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リラさん

 投稿者:Ken Toyoguchi  投稿日:2008年 4月21日(月)08時05分19秒
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  「格好つけたり、強がったり、恥ずかしかったり・・・。」
僕は、こういうひとが大大好きなんですよ!
どうしてって、自分がそうだから、って調子いいかー、人間皆そうだからね。
難しさを感じて生きている人、生きづらいな、って思ってる人には、真実味があります。
マジメなひとは、いいです。

そこでエライひとは自分とどこがちがうんだろう、とあれこれ考えてそれに近づこう、とするのが毎日ってもんじゃないでしょうか。
時々思うことであるけど、自分がひとを信じていないとき、ひとの前に自分を投げ出せないので、自分がたいへんです。素直なひとを羨ましいと思うとき、自分がひとを暖かく思う思い方が足りないと気づくときが僕にはあります。
まあ、見た目ハデであろうが地味であろうが素直であろうが臆病であろうが、それはホントはあまり関係ない。
飲んでなかなか自分をさらけ出せない人だって、魅力的なひとはちゃんと魅力的なのだ。
自分が気になる。気になる時は、ひとのためになることを無心でたくさん考えるといいときがあるな。
ひとのことを一所懸命思ったり信じたり、ひとのために何かしてる時、自分の見てくれのことを忘れることがあるでしょ。その時はいい感じの自分ではないかな。

さてさて、音楽は聴くのもやるのも勝手、と言いたいところだがどうなんだろうか。
「共演する方がいる場合」は、ゆずりあいすぎるといいものが生まれません。
「俺はこういくからな」という勝手(信念)がないひとは、共演者を疲れさせますね。
とはいえ「俺はこれが一番好き、こうしたい」ってことを自分でわかる(自分を知る)ことは、そう簡単なことではないです。
でも、同時にひとの音を聴きながら感じて演らなければならない。そうでないと一緒に演ってる=一緒に生きてる意味がない。相手がどう思ってるか感じたり考えながらやれるか、これはミュージシャンの大事な実力のひとつです。
むずかしいことですが、無神経でなければよい、思いを伝えるように最高に自分が疲れる覚悟があればよい、と僕は思っています。
たまには「ごめん!!」してやります。
自分も生き、相手も生かす、この大切さ、むずかしさを僕は音楽から学びました、まだ格闘中ですが。

ソロの時は、これは自分との格闘と言ったらいいでしょうか。自由と同時にきびしー、と感じます。
自分はほんとうはどう思ってるんだろう、とよく思います。
やはり、自分を知る、ということをよく考えます。
いろんな時があります、和音を考えながら弾いていたり、エンディングどうするか悩んでいたり、あの娘は元気だろうかと思っていたり、何でこのお客さんはうるさいんだろうと思っていたり、小学校時代の景色が浮かんでどこかにいってるときもあります、何も考えないで曲が勝手に進んでいく時は幸せです。

あれれ、長くなりました、格闘とか書いてしまいましたが、人生も音楽も格闘ではありません(笑)、
シゴトですからとことんやろうということ、かな。
人生もシゴトですか、とは訊かないでね
 
 
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