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1週間前の関西探訪

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2018年 4月 2日(月)23時20分40秒 p891085-ipngn9501hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  PP&Mさん、お会いできなくて残念でした。例のお店、、夕食に行きました。いつも思うのですが、これは関西人気質なのでしょうか、地元の人達がすっかり出来上がっている中に「余所者」の私が店に入るのはちょっと抵抗があるのですが、(実際、既に私を知ってくださっているとは言え、件のお姉さん(と敢えて言っておきます)は、他のお客さんへの応対でお忙しい中、私にも気を遣ってくださり、忙しい合間を見て私にも話しかけてくれました。酔客相手でもあり、それなりに気を遣うお仕事だと思います。

しかし、毎度のことながら、私も酔いが回ってくると、まあこれは私が元西宮市民であるということもあるのでしょうが、結構意気投合してしまいます。今回も然り。ただ、今の私は目的があって訪れるので、最後までつきあうことはできませんでした。

さて、今回訪れてみて、新塗色の5550もなかなか良いのではないかと思いました。阪急もモノトーンですし、赤をアイデンティティとする地元京急にも、未だに「ブルー」が走っています。

5700系も随分増えたようです。今回初めて乗車の機会を得ました。その分、伝統カラーの5000は減っているのでしょうし、かつての阪神の伝統の顔を守る5000形も近々淘汰される運命にあるのでしょう。それは仕方がない。今は武庫川線で細々と余生を送る旧7000形も、小型車駆逐の目的で造られた車両です。

今回、5700をつぶさに見ることができました。そうしてみると、車両側面にブルーリボン賞を獲ったことが掲げられていました。これは良しとしましょう。しかし、単なる「愛称」であるだけならまだしも、本当に「JET SILVER」と書かれていたのはどうかと思いました。理由は何度も書いてきましたが、ちょっとはしゃぎすぎではないか? この同じ現象は、もしかすると今の日本社会の他の面に関しても同様のことが起きているのではないか? 何か表面的に面白いことばかりを追い求め、物事の本質を見失う結果になっていはしまいか…‥私はそう思わざるを得ません。単なる私の考えすぎ、杞憂であればよいのですが……
 

10年目

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2018年 4月 1日(日)08時25分58秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
編集済
  jet silverさん、みなさんおはようございます。

出かけていたので10日ほどタイミングがずれてしまいましたが、西大阪線の延伸区間が開通、開業して10年目に入りました。既存の区間も含め阪神なんば線はその後順調に推移し乗客を増やしています。

わたしも昨日夕方難波から快速急行を利用しましたが、難波方面に出るのは本当に楽になりました。難波で南海電車に乗り換えて関西空港に行くにも便利です。

まだ今は延伸区間に加算運賃がかかっていますが、その加算運賃が合っても今の利用状況ですからこれが撤廃された時にはさらに梅田に向かう乗客からのシフトがあることでしょう。

梅田は梅田で駅拡張工事が進行中です。壁の向こうがどんな具合になっているのかは少ない広報以外は想像するほかありませんが、数年後に完成した時にどんな駅になっているのか大変たのしみです。
 

時代の推移とは

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2018年 3月22日(木)23時05分2秒 p891085-ipngn9501hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  私がこちらにあまり顔を出さなくなってしまい、済まない気持ちでおります。次回の関西探訪が近づいてきました。

かつての阪神電車と言えば、かなり長い間、純粋に「赤と青」の時代が続いていました。それがまあ、塗色のみで言えば、何と賑やかになったこと! 他社線では乗り入れ車両を含めても、これほど賑やかな路線はないのではないかと思います。

お若い方々にはこれが当たり前=自然=普通の姿。それは、阪神の社員さんにとっても同じことでしょう。仮に今の社員の平均年齢を40才だと仮定するならば、かの「震災以後」に社員となった方が約半数を占めている計算になります。確かに、その社員さん達には入社までの「子供時代の阪神体験」はおありでしょうが。

国道線、甲子園線の廃止は、確か1975年でした。40数年を経過しています。今となっては、これはもう、「歴史上」のできごとなのですね。

所詮、趣味的な出来事に過ぎないかもしれませんが、同時に、「歴史」を掘り起こすことには、大事な意味があります。

私が子供の頃に当たり前に見ていた国道線や甲子園線、既に「歴史」になってしまったのでしょう。それは取りも直さず、私がそれだけ年を食ったということです。

大学時代に、ある場所でバイトをしていましたが、今思えば嘱託? ご老人が戦争中の新聞を見せてくれました。当時の私には、自分の生まれる遙か以前の、それこそ「歴史上」の資料でした。あれから40年以上……平行移動ですね。無論、今はかつての戦争の問題や、政治社会の問題を云々したくて書いているのではありません。ただ、こうして時代が「平行移動」していくのだな、ということを、今になって実感している次第です、人々の、それぞれの時代の意識をそれぞれの時代なりに「我が者」としながら……

私も馬齢を重ねて初めてそれがわかるようになりました。何のことはない。結局は、私の単なる酔っ払いの「述懐」に過ぎません。
 

国道線のレール

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2018年 2月13日(火)07時55分43秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
  吉永さん、おはようございます。

通勤の電車から阪神国道の淀川大橋の工事の様子は見ているのですが、そうですか国道線の敷石と
枕木が出てきましたか。廃止から40年以上たつのですが、人の目にふれることなくずっと眠り
続けていたのですね。今から23年前の大震災のあと西宮や神戸で阪神国道の改修工事をした時にも
中央分離帯の下から国道線の軌道が出てきましたが、廃止後の軌道撤去に時間もお金もかかるので
そのまま埋めてしまったのでしょう。淀川大橋にもたぶんレールが埋もれていたのではないでしょうか。
 

淀川大橋

 投稿者:吉永 和也メール  投稿日:2018年 1月26日(金)00時15分45秒 zaqb4dde42c.zaq.ne.jp
  大規模改修工事中の淀川大橋で床板コンクリートを撤去したところ
国道線の敷石と枕木が出てきたようです。
もしかしたら軌道が丸ごと埋まっているのかもしれませんね
http://yodogawa-ohashi.com/construction-aria/index.html

https://kazyaosaka.jimdo.com/

 

100%

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2018年 1月23日(火)21時09分50秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
  たけしたさん、こんばんは。

芦屋駅と魚崎駅ではホームが近鉄車両の8連には対応していない件、ご理解いただけたでしょうか?
魚崎はまだ東西両方向ともホームを伸ばす余地がありますが、芦屋は東側の踏切を廃止しない限りホーム延伸は無理です。

さて踏切つながりでふれますと正蓮寺川右岸の踏切は橋梁切り替え工事に伴い廃止になると理解しています(伝法駅を海側に移設高架化するため)。あわせて伝法・千鳥橋の急曲線も幾分かでも緩和されればと思います。
 

正蓮寺川の踏切は

 投稿者:たけした  投稿日:2018年 1月23日(火)18時30分12秒 ntoska113077.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  今晩は 武下です
鉄道ピクトリアル臨時増刊阪神特集の本 66ページに 淀川橋梁工事が完成すれば なんば線は立体化率100パーセントになると書いてありましたが 正蓮寺川右岸にある踏切はどうなるのか興味があります~
 

阪神本線内快速急行8連化について

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2018年 1月21日(日)11時05分17秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
  みなさん、こんにちは。

たけしたさん、時間帯、方向によっては阪神も大変混雑します。本線でも快速急行を8連で走らせることができないかはたびたび話題になります。

現状はおっしゃっておられる武庫川はもちろんですが芦屋、魚崎もホームが6連までしか対応していません。休日ダイヤですと今津にも停車しますが今津は阪神車両で8連の対応です。

比較的最近に改良された三宮駅は近鉄8連対応になり、また甲子園駅の延伸ホームにも近鉄8連が停まることができるのでいずれは残りの快速急行停車駅もホームを延伸するか、快速急行停車駅を見直すかして本線での8連運転が実現すると思いますが、それまでにはまだ時間がかかりそうです。
 

快速急行

 投稿者:たけした  投稿日:2018年 1月18日(木)11時30分25秒 ntoska160253.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  おはようございます たけしたです。
昨日 水曜日 午後5時13分頃の甲子園駅下り快速急行は満員でした~~ そのあとの急行やチュ億通特急も満席でした。 ただ 直通特急とか急行は増結が難しいので できれば快速急行を8連になればいいなぁ~って思いました。武庫川駅は神戸方面の通路を改良すればホームでできるかも?
 

あれから23年

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2018年 1月16日(火)23時45分55秒 p1655105-ipngn13301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  明日で阪神・淡路大震災から23年になります。時が経てば記憶は風化していくものかもしれませんが、経験された方々にはぬぐい去ることのできない記憶でしょう。大切な人を失った方々も少なくないことでしょう。横浜在住の私は、直接の被害こそ受けなかったものの、西宮は第二の故郷だと思っているので、他人事とは思えませんでした。

阪神1130さんが、かつて西宮市の情報誌、「宮っ子」をしばしば紹介してくださいましたが、その1980年11月12月号には、関西にいつ大地震が起きてもおかしくないという記事が掲載されています。2号続けて特集を組んだということは、編集者たちがそれだけ重大なことだと考えていた証でしょう。そしてその15年後……本当に起きてしまいました。

あの情報誌を見た人の数も限られていたでしょうが、その中のどれほどの人が「本当に起きる」と思ったでしょう? 私自身、西宮に暮らしていた頃は、東京に比べ、地震が少ないなと思っていました。震災後になって、マスコミは多くの活断層があるという事実を取り上げ出しました。

記憶が風化していくこと自体は、人として自然なことであり、それ故に人は生きていくことができるのだとも思います。あの震災に限らず、人はそれぞれに人生の中で辛い体験、痛切な体験というものを持っていることでしょう。それらを生々しい形で持ち続けていたならば、とても生きてはいられないかもしれません。

忘れることは自然なことです。しかし、そこから学ぶことも同様に大切なことです。だから、せめて年に1度、振り返ってみることには意味があると思います。

石屋川車庫、神戸高速鉄道開業時、ホームに柱が1本もないことを売りにしていた大開駅の惨状、思い出してしまいます。
 

武庫川駅は6連しか

 投稿者:たけした  投稿日:2018年 1月16日(火)19時06分22秒 ntoska160253.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  今晩は たけしたです。
先日久しぶりに快速急行にのりました。
休日ダイヤでしたが 武庫川駅停車するんですね~~
武庫川駅に停車となると 6連しか無理ですね。
でも甲子園駅8連化したのでなにか意図があるんでしょうね。
 

武庫川線のLRT構想

 投稿者:タルゴ  投稿日:2018年 1月16日(火)09時44分48秒 p64060-ipngn200401osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
  最近数回 チャリで鳴尾浜方面に行くことがありいつも思うのですが、武庫川団地から西側には多くのマンションが林立して結構住民も増加傾向にあり、そこで武庫川線をLRT化して甲子園まで延長すれば地域住民にとって利便性が向上するものと思います。南北間のバスはJR甲子園口と浜を結び、阪神電車との連絡輸送は 相応に需要があるものと思われます。鳴尾浜南部の高速湾岸線あたりの埋め立て地は、工業地であり通勤は車もしくは会社送迎バス利用なので そこまでの路線は不要でしょう。利用者にとって、武庫川線のように阪神本線と運賃が一体となっているのは有難く、阪神甲子園から阪神バス利用とは 交通費負担が大きな差が伴います。LRT建設については、県も積極的に協力する姿勢が必要です。  

歴史に「もし」は禁物だが

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2018年 1月11日(木)23時18分2秒 p1655105-ipngn13301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  猫宮トラオさん、写真拝見しました。昔を思い出せば興味深いのが武庫川線とその周辺です。記憶違いかもしれませんが、東浜に繋げるだけではなく、甲子園線とも接続させ、更に今津方面に持っていく計画などなかったでしょうか?

そこへライバル、阪急もしゃしゃり出て、熾烈な争い。宝塚方面でも似たことがありました。

結局海岸方面の路線は実現を見ることなく立ち消えとなり、尼崎海岸線、そして甲子園線もなくなりました。しかし、今のウォーターフロント開発の現状を見るにつけ、海岸沿いに路線ができていれば、今はそれなりの需要があったのではないかと想像します。

確かに甲子園浜の海水浴場を目的にしていれば失敗だったでしょうが、鳴尾浜、昔は何にもないところだったのに、今は立派な施設。東浜~武庫川団地前~リゾ鳴尾浜~浜甲子園~……? 今ならばそれなりに需要が煮込めるように思うのですが、それは現地を知らぬ、素人考えでしょうか? 確かに路線バスはありますが、多くは南北方向。海岸線を東西に結ぶ路線があれば……と思うのは所詮年食った酔っ払いの懐古趣味、あるいは「妄想」に過ぎないのでしょうか?
 

武庫川線幻想(妄想)

 投稿者:猫宮トラオメール  投稿日:2018年 1月 9日(火)20時02分17秒 zaq7d040d58.zaq.ne.jp
  皆さま今晩は。以下あくまで妄想です。

大工場には大抵国鉄貨物引込線が有った時代の話です。
福知山線尼崎港駅には旭硝子の引込線が直結してましたが、これを西に向かって延長したら?
と言う妄想です。阪神尼崎海岸線東浜駅の側まで伸びていきます。
そして、武庫川線武庫川以東延伸線も東浜駅に向かいます。これは狭広兼用三線軌条です。
東浜駅のすぐ南で、武庫川線と福知山線からの貨物線は接続します。
つまり、貨物輸送に関しては尼崎市南部一帯の工場から出る貨物は、国鉄尼崎駅で
スイッチバックをせずに、東海道線下り方向に入っていけるということです。
ただ、武庫川橋梁(未成)の取りつき勾配が如何程のものかは不明です。
大して出力の無い国鉄C12あたりでも登れる坂かどうか?
敗戦後に米軍が撮影した航空写真を見ていて思い付いた次第。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

以下は同サイトから転写したものです。
記号のA=洲先貨物ヤード B=海岸線東浜駅 C=福知山線尼崎港駅
http://fast-uploader.com/file/7071049649941/
http://fast-uploader.com/file/7071049681472/
http://fast-uploader.com/file/7071049713931/
 

武庫川線延伸先

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時46分41秒 p1655105-ipngn13301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  私は現地に住んでいたにもかかわらず、当時の橋脚が記憶に残っていません。今思えば、例えば武庫大橋駅の跡も尋ねてみたかったのですが、当時はそれをしませんでした。そのくせ尼崎側の河川敷は、自転車で何度も甲武橋の先まで行っていました。今思えば、勿体ないことをしたものだと思います。

さて、PP&Mさんご指摘の件ですが、無論私にはわかりません。

阪神の社史であれば鉄道雑誌より確かな過去が記録に残っているはずだと思う一方、当時を知る社員もいなくなった現在、雑誌社に残されている資料と阪神電鉄に残されている資料との「信憑性」の違いは、既に相対化されているのかもしれません。

私は阪神電鉄の資料の方が信頼性は高いのではないかと思うのですが、生きて証明する人達がいないに等しいであろう今は、「実証的」に確認作業を進めるしかないのかなと思います。

今、漱石を読んでいます。漱石論は、その原稿を隙間なく丁寧に積み上げていけば、甲山をも一つ作れるくらいに出ていると思いますが、漱石と同世代の人で、漱石について証言してくれる人は一人もいません。
 

幻の武庫川線延伸先は

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2018年 1月 7日(日)17時29分2秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
  武庫川の河口に工事未完の鉄橋の橋脚が数脚あったことをご存知の方、それをご覧になった方も
少なくないと思います。これが敗戦で中断された武庫川線延伸のための橋脚であることは、この
掲示板に集うみなさんにとっては常識と言って良い知識でしょう。しかしその延伸先がどこで
あったかは何度かこの掲示板でも話題になりましたが結局わからずじまいです。

久しぶりに引っ張り出してみた「輸送奉の50年」には

>なおこの線は武庫川尻において川を渡り、尼崎の工業地帯を貫いて海岸線に連絡する計画で架橋
>にも着手した(40ページ)

とあります。この一節を読む限り武庫川を渡った武庫川線は尼崎海岸線に接続するように思える
のですが、先ごろ出版された鉄道ピクトリアルにはこの社史の記述とは違うことが述べられてい
ます。資料好き、歴史好きのわたしとしてはそのへんのところを少し取り上げて掘り下げてみた
いと思います。
 

複線分ある武庫川線の敷地

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2018年 1月 3日(水)19時57分55秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
編集済
  jet silverさん、  猫宮トラオさん、みなさん、新年あけましておめでとうございます。

猫宮トラオさん、
>これは武庫川線の大部分が複線用の敷地を確保していた

その通りです。阪神国道以北の狭軌区間は知りませんが、武庫大橋から洲先までは用地は複線分
が確保されています。洲先駅付近を見て複線は無理ではないかという印象を受けますが、これは
開業当初はあの位置に駅はなく、占領軍の命令で旅客運転を休止した後再開した時に元の位置よ
り北に移したために本来の複線分をさいてホームを設けたためです。

東鳴尾はここでみんなで検証したように開業時は複線の線路と相対式ホームがありました。その
ホームも旧小型車とはいえ4両分あったわけですから今のこじんまりした駅とは違い、相当な大き
さがある駅でした。

ちなみに今も単線で走る武庫川線ですが、武庫川団地前への延伸が発表された当時は複線化の構
想もありました。朝日新聞の記事で読んだ記憶があります。
 

新年挨拶

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2018年 1月 2日(火)21時14分16秒 p1655105-ipngn13301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  皆様、あけましておめでとうございます。jet silverです。最近出番がなくて申し訳ありませんが、これからも拙掲示板をよろしくお願いいたします。

武庫川線や甲子園駅が話題になっていますが、まさに私の生活圏だった場所の話題なので、興味深く見ております。
 

皆さま 新年おめでとうございます

 投稿者:猫宮トラオメール  投稿日:2018年 1月 2日(火)18時07分37秒 zaq7d040d58.zaq.ne.jp
  当掲示板の皆様、新年おめでとうございます。

阪神1130様
「宮っ子」の情報有難うございました。表紙が福知山線旧線ハイキング道ですね。

PP&M様
情報有難うございます。鉄ピク増刊号、買ってみます。

最近、武庫川線廃線部分を徒歩にてジックリ探索したのですが、気付いた点。

(1)現JR甲子園口駅以西の給水タンク跡には、そこが武庫川縁線の廃線跡であることを
  示す解説板があるのですが、東海道線から分岐した直後から二号線にかけて、
  現在、西宮市管理下の桜並木の公園化した部分には、そこの由来が何も表示されていま
  せん。
  近々に西宮市役所に提案をしておきます。

(2)二号線から旧国道手前まで、ズラッと戸建て住宅地価した部分ですが、住宅敷地の
  奥行(≒線路敷地の幅)が大体11~12mほどありまして、これは武庫川線の大部分
  が複線用の敷地を確保していた点に気付いたことです。
 

1954年頃の東鳴尾

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2017年12月29日(金)09時48分27秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
  今回の鉄道ピクトリアルの臨時増刊号は結構な紙数を武庫川線にさいています。それも複数の記事で。

84ページにある立石輝雄撮影とある「1121の単行運転」とタイトルがある写真には画面右側に半ば草に埋もれた広軌の線路が認められます。
しかもこの線路は左手の1121号が走る三線軌条とのポイントが撤去され、架線もありませんのでこの時点でまったく使われていなかったことが
わかります。後方に見える跨線橋は南武橋へのアプローチ道路、臨港線と思われます。

85ページには1978年撮影の武庫川線武庫大橋駅の写真もあります。線路こそありませんが旅客運輸の始発駅であったこの駅も複線構造となっており
電車と貨物列車が交換できる構造であったことがわかります。小型車による4両編成の運転が行なわれたという資料を裏付けるホームの長さも見てとれます。
 

鉄道ピクトリアル

 投稿者:たけした  投稿日:2017年12月28日(木)18時46分24秒 ntoska161176.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  私もピクトリアルほしいです~~ なかなか買いに行けません~~(涙)  

阪神電車の貨物営業ほか

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2017年12月28日(木)11時38分31秒 pl10190.ag5354.nttpc.ne.jp
編集済
  みなさん、こんにちは。

ぐんじょうさん、資料のご提供ありがとうございました。たけしたさんも関心を持って
いらっしゃる甲子園駅のホームの延長部分ですが当初は10両停車を想定していると
記憶しています。できあがった今のホームは目測でも足測でも近鉄8両対応ですね。

そうそう鉄道ピクトリアルの臨時増刊号、入手しました。300ページ弱のボリュームも
さることながら、内容もなかなか充実しており、これまで一度も目や耳にしたことのない
情報も多数載っています。その一つが阪神電車の三宮貨物駅。阪神電車が貨物営業をしていた
ことはこれまでも書物に取り上げられていましたし、御影駅一番線の山側にある短いホームが
貨物用であったことも知られていますが、増刊号によりますと地上線時代の三宮には貨物専用駅が
あったそうです;「現在のミント神戸および三宮駅前ロータリー東半分にあたる位置に別途、
貨物駅が存在した」179ページ、附図は178ページ。

附図によりますと終点の滝道と一つ手前の三宮駅の間本線から単線で分岐した後、貨物駅構内で
3線に分かれていたようです。

他にも高架化直後でまだ西九条までは建設中の千鳥橋駅、杭瀬~東長洲の本国連絡線の写真や、
今津出屋敷線(尼崎海岸線)と武庫川線未成区間を記した地図など興味深い記事がたくさんあります。
また機会を見てご紹介していきたいと思います。
 

甲子園延長部分

 投稿者:たけした  投稿日:2017年12月21日(木)17時31分42秒 ntoska161176.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  今晩は たけしたです。
昨日甲子園駅にいってきました。
2番3番ホームの延長部分は柵で入れないようになっています。
また1番4番に向かっている延長部分には 柵を取り付ける下準備がありました。
ココに柵ができるまでは延長部分の使用は無いと思われます。でも楽しみです~
 

(無題)

 投稿者:ぐんじょう  投稿日:2017年11月23日(木)17時45分54秒 softbank126159211063.bbtec.net
  甲子園駅ホーム延伸による効果ついて少し記述されている資料があります
http://www.kobe-kousoku.jp/pdf/info170330.pdf
 

写真、良く見ると

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2017年11月22日(水)18時46分40秒 pl13657.ag5354.nttpc.ne.jp
編集済
  11月16日にご紹介した写真、以前は小さな版でしか見たことがなかったので阪神電車の線路はそのまま白い
筋に沿って住吉川の松林の切れ目に続くと思っていました。でも今回の写真は拡大することができますので
念のため拡大して確認してみました。

すると当時木柱だった阪神の架線柱はカーブの位置から白い筋上ではなくさらに大きく左カーブ
して続いていることがわかります。つまり今まで線路だとばかり思っていたのは今は第二阪神国道に
なってしまった西国街道だったのです。阪神は画面中央よりやや左にある松林の切れ目に入って
住吉川を渡っています。
収録されているのは「阪神沿道名所及実業家写真案内 : 御大典紀念」とありますから1915年くらいの
撮影でしょうか。とすると開業からまだ10年程度です。
 

昔の写真

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2017年11月16日(木)21時17分45秒 pl13657.ag5354.nttpc.ne.jp
  みなさんこんばんは、

以前見たことがある写真を探してみました、この写真です
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/967124/7

この場所から御影前後の併用軌道区間が始まるわけですが、写真を見る限り道路の端に
軌道がある状態で、車両(と言っても人力車、大八車レベル)が軌道内に入ることができる
状態ではありませんね。

この場所の阪神の併用軌道は西国街道上に敷設されたといくつかの書物にありますが、
実は西国街道は魚崎-住吉-御影-東明は第二阪神国道こと国道43号線とほぼ一致しています。
 

いらっしゃいませ

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2017年11月14日(火)07時21分13秒 pl13657.ag5354.nttpc.ne.jp
編集済
  ぐんじょうさん、おはようございます。そしていらっしゃいませ。

書き込みありがとうございました。管理人jet silverさんの代行をしておりますPP&Mです。

ぐんじょうさんの「阪神電車情報局」楽しく拝見させていただいています
https://hszyouhou.wordpress.com/

こちらでも阪神の昔話や最近の情報の交換などしておりますので、ぐんじょうさんにも投稿いただけるとありがたいです。

jet silverさん、レオポンとはまた懐かしい。先週だったと思いますが、テレビのバラエティー番組のクイズで出題されていました。

阪神電車の塗色ですが、小型車が淘汰されてから神戸高速鉄道が開通するまでの2、3年が一番種類の少なかった時期だと思います。普通系「青胴」、優等系「赤胴」そしてステンレス無塗装「ジェットカー」の3種類です。

今は武庫川線用に残る「赤胴」も含めると優等用3種類、普通用4種類で阪神だけでも8種類もあります。これは過渡期のことで「青胴」は数年内に廃車になり5500系は改造の上新塗色になるでしょうから6種にまで減じると思いますが、それでも往時の倍です。喜んで良いことかどうなのかわかりませんがにぎやかになったのは確かです。
 

旧い話

 投稿者:jet silverメール  投稿日:2017年11月12日(日)23時19分32秒 p1655105-ipngn13301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
  思い出しますね。阪神パークのレオポンのお披露目もあの頃でした。

塗色のみでは、小型車、3011特急、赤胴車、ジェットブルー、ジェットカー試作車5001(私は原型を見ております)、ステンレスのジェットシルバー、そして私も本線上で見た国道線車両、いわゆる金魚鉢。ここまでで7種類の塗色ですが、原型「アマガエル」の改造と量産型ジェットブル-の登場までにはタイムスパンがなかったか、更にはステンレスカー5201登場までは、更にそのスパンがあったのではないか……だとすれば、多い時ても5色までだったのでは?

子供の頃の記憶なので、結構曖昧なことがあるものです。当時をご記憶の方がいらっしゃれば、その辺のことについてご教授いただきたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:ぐんじょう  投稿日:2017年11月12日(日)17時58分9秒 softbank126209035010.bbtec.net
  PP&M様
私は某サイトの管理人をしているぐんじょうと申します。先日はサイトご来訪の上、コメントまでしていただきありがとうございました。
普段はあまり西の方まで乗ることがないので、御影付近のことはすっかり失念ていました。確かに現存する最古の架線柱となればあそこでしょうね。あの時代の架線柱は結わえ付けるべき電線が多かったためか、がっしりとした造りになっているように見えます。
 

いろいろ

 投稿者:PP&Mメール  投稿日:2017年11月11日(土)20時52分48秒 pl13657.ag5354.nttpc.ne.jp
編集済
  jet silverさん、

>阪神自前の車両の塗色もバレーティ豊かになった上、山陽と近鉄の乗り入れ。他に例を見ないかもしれません。

遠い遠い昔のこと、小学校に上がる前後を思い出してみました。

みなさんご存知の通りその時期は小型車から大型車への入れ替えの時期です。一方で他社線との乗り入れはまだ始まっていませんでした。ついでに言えばまだATSはなく石屋川~西灘は地平を走り、滅多に行く機会がなく記憶はないのですが本線淀川鉄橋もまだ低い、旧来のものだったはずです。

長い間阪神を代表してきた青胴、赤胴がメインですが、小型車もまだありました。さすがに日中は走っていませんでしたが、早朝から朝ラッシュにかけてや夕方のラッシュ時には「茶色い電車」が走っていました。

さらに「チョコレート色の電車」阪神の大型化の先陣となった3011形もまだ健在でした。

靑胴車のプロトタイプ50001形は既に他の普通用電車と同じ塗色でしたが車内はまだセミクロスシートでした。

ジェットシルバーも健在、そして異色の存在、武庫川線。尼崎海岸線に国道線から「出張」してきた71形がいました。

その頃が阪神では一番彩り豊かな時期だったでしょうか。
 

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