神戸以西からの直通客が減る事になります。

先に御紹介した近鉄社長の姫路〜名古屋、伊勢志摩間の特急構想ですが、伊勢志摩ならば、週末、季節、団体等不定期、シーズン、臨時列車の需要は見込めると思いますが、名古屋となると直通客がいるのですかね?新幹線よりかなり料金が安く、サービスが良ければ、阪神沿線からの利用客は多少見込めるかも知れませんが、名古屋の場合は毎時運行等定時列車でないとダメだと思います。
 

更に3011

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月17日(水)23時29分45秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  転落防止ガードなどというモダンなものはなかったと思います。あれは、新幹線あたりからでしょうか? 3011の幌に装着されていたもの、当時の私には何なのかよくわからなかったのですが、幌の横に多分幌に連動して伸縮可能な菱形が4つ繋がったものがついていたことを記憶しています。それがチョッパーさん仰る「緩衝器」なのだと思います。また、小型車には、名称を知らぬため、説明が難しいのですが、多分幌を動かすかめ、幌上部から斜めに突き出た金属製と思われる直線状の物体がついていました。同様のものは国鉄の列車にも装着されていたと思います。赤胴、青胴とも、幌には何も着いていなかったことが新鮮でした。また、車内では、連結部分の渡り板(正式名称を聞いたのですが、忘れました)が、通常は2枚重なっているものが、3011特急では更に3枚重ねになっていたこと(構造は未だにわかりませんが、国鉄車両でも、特急などは同じ構造になっていたと思います)、更に言えば、小型車は、この2枚が重なってさえいなかったことを思い出します。カーブの多い阪神だけに、もし足を踏み外したならば……考えれば、恐い構造でした。

大阪の地下鉄の正面についていた「妙な物体」も覚えています。も一言言えば、当時は赤い電車と青い電車が走っていました。阪神に似ているなと思いました。これらは私に妙な「先入観」をもたらしたようです。東京では、総武緩行線と中央線、同じ101ながら、色が違ったため、各駅停車と優等列車には使い分けがあるものだと刷り込まれたようなのです。しばしば使った京成にも、赤電、青電の2種がありました。

とりとめのない話で済みません。ずっと多忙な中で書いています。
 

3011形準急

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月17日(水)10時41分52秒 baicb85e910.bai.ne.jp
編集済
  幌の外側の転落防止ガード、あった様にも思いますが、よく覚えていません。梅田から昭和町(今の御堂筋線)と大国町から分かれて花園町(今の四つ橋線の一部)迄の路線しかなかった昔の大阪地下鉄の車両には、先頭車両にも幌と共に折り畳んだ状態のガードが付いていたのをはっきり覚えています。

3011形の準急(一部区急)運用は登場間もない頃からでした。ノンストップ特急の昼間のみの運行に対して、準急は特急の走らない朝夕ラッシュ時のみ。従って、空いている3011形を準急に回したものと思われます。3011形登場前の準急は、小型車でも最もオンボロで性能の劣る601形での運行が主体でした。準急は元々ラッシュ時のみ運行の為、余っている車両を回す傾向が強かった様です。1962年頃には既に、赤胴車第二世代の3601・3701形も登場、ジェットカー量産車も揃い、普通は全部ジェットカー(当時のジェットカー普通は2連、ラッシュ時3連)に置換わり、昼間の急行も赤胴車になっていました。又、特急のノンストップ運転がなくなり、赤胴車の特急も走り出しました。反対に3011形の急行も見られる様になりました。この様に大型車の出揃った1962年当時は、準急には主に余った急行用の800・900番台の車両が使用されたのではないかと思われます。それで、jet silverさんは1962年当時3011形準急を見る機会がなかったのではないでしょうか。伝統的に阪神の車両は特急・急行用と普通用のギヤ比の異なる2系統の車両で構成されています。赤胴車の増備で特急・急行用車両中に占める3011形の比率が低下し、連結数の増大、使い勝手の悪さから先頭車両の貫通幌化、ロングシート化、3扉化等3011形の改造、車番変更に繋がったと思います。
 

3011特急

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月16日(火)22時03分1秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  阪神1130さん、私が1度目の西宮を去ったのは’62年のGWでした。既に3駅停車にはなっていたでしょうが、準急や急行の運用を見た記憶はありません。どの会社でも、優等専用車両がこのような使われ方をするのは、その本来の使命を終えかけた末期だと思うのですが、如何でしょう? 2度目の西宮時代には、むしろジェットブルー(無論、ジェットシルバーも含む)の準急運用を時々見ました。各停と優等をハッキリ区別する阪神にあって、準急とは「奥の深い」種別のようです。

チョッパーさん、幌の形状は覚えています。菱形に4つほど……。今の梅田駅は当時とあまり変わっていないと思いますが、記憶にあるのは、阪神百貨店側が特急のホームで、百貨店からガラス窓越しに、アコガレの3011特急が見えたことです。私のイメージとしては、JR新宿駅の最も西側、総武線と山手線のホームから小田急の特急が見えるそれと重なります。だから私の記憶が正しければ、今の特急乗車ホームと各停のそれとは、たぶん逆だったことになりますね。
 

3011形

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月16日(火)19時54分4秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  チョパーさん、20日よろしくお願い致します。

3011形、かなり丸いですね。はーさんの写真の急行は梅田〜西宮間の区間急行ですね。梅田〜元町間の本来の急行は最後の1958年の815の写真に付いている標識です。準急が終了した19時以降は武庫川停車の甲子園行き区間急行があったと思います。

3011形、急行での使用は知りませんが、夕方の準急には毎日多用されていました。当時の準急は、今の様に途中での優等列車の退避がなく、梅田から出屋敷、武庫川、鳴尾に最速で結ばれていたと思います。夕方の準急は殆どが3011形でしたので、この時間を狙って親とや一人で梅田に出て夕方準急で帰るのが普通でした。勿論ロマンスシート(クロスシート)に座る訳ですが、何処の電車よりも静かで、乗心地が良かったです。当時の国電や阪急はじめ私鉄の電車は発車時、停車時に汽車の客車、貨車同様のガツンと言う衝撃(連結器の遊び?)がありましたが、阪神電車は伝統的にオール電動車でしたので小型車時代からこれがありません。更に、3011形は台車も座席も良く、乗心地は最高でした。改造されてロングシート化された後も、座席が低くゆったりとした最高の乗心地の車両でした。因みに、阪神の車両も登場時の7801、7901形では3601、3701形では余り感じなかったガツンを経験しました。
 

3011形特急の乗車体験

 投稿者:チョッパー  投稿日:2008年12月16日(火)17時18分6秒 61-205-94-146.eonet.ne.jp
編集済
   3011形についての思い出はいつも特急運用でしかありません。

 母に連れられて梅田に出掛ける時、甲子園から急行に乗りました。急行はどのような車両だったか記憶が余り定かではありませんが、851形、通称喫茶店の貫通路の折りたたみドアーのつかみ棒を握った記憶がありますが、当時嫌っていた赤胴車3301形、3501形の可能性が高いと思います。帰る時、3番線の急行専用のホームに立つのですが、4番線側で暗闇のなかから中央にヘッドライト1灯、その両側にテールライト2灯の明かりが見えますと、母に乗せてくれと懇願したものでした。

 3011形は幼いながら憧れの電車で、幼心に4番線は特急専用ホーム、3011形は特急にしか使用されないと思いこんでいました。
 母は、やむなく西宮まで3011形特急に私を乗せ、急行で甲子園まで戻ることを幾度かしてくれました。
 ある時祖母と別れるのが嫌でぐずっていましたら、迎えにきた父が、あっ、黒い特急だ!(我が家では3011形は黒い特急、3301形、3501形は赤い特急と呼称されていました。)その一言でおとなしく3011形特急に乗り甲子園に戻りました。夜間特急という呼び方を父がしていました。この特急は甲子園に停車するのですが明るい内は甲子園は通過でした。

 夜の準急?急行にも乗った記憶もありますが、私にとって3011形は特急という印象が強く、今回のはーさんのHP「40年前の鉄道風景」にある、晩年は急行運用が多かったという記述は意外な思いでした。

 梅田駅に停車中の3011形で印象に残っているのは貫通幌の外側に、阪急車に見られる蛇腹状の緩衝器材が付いていたことです。また窓間に埋められたダクトが立ち上がってベンチレーターに取り付く形状も印象に残っています。

 西宮、芦屋、御影、三宮に停車する、既に4両ないし5両編成で運用された頃でしたので、特急のヘッドマークも、四角い横長の板でした。

 「40年前の鉄道風景」に掲載されている3011形急行の写真では、西宮、梅田間の急行板が妙にに小さく、アンバランスで、やはり横長の特急板が似合っていますね。

 今になって思えば1962〜3年の阪神には新旧様々な電車が走っていたのですが、記憶には3011形、それも特急運用しか残っていません。

 私にとって3011形は大きなカルチャーショックだったのでしょう。近鉄の2200形に乗っても、南海11001形に乗っても同じです。白いビニールのシートカバーを見るに付け3011形が思い出されました。

 三つ子の魂百までもといいますが、いまだに3011形を回想してしまい、今回先輩諸氏が話題されているのを目にするに付け、独りでに指が動いて往時を回想してしまいました。
 

3011

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月15日(月)23時45分0秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  当時3011夕方の準急に使用される事が多かったですので、準急に乗られたのでは?
小生もノンストップ特急で乗ったのは登場間もない時期の1回のみです。
 

酔っ払いの補足

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月15日(月)23時12分12秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  今、ふと思いました。3011乗車体験、最も可能性の高いのは、3駅停車になってから、高校野球のため、甲子園に臨時停車したために、梅田からの帰りに乗る機会を持てたのかもしれません。が、如何せん幼少年時代の話、実際はどうであったのか……

たった1度の体験でしたので、どんな状況だったのか、ちょっとこだわっています。昔から、漠然と疑問に思っていました。
 

甲子園・香櫨園

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月15日(月)22時58分0秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  1度目に西宮に過ごしたコドモの頃、甲子園の浜へ海水浴に行きました。水質が悪くなってきたため、後には香櫨園の浜に行くようになりました。

まだまだ小型車が健在だった当時ですが、ハッキリと記憶している「乗車体験」は、東京から越して阪神梅田から各駅停車で甲子園まで行ったことと、香櫨園への、やはり各駅停車です。車輪がレールの継ぎ目を拾う「ガタンゴトン」の音が独特だった印象も、この香櫨園へ行った時のものだと記憶しています。

数年間は過ごしていたので、小型車体験、この2回のみということはないと思うのですが、殊更に「阪神電車」に興味を持っていた訳ではなく、しかも幼少年時代のことなので、記憶は曖昧なのです。

母に連れられて、よく尼崎や梅田に出かけたので(バスのことも多かったのですが)、梅田まで電車で行ったなら、尼崎から急行に乗り換えたでしょうし、それならば当時まだ健在だった小型車の急行にも乗ったことがあるはずです。が、如何せん遠い昔の記憶。

かの3011特急にしても、覚えているたった1度の乗車体験、どんなシチュエーションで乗れることになったのか、ハッキリしません。やはり母と買い物に行った梅田からの帰りだったと思う一方、たまに行った神戸からの帰りだったか(梅田の地下に比べ、神戸の地下は経験する機会が少ない分、新鮮でした。地下に潜り、一瞬明るくなるポイントがあったことと、駅を通過したことは覚えています。あんな「恐い駅」だとは無論、知るよしもありませんでした)、それもハッキリしません。少なくとも、梅田〜三宮がノンストップであったなら、乗れなかった筈です。既に途中3駅停車するようになってからの経験だったか(これなら神戸からの帰りの可能性大)、たまたま高校野球開催中で甲子園に臨時停車したためであったか(梅田からの可能性大。但し、ノンストップ時代に甲子園への臨時停車があったかどうかはわかりません)……たまに訪れる神戸方面は、いつもロングシートの赤胴車でした。コドモの頃の記憶とは実にアイマイなものですね。

でも1度だけ、3011特急に乗った記憶は、とても鮮明です。何しろ、アコガレの電車でしたから。記憶はアイマイながら、やはり母に連れられて梅田へ行った帰り、甲子園から歩く(自宅は鳴尾と武庫川の間)ことを条件に、電車が好きな私に、貧しかったから1駅の運賃も節約したかった母が乗せてくれたのではなかったかと思うのです。神戸からの帰りであったなら、いつもいつも「赤胴車」にばかり当たった筈はないと思うのですが……当時のダイヤに詳しい人に聞かなければ、却ってこの辺はわからないことかもしれません。
 

再び鳴尾村

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月15日(月)14時07分22秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  jet silverさん、今年のルミナリエは15日迄ですので、残念ながら御覧になれない様ですね。

鳴尾駅、それ程きついカーブではありませんので、上下線とも100Km/H近い速度で通過しますからね。内側のレールには脱線防止ガードも取付けられています。何時からあったかは記憶にありません。昭和9年の室戸台風時の古いものですが、鳴尾駅北側の側線の写真見つかりました。画像をお見せ出来ませんので、関係者には追ってメールに添付してお送り致します。

鳴尾のカーブは鳴尾村の大地主であった鳴尾辰馬家の関与に預かる処が大きかった様です。阪神電鉄は元々、武庫川から直線で旧国道と平行に西進する計画でしたが、それでは駅が八幡さんの北側になり、正面からの参拝が出来なく、村の中心からも外れる。そこで、辰馬家が多くの土地を阪神に寄贈する事で、八幡神社の鳥居の正面と鳴尾尋常小学校の間を通る現在の路線になったとの事です。これにより駅と村役場(現在の支所)とが近接しました。その後の第二阪神国道(R43)の開通で駅と鳴尾の中心部が分断されましたが・・・。

鳴尾浜と言えば、NK小の低学年の夏休み前の1週間位は毎年、阪神のバスを貸切って学校から水泳に行きました。甲子園に比べると浜辺の幅は小さかったですが、水は透き通ってきれいでした。鳴尾川河口の豊年製油工場の前辺りです。少し北には昭和電極もありました。高学年になって、学校にプールが出来、鳴尾浜での水泳はなくなりました。最後に甲子園浜に水泳に行ったのは、小生宅から予備校通いをしていた浪人中の従兄弟とです。B中に入った頃ですから昭和37年頃ではなかったかと思います。大勢の人が来ていましたが、この頃、既に海は非常に汚れていて、二度と来ようとは思いませんでした。その頃から甲子園プール、甲子園浜プールが繁盛し、やがて厚生年金プール(阪神大震災被害で廃業)が出来ます。その後、阪神パーク南園にもデラックスプール(冬はスケート場)が出来ましたが、これも震災で大被害を受けました。今、鳴尾地区で一般の人が泳げる所はリゾ鳴尾浜のプールだけになりました。ここは天然温泉施設ですので、室内の温水プールは年中泳げます。

鳴尾浜一帯は戦前、戦中、紫電改で知られる川西航空機(新明和興業、現新明和工業)の工場や飛行場等があり、戦後は1957(昭和32)年頃迄米軍に接収され、付近一帯は鉄条網が張り巡らされてました。因みに、川西航空機は戦後小曾根、甲南、宝塚等で新明和興業や明和自動車、明和印刷所、明和商事等民需産業として再出発、オートバイのポインターやダンプカー、飛行艇等が開発されました。明和病院も元は川西航空機の付属病院です。ポインターと言えば、進駐軍の撤収後の川西航空機鳴尾工場の跡地では、一時ダイハツのミゼットが生産されていました。広い敷地に出来上がったばかりのミゼットがいっぱい並んでいました。今の武庫川団地の辺りでしょうか。甲子園浜は残りましたが、鳴尾浜は埋立てられ、今では当時の面影がありません。

戦前の鳴尾村は甲子園を初めとする阪神の各種娯楽施設の他、川西航空機、千代田工学(後のミノルタ、現コニカミノルタ)、久保田鉄工(現クボタ)、日本絹紡績(村岸メリヤス、現ロイネニット)、昭和電工(現SEC)、鈴木商店(豊年製油、現J−オイルミルズ)、帝国染料、阪神車両工業(後の摂津車両)、石原産業、日本ファイバー、阪神築港(現東洋建設)、島田ゴム、三和商事、大阪フェルト、鳴尾ジャム、日本フレーバー等大きな企業の本社、工場、研究所や多くの有名企業の社宅があり、野球場、競馬場、ゴルフ場、競輪場、甲子園ホテルのある非常に裕福な村でした。そのくせ、武庫川、浜辺、イチゴ畑等自然も大層豊かでした。武庫川市構想もあったと聞きます。当時では珍しい村立の旧制中学(現県立鳴尾高)もありました。只、競馬場、ゴルフ場や浜甲子園地区にあった遊園地、動物園、水族館(後の旧阪神パーク)は戦時色の強まりで軍需工場の進出と飛行場の建設に伴い、撤退を余儀されて行きます。ゴルフ場は川辺郡(現川西市)、競馬場は仁川で今も当時の名を残しています。以前は武庫川河口対岸(今津出屋敷の橋脚のあった辺り)の平左衛門新田も鳴尾村で、久保田鉄工はここにありました。現在もクボタの工場があるのではないでしょうか。対岸の河口には戦後も長らく軍需用のオイルタンクの林立が残っていました。なお、西宮市の平左衛門新田地区は1969(昭和44)年に武庫川と仁川の合流地点の尼崎の飛び地、田近野地区との交換で尼崎市に編入されました。

長くなりますので、本日はこれ位で。
 

酔客の補足

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月14日(日)23時12分53秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
編集済
  鳴尾駅、カントが強かったのは印象的でしたが……市政40周年の時に配られた地図を確認しようとしましたが、行方不明です。やむなく当時買った西宮・芦屋市の地図を確認しましたが、さすがに細かい路線はわかりませんでした。が、全く別の話です。中学生の昔、私がよく自転車で行った武庫川河口近くには、新明和興業武庫川第二工場があります。あの辺一帯が新明和工業の土地だったようで、少し西に行くと、豊年製油鳴尾工場、これは当時から自転車で行って確認していました。その先に吉原製油の工場もあったような記憶が……当時の地図を見ると、鳴尾川を挟み、鳴尾浜公園。当時からあったのですね。自転車で海岸沿いを走れば、やがて厚生年金会館の「厚生年金プール」が見えてきました。夏は若者がここで遊んでおり、私は自転車を下りてビキニ姿の若い女の子にドキドキしたりしていました。  

多忙

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月14日(日)22時28分39秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
  師走はやはり忙しいのでしょうか? ずっと余裕がありません。半ば「自主的」にではありますが、4週続けて週末を仕事に費やしました……多分、若い頃の方が遙かに時間の余裕がなかったのですが、敢えて言うならば、あの頃の生活は間違っていました。たとえ若かったから忍耐できたにせよ。

今は時代、肉体と精神……総てが若い頃とは異なります。来週関西を訪れますが、まだまだ準備には程遠く、今朝、辛うじて「サンライズ」の横浜発と姫路着の時間を確認しました。

近鉄の特急用新車両、伝統を活かしながらのニューデザインですね。インテリアにも意匠が施されていることでしょう。姫路からの直通なんて、本当に私には「妄想」の世界だったものですが……

むーさんのHPは、かつて見たことがあります。懐かしい画像でした。ま、懐かしがることも大事、新しい世界を見つめることも大事、今はそんな陳腐なことしか言えません。が、速度計もない電車が堂々と100Km/Hで走っていたとは、何と牧歌的な時代だったのでしょう!

50年という時間をどう捉えるかは、個人の意識(それとて年齢により、様々でしょうが)というより、歴史感覚を持った人間の価値観に委ねるべき、大切な問題だという気がします。多忙な酔っ払いはこの辺で書くことを止めるべきでしょう。
 

変電所

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月14日(日)17時59分41秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  PP&Mさん、こんばんは。
今年のルミナリエ、人出が少なく、募金が集まらないと報道されていましたが、後半盛返したのですかね。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200812100096.html

鳴尾上りホーム北側の線路覚えています。その北側には変電所や阪神の寮があり、空き地は資材置き場になっていた様に思います。線路のあった辺りは、その後、営業車の駐車場になっていました。西側の本郷学文筋踏切を越えた北側は現在、ベイコムや阪神エンジニアリングが使用しています。この線路、元は踏切を越えた西側で本線上りと繋がっていたのでしょうね。

変電所と言えば、過去阪神本線には多くの壮大な特高線架線柱と共に、沢山の変電所がありました。戦前、関西有数の配電事業をしていた関係もあるのかも知れません。覚えているものだけで、東から野田、姫島、神崎川鉄橋東、大物(尼崎車庫東)、出屋敷、鳴尾、西宮、青木、住吉東(松原曲線付近)、その他記憶が定かではありませんが、西灘付近にもあった様な気がします。旧路線の新在家車庫付近はどうだったのでしょうか?高架化や送電設備の近代化に伴い、変電所の姿を余り見掛けなくなりましたが、鳴尾、青木等は数少ない生残りなのでしょう。現在、これ以外に何処にあるのか詳しく知りません。
 

側線(留置線)

 投稿者:PP&M  投稿日:2008年12月14日(日)14時49分18秒 FLH1Adk020.hyg.mesh.ad.jp
編集済
  みなさん、こんにちは

昨夜やっとルミナリエに行ってきました。土曜日と言うことで人が多く、元町駅から一旦西に誘導され、海文堂あたりでやっと商店街を東に向かって歩くことができ、アーケードを出れば浜側に折れて会場に入れるかと思いきや、そのまま京町筋まで三宮に向けて誘導、そこで西に向かって三宮神社まで歩き、左折、もう一回左折、やっとルミナリエが見えるところまでたどり着けました。そこまで1時間弱かかりましたね、たぶん。で、残り時間10分強。当然東遊園地までたどりつけるはずはなく、京町まで来たところで消灯。悲鳴3/4、歓声1/4の悲喜こもごもの声があがって、一同解散。

まあ見ることができただけ良かったか、たった10分でも...

さて突然話題は変わりますが、昔は土地が安かったせいか阪神も阪急も使わない施設をあちこちに持ってました。そろそろ記憶があやしくなってきたので、忘れないうちに書いておきます(いやいままでにもう書いたかもしれません、とにかく記憶が...)。

鳴尾には上りホームの山側にもう1線線路があり、それが駅西側の踏切を越えて伸びていました。

御影・石屋川の高架の山側には70年代中ごろに車庫代わりの留置線が設けられ、留置線としていまも使われていますが、それまでは線路が引かれていない複線分のスペースがありました(阪神急行線構想の遺構)。

阪急は園田から東に向けて浜側に複線の線路が名神高速道路付近まで伸びていました。宝塚線にも豊中付近にそのような複線があったと記憶しています。また神戸線岡本(上り線に接続)、今津線門戸厄神、小林、宝塚南口(それぞれ今津方面への線路に接続)の各駅には側線がありました。

これらの駅の側線が何のために設けられていたのかわかりませんが1960年代末に各線でホームが延伸されるまでは残っていました。岡本駅の側線では一度だけですが、電車が留置されているのを見たことがあります。

再度話変わりますが、速度計が設けられていないことでは国道線の電車も同様でした。全廃の夜に浜田車庫の詰め所でいろいろなものをもらったのですが、その中に運転規則を綴じたファイルもあり、そこには時計と架線柱(電柱)で速度を算出するとありました。つまり架線柱の間隔は一定なので、一定時間に通過する架線柱の数を数えることで速度を割り出すことができるのです。そのファイルはほかの貴重な資料と共にすべて地震で失われてしまいました。残念ですが、命が助かったのですから、文句は言えません。
 

新しい話をいくつか

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月14日(日)03時07分21秒 baicb85e910.bai.ne.jp
編集済
  阪神とは直接関係ありませんが、最近の記事から

朝日新聞「ぷらっと沿線紀行」第78回(12/13)
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/index.html

PP&Mさんの投稿にもありますが、近鉄の喫煙室付豪華新型車両
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200812120025.html
上記の内容は12日付の「近鉄駅ビルシャープにラブコール」に付随した記事です。実際の新聞では、11日の近鉄小林社長の発言として阿部野橋新駅ビルにシャープを誘致したい旨等ビル関連の話に続いて
【以下記事全文】また小林社長は、来年3月に開業し近鉄と直通運転する阪神なんば線について「奈良−三宮にとどまらず、山陽電気鉄道を経由して姫路から名古屋や伊勢志摩までを近鉄特急で直結したい」と意欲を示した。ただ、3社間で車両の長さや安全装置の方式が違うなど技術的な課題も多く、阪神や山陽電鉄は難色を示しているとみられる。


PP&Mさん
「関西電車むかし噺」も良いのですが、阪神電車に関しては、「40年前の鉄道風景」の方が俄然多彩で、画像も大きく気に入っています。只、阪急電車に就いては、はーさんの写真が神戸線主体であるのに対してむーさんの方は宝塚線、京都線もあり、300型等懐かしい写真があるので、「関西電車むかし噺」もお気に入りに入れています。

http://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20081212.pdf

 

近鉄に新特急車両

 投稿者:PP&M  投稿日:2008年12月13日(土)11時48分22秒 FLH1Adk020.hyg.mesh.ad.jp
  今朝の神戸新聞を読んでいると近鉄の新特急車両の話が目にとまりました。ネットで検索すると次の記事のほか、いくつか出てきました

http://journal.mycom.co.jp/news/2008/12/12/035/

今回の車両は奈良線、京都線用とのことですが、近鉄の希望としては姫路から伊勢志摩を結ぶ特急の運行だそうですので、ひょっとしたらこの車両が阪神なんば線、本線に姿を見せることもあるかもしれませんね。

京阪神の電車の昔の写真では、こちらもなかなかおもしろいですよ
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1092-kansai2ndday.html
 

古い話(その2)

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月12日(金)12時44分32秒 baicb85e910.bai.ne.jp
編集済
  昔、阪神の小型車には速度計の付いた車両が殆どなく、運転手は主として圧力計を見ながら運転していました。その後、急行用車両に徐々に取付けられました。小型車は数少ない直線区間をかなりの高速で走っていました。
その代表が東では千船、姫島間の直線です。神崎川鉄橋を渡りカーブを下る辺りからノッチを入れて加速し、姫島の緩いカーブの淀川鉄橋への上り勾配を105Km/Hを越えるスピードで駆け上がっていました。この付近の直線区間は湿地帯で、路盤が余り良くなく縦揺れが大きかったです。神戸行は淀川鉄橋が長い直線であった為、神崎川手前迄高速走行が出来ました。
西の代表は芦屋、青木間の直線区間です。深江、青木間の墓地付近が当時の阪神の最高速度区間ではなかったかと思います。今は金網ですが、昔は古い枕木を組立てたフェンスでしたので、枕木が飛ぶ様に過ぎて行く様子で速さが実感出来ました。後に速度計の付いた車両でスピードが確認出来ました。そう言えば、昔は古レールや枕木が有効に利用されていましたね。ホーム屋根の柱、梁に古レールを利用した駅が阪神のみならず、あちこちで見られました。

速度計、圧力計のついでですが、阪神の小型車初め、当時の各社の電車には運転席に手動ブレーキの丸いハンドルがありました。車や船と同じ操舵ハンドルだと思っていた子供も多かった様に思います。阪神小型車では各車両右手の車掌室側にありました。近畿日鉄(近鉄)奈良線生駒の下り勾配暴走事故での使用が知られていますが、阪神電車で使われているのを見た事がありません。車のハンドブレーキ同様、主として留置や非常用だったのでしょう。然し、国鉄ガードを潜って百貨店1階部分にあった阪急梅田駅で子供の頃、ホーム入構時に運転手がハンドルを回している姿を何回も見た記憶があります。新京阪線(京都線)の電車ではなかったかと思います。
 

古い話

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月12日(金)00時52分59秒 baicb85e910.bai.ne.jp
編集済
  jet silverさん、喜んで頂けて良かったです。

御紹介した、はーさんのHP「40年前の鉄道風景」には全国の懐かしい鉄道写真が満載されていますので、お暇な時に御覧下さい。関西では阪神の他、近鉄、阪急等も紹介されていますが、淡路交通、別府鉄道の画像は貴重です。こうさん辺りが喜ばれるのではないでしょうか。

阪神の路面電車の写真はあちこちのHPでほぼ全車種見られますが、専用軌道線用の小型車は野上、京福、琴電等への譲渡後の写真は良く見掛けるものの、元の姿は滅多に見られません。専用軌道線用の小型車は種類、形式も多く、中々全部を見つける事は出来ません。中でも831形の写真は極めて珍しいと思います。因みに、はーさんの「阪神電気鉄道(1962)」は3011形登場後の1958年以降の写真ですので、何れの小型車にもステップが付いています。

小型車全盛の私の子供時代、本線では主として800番、900番台(5〜6連)が急行、600番台(4連)が準急、1000番台(3連)が普通用で、海岸線には701形2連が使用されていました。伝法線は主に600番台、701形、1000番台(2〜3連)が走っていたと思います。1001形2連も多かった様に記憶しています。当時、武庫川線には701形、601形、1001形等を除く色々の形式の車両が来ていたと思います。

800、900番台は照明が蛍光灯化され、後に車内放送用のスピーカーが天井に設置されました。小型車の中で内装が最も豪華で綺麗でした。

800、900番台以外の車両の照明は全て直管白熱灯でしたが、唯一1130のみ蛍光灯で内装も綺麗でした。

601形は基本的には801形同様の外観でしたが、外観、内装はやや見劣りしました。乗心地も良くなかった様に思います。野上から戻った604がセンタープール前に保存されていますが、601形には前面フラット3枚窓タイプ(火災事故復旧で改造との事)もあり、混連されていました。601形は朝夕の準急での運用が主で、比較的早く姿を消した為、800、900、1000番台に比べて乗る機会が少ない車両でした。B中時代には既に見なくなっていたと思います。

701形は貫通側を半分切取った1001形2両をくっ付けた様な形状の車両でした。両側非貫通で、パンタグラフ付き併用軌道線用車両と言った処でしょうか。海岸線専用(一部伝法線にも使用されていた様に思う)ですので、実際に乗る機会は非常に少なかったですが、何時も2両で出屋敷3番線に止まっていたのが印象に残っています。

当時の阪神電車は乗車位置の定めがなく、はーさんの写真からも判る通り、2扉、3扉の車両が無造作に混成されていました。



新しい話になりますが、なんば線開通プレイベントとして来る12月22日(日)ドーム前駅構内で劇団四季『オペラ座の怪人』トーク&ライブショーが開催されるそうです。詳細下記URL。

http://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20081211.pdf

 

懐かしい

 投稿者:jet silver  投稿日:2008年12月11日(木)22時47分46秒 pd32e81.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp
編集済
  いや、懐かしいですね。思えば初めて乗った阪神が小型車でした。3011が急行にも使われていたことは知りませんでした(準急に使われていたのは、東京に戻ってからの鉄道雑誌で見ました)。しかもそのヘッドマークは後の準急のそれにも似ています。廃止になった野上鉄道で小型車に「再会」したのも、もう20年以上前のことです。

ところで、私は思うのです。お若い方、ずっと阪神に接しておられる方々にはこの思いがわかるかどうか……でも、こう言えばわかってもらえるでしょうか、よく、オトナになるほど時間の流れが速くなるといいます。逆に言うと、典型的なコドモ時代の記憶というものは、オトナの心の中に一つの大きな、かつ掛け替えのない、ある「塊」のようなものとして存在しているもののようです。たかだか10年にも満たない時間なのですが。今の私にとっての10年前は「つい最近」です。

私は2度西宮に暮らしましたが、その2度目でさえ去ってから間もなく40年! 2度目に戻った当時、小型車は武庫川線の881以外は姿を消し(車番881だけでなく、同型が他にも数台残っていたようにも聞き及んではいますが)、3011もまだ2ドアのままながら、赤胴、正面貫通、ロングシートに改造されていました。更に7000形という新参者の「経済車」が走っていました。旧5001(無論、改造後、但しセミクロスは健在だった)や5201(ジェットシルバー)は残っていましたが、懐かしの再会を果たした阪神の印象は、1度目の西宮時代とはかなり異なっていました。

考えてみれば、西宮を離れ、東京で暮らしていたのは3年余りに過ぎません。東京で典型的な「ギャングエイジ」を過ごしたのです。東京オリンピックの頃は東京暮らしでした。

コドモの成長は早いものです。1度目の西宮体験は、幼年後期から少年前期。2度目はそろそろ思春期に差しかかろうという少年後期でした。しかし、大人の目で見れば、西宮を離れていたのはわずが3年余りのことに過ぎません。阪神体験に限って言うならば、2度目には「劇的」に変わっていました。しかし、ずっと阪神を見続けていた人達、そして年配の方々にとっては、私が「劇的変化」と感じたものは、大したことのない、日常的、連続的変化に過ぎなかったのだろうと思います。
 

阪急・阪神戦

 投稿者:PP&M  投稿日:2008年12月11日(木)22時15分24秒 FLH1Adk020.hyg.mesh.ad.jp
  阪急対阪神の日本シリーズ、結局両チームのピークが合わなくて実現しませんでした。

昭和40年代、阪急はもちろん優勝してあたりまえのチーム力が充実した時期、阪神も決して力がないわけではないが、いかんせん読売巨人軍が強すぎた。

わたし見てみたかったな、一度で良いから阪急・阪神の西宮シリーズ。
 

懐かしい阪神電車の姿

 投稿者:阪神1130  投稿日:2008年12月11日(木)12時44分19秒 baicb85e910.bai.ne.jp
  jet silverさん、皆さん、こんにちは。

1958〜1962年当時の懐かしい阪神電車の姿が見られるサイトがありますので、御紹介致します。jet silverも3011も私の大好きな870もあります。

http://6.fan-site.net/~haasan55/hanshin.htm
http://www.geocities.jp/ec2251expres/nogami


http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200812090092.html
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200812100056.html
 

以上は、新着順331番目から360番目までの記事です。 8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  |  《前のページ |  次のページ》 
/61